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六人の伝説が頭を下げる店  作者: パルパル


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第33話 店主が「茶碗蒸しは、すが入っても食べられますよ」と言った結果、灰都の裏社会で卵液の温度を巡る極秘会議が開かれ、六人の伝説が人生最大の緊張を味わうことになりました

 茶碗蒸しという料理には、人を黙らせる力がある。


 少なくとも、灰都の裏社会においてはそうだった。


 暗殺者が息を潜めるとき、人はその沈黙を恐れる。


 情報屋が口を閉ざすとき、人はその沈黙の裏に何が隠されているのかを探る。


 六大勢力の代表が一堂に会し、誰一人として言葉を発しないとき、それはたいてい、誰かの命運が決まる瞬間だった。


 だが、その日の《CAFE 灯》で生まれた沈黙は、少しばかり事情が違っていた。


「……まだですか」


 王冠が、蒸し器を見つめながら呟いた。


「まだですね」


 店主の朝霧透は、穏やかに答えた。


「あと何分ですか」


「そうですねえ。もう少しでしょうか」


「もう少し、とは」


「もう少しです」


 王冠は黙った。


 彼はこれまで、世界各地の組織間交渉を取りまとめ、国家規模の情報戦を指揮し、幾多の勢力争いを終結させてきた男である。


 その彼が今、木製の椅子に腰掛け、蒸し器の蓋を見つめながら、残り時間の分からない待機を強いられていた。


 敵の位置は分かる。


 作戦の成功率も計算できる。


 撤退経路だって、必要ならば十七通りは用意できる。


 しかし、茶碗蒸しがいつ固まるかは、透に聞いても「もう少し」としか返ってこない。


 王冠は人生で初めて、予測不能という言葉の意味を、卵料理を通して理解しようとしていた。


「店主」


 黒百合が腕を組んだ。


「茶碗蒸しには、完成の基準があるのでしょう?」


「ありますよ。卵液がちゃんと固まって、具材にも火が通っていれば大丈夫です」


「では、その基準に達するまでの時間は?」


「器の大きさとか、火加減とか、いろいろですね」


「つまり、個体差がある」


「そうですね」


 道化師が眼鏡を押し上げた。


「蒸し器内部の温度分布、器の材質、卵液の濃度、具材の熱容量。これらが複合的に作用する以上、単一の時間基準では管理できないということか」


「まあ、そういうことだと思います」


 透は頷いた。


「料理って、思ったより難しいんですね」


 その言葉に、六人の伝説が一斉に顔を上げた。


 違う。


 違うのだ。


 店主はただ、料理が難しいと言っただけである。


 しかし、彼らの耳には、世界のあらゆる問題に通じる重大な真理として響いていた。


 複雑なものには、単純な基準だけでは対応できない。


 だからこそ、状況を見て判断する必要がある。


 そして、その判断には経験が必要なのだ。


 道化師は手帳に何かを書き込んだ。


「……状況依存型判断の重要性」


「何を書いているんですか?」


「いえ、個人的なメモです」


「勉強熱心ですねえ」


 透は感心した。


 道化師は、手帳をそっと閉じた。


 その表情は、何かを悟った人間のものだった。


 実際には、茶碗蒸しの蒸し時間についてのメモだったが。


     *


 そもそも、茶碗蒸しを作ることになったのは、前日の何気ない会話が原因だった。


「次は茶碗蒸しなんて、どうでしょう」


 透がそう提案した瞬間、葬送は静かに頷いた。


「……蒸す料理か」


「はい。出汁を使うとおいしいんですよ」


「出汁」


「卵と混ぜて、具材を入れて、ゆっくり蒸すんです」


 葬送は腕を組んだ。


 彼の脳裏には、敵の包囲網を突破する作戦でも、巨大な武器を振るう戦闘でもなく、湯気の立つ小さな器が浮かんでいた。


「……ゆっくり、か」


「そうです。急いで強火にすると、表面がぼこぼこになったりするんですよ」


 その説明を聞いた零が、少し不安そうに尋ねた。


「……ぼこぼこになったら、失敗?」


「いえ、食べられますよ」


 透は笑った。


「多少すが入っても、ちゃんと火が通っていれば大丈夫です。見た目が少し変わるだけですから」


 零は目を伏せた。


 見た目が変わっても、食べられる。


 少し失敗しても、価値がなくなるわけではない。


 ここで働き始めてから、彼女は何度も似た言葉を聞いてきた。


 それでも、失敗することへの恐怖が完全になくなったわけではない。


 失敗したくない。


 迷惑をかけたくない。


 期待に応えられない自分を、見せたくない。


 そう思う気持ちは、今も確かに残っている。


「……私も、作ってみたい」


 零が小さく言った。


「もちろん。みんなで作りましょう」


 透は当たり前のように答えた。


 それだけだった。


 誰かが失敗を恐れていることを見抜いたわけでも、心の奥に隠された傷を言い当てたわけでもない。


 作りたいと言われたから、一緒に作ろうと答えた。


 それだけのことだった。


 けれど零にとっては、その当たり前が、少しずつ当たり前になっていくことこそが、何よりも大切だった。


     *


 そして翌日。


 厨房には、茶碗蒸しの材料が並んでいた。


 卵。


 出汁。


 鶏肉。


 しいたけ。


 かまぼこ。


 三つ葉。


 透が用意した材料を前に、王冠はすでに三枚の資料を広げていた。


「器ごとの容量を計測した。卵液の配分も統一できるよう、基準値を設定してある」


「……料理に基準値が必要なの?」


 黒百合が呆れたように尋ねた。


「必要かどうかではない。設定できるものは設定しておくべきだ」


「それで、おいしくなるの?」


「……」


 王冠の手が止まった。


 彼は資料を見下ろした。


 そこには器の直径、深さ、容量、卵と出汁の比率、蒸し時間の予測値まで記載されている。


 しかし、味の評価欄は空白だった。


「……実際に作って確認する」


「最初からそうすればいいのに」


 黒百合の言葉に、王冠は反論しなかった。


 その隣では、道化師が温度計を持っていた。


「蒸し器内部の温度を一定に保てれば、すが入る可能性を抑えられるはずだ。蓋を開ける回数も最小限にしたい」


「道化師さん、温度計まで持ってきたんですか?」


「念のためです」


「便利ですねえ」


 透は感心していた。


 道化師は、その言葉にわずかに胸を張った。


 その後ろでは、葬送が鶏肉を切っていた。


 包丁の扱いは、以前よりもずっと丁寧になっている。


 ただし、一切れの大きさが、明らかに大きかった。


「葬送さん。もう少し小さく切ったほうが、食べやすいかもしれません」


「……なるほど」


 葬送は、次の一切れを半分にした。


 まだ大きかった。


「もう少しでしょうか」


「……これくらいか」


 今度は、ちょうどよかった。


 葬送は真剣な顔で頷いた。


 かつて彼が扱ってきたものは、敵の動きや戦場の地形、そして一瞬の判断が生死を分ける状況だった。


 今、彼が向き合っているのは、茶碗の中に入れる鶏肉の大きさである。


 だが、手を抜く理由にはならなかった。


「……料理も、奥が深いな」


「そうですね。僕もまだまだ勉強中です」


 透は笑った。


 葬送はその言葉を聞き、少しだけ表情を緩めた。


 店主は、何でも知っているわけではない。


 知らないこともある。


 失敗することもある。


 それでも、楽しそうに料理をしている。


 その姿は、彼らにとって妙に新鮮だった。


     *


 問題が起きたのは、卵液を器に注ぐ段階だった。


「……零さん、それで大丈夫ですよ」


 透が声をかけた。


 零は卵液を静かに注いでいた。


 表面には、細かな泡がいくつか浮いている。


「……泡、残ってる」


「気になるなら、スプーンで取ってもいいですよ」


「全部?」


「全部取らなくても大丈夫です」


 零の手が止まった。


「……全部、取らなくても?」


「はい。少しくらいなら問題ないですから」


 零は泡を見つめた。


 すべて取り除けば、きれいになるかもしれない。


 けれど、そのために時間をかけすぎれば、ほかの作業が遅れる。


 どこまでやれば十分なのか。


 どこから先は、気にしすぎなのか。


 彼女は、そうした判断が苦手だった。


「……店長」


「はい?」


「どこまでやったら、ちゃんとできたことになるの?」


 透は少し考えた。


「うーん……食べる人が困らなくて、おいしく食べられるなら、十分じゃないでしょうか」


「……それだけ?」


「それだけ、というか。それが一番大事だと思います」


 零は卵液を見つめた。


 完璧な見た目ではない。


 泡も少し残っている。


 それでも、これから蒸せば料理になる。


 誰かが食べられるものになる。


「……分かった」


 彼女は、表面の大きな泡だけを取り除いた。


 小さな泡は、そのままにした。


 それは、零にとって小さな決断だった。


 誰かに指示されるまで待たず、自分で「ここまででいい」と決めたのだから。


 透は何も言わず、彼女の手元を見守っていた。


 やがて零が顔を上げる。


「……できた」


「はい。いい感じですね」


 それだけで、零の口元がわずかに緩んだ。


 厨房の片隅でその様子を見ていた黒百合は、静かに目を細めた。


 彼女は知っている。


 零が、どれほど長い間、自分で決めることを恐れてきたのか。


 だからこそ、その小さな笑顔を、誰にも邪魔されたくなかった。


     *


 全員の茶碗蒸しが蒸し器に並んだ。


 透が蓋を閉じる。


「じゃあ、あとは蒸し上がるのを待ちましょう」


 その瞬間、王冠が時計を確認した。


 道化師が温度計を見た。


 葬送が蒸し器の前に立った。


 黒百合が腕を組んだ。


 渡り烏が、なぜか全員分の飲み物を用意した。


 零は椅子に座りながら、蒸し器を見つめた。


 鷹宮宗一郎は、いつの間にか厨房の入口に立っていた。


「……何をしている?」


 渡り烏が尋ねた。


「いや。昨日、茶碗蒸しを作ると聞いてな」


「それで来たのか?」


「悪いか」


「いや、別に悪くはないが……」


 鷹宮は蒸し器を見つめた。


 そして、当然のように椅子を引き寄せた。


「私も待とう」


「……会長、今日の予定は?」


「後回しだ」


「後回しにできる予定なんですか?」


「できるものもある」


 鷹宮は静かに答えた。


 以前の彼なら、予定を後回しにすること自体を許さなかっただろう。


 だが、温泉旅行で何もしない時間を過ごし、料理を失敗し、皆と笑い、湯気の立つ蒸し器を見つめる時間を知った。


 何も生み出さない時間にも、価値がある。


 それを知った今、彼は少しずつ、自分の予定を自分で選べるようになっていた。


「……ところで、あと何分だ?」


 鷹宮が尋ねた。


「もう少しですね」


 透は答えた。


 鷹宮は頷いた。


「そうか」


 そして、王冠の隣に座った。


 灰都の裏社会を動かす男と、世界規模の勢力図を管理する男が、並んで蒸し器を見つめる。


 この光景を目撃した者がいたなら、何か重大な密約が進行していると考えただろう。


 しかし、実際に交わされていた会話は、もっと切実だった。


「……蓋を開けて確認するべきではないか」


 王冠が言った。


「いや、今開けると温度が下がるかもしれない」


 道化師が答える。


「だが、確認しなければ状態は分からない」


「だからといって、確認することで状態を変化させるのは合理的ではない」


「……」


「……」


 二人は、蒸し器を見た。


 黒百合が呆れたように言った。


「あなたたち、仕事でもそんなに悩むの?」


「仕事なら、もっと複雑だ」


 王冠が答えた。


「では、茶碗蒸しのほうが難しいのね」


「……そういう話ではない」


 その会話を聞いて、渡り烏が吹き出した。


 鷹宮も、口元を押さえた。


 葬送だけは、真剣だった。


「……俺が確認してくる」


「待ってください、葬送さん」


 透が呼び止める。


「もう少し待てば、ちゃんと蒸し上がりますから」


 葬送は立ち止まった。


「……分かった」


 彼は、再び椅子に座った。


 その姿を見て、透は笑った。


「みんな、茶碗蒸しが好きなんですね」


 六人は、誰一人として否定しなかった。


 好きなのは、茶碗蒸しだけではない。


 こうして一緒に待つ時間も。


 失敗するかもしれないものを、皆で作る時間も。


 何かを成し遂げなくても、同じ場所にいていい時間も。


 彼らは少しずつ、そういうものを好きになり始めていた。


     *


 そして、蒸し上がりの時間が来た。


「そろそろ、いいでしょうか」


 透が蒸し器の蓋に手をかける。


 その場の全員が息を止めた。


 蓋が開く。


 白い湯気が、ふわりと立ち上った。


 器の中には、淡い黄色の茶碗蒸しが並んでいた。


 表面が滑らかなもの。


 少しだけ泡が残ったもの。


 端のほうに、細かな凹凸ができたもの。


 そして――。


「……」


 王冠が、自分の茶碗蒸しを見つめていた。


 表面は、きれいだった。


 色も均一。


 器の中で卵液が偏ることもなく、具材の配置も整っている。


 彼の資料に記載された条件は、ほぼすべて満たされていた。


「……成功、ということか」


「そうですね。おいしそうですよ」


 透が笑った。


 王冠は、しばらく黙っていた。


 そして、そっと匙を手に取った。


 一口。


 出汁の優しい香りが広がる。


 卵の柔らかさと、具材の旨味が口の中で混ざり合った。


「……うまい」


 王冠の口から、短い言葉が漏れた。


 その瞬間、道化師が身を乗り出した。


「味覚評価は?」


「おいしい」


「具体的には」


「おいしいものは、おいしい」


「……なるほど」


 道化師は、何かを悟ったように頷いた。


 その横で、葬送が自分の茶碗蒸しを口に運んだ。


 表面には、少しだけすが入っている。


 彼は一口食べ、二口目を食べ、三口目を食べた。


「……問題ない」


「本当ですか?」


 透が尋ねる。


「……うまい」


 葬送は、はっきりと言った。


 零は自分の器を見つめていた。


 表面には、小さな泡が残っている。


 完璧ではない。


 けれど、卵液はちゃんと固まっている。


 出汁の香りもする。


 彼女は匙を持ち、ゆっくりと一口食べた。


「……おいしい」


 小さな声だった。


 だが、確かな声だった。


 透は笑った。


「よかったですね、零さん」


「……うん」


 零は、もう一口食べた。


 その顔には、以前よりも自然な笑みが浮かんでいた。


 黒百合はそれを見て、そっと視線を落とした。


 失敗してもいい。


 完璧でなくてもいい。


 それを言葉で理解することと、実際に自分の手で確かめることは違う。


 零は今、自分で作った茶碗蒸しを食べながら、その違いを少しずつ埋めていた。


「……店長」


「はい?」


「次も、私が作っていい?」


「もちろんですよ」


 透は、何の迷いもなく答えた。


「次は、もっと上手にできるかもしれませんし。今日と同じでも、おいしければいいですしね」


 零は目を伏せた。


 そして、小さく頷いた。


「……次も、作る」


     *


 その頃、灰都情報管理連絡会では、奇妙な報告書が机の上に置かれていた。


 報告書の表題は、こうである。


『CAFE 灯における待機行動および成果評価の観察記録』


 担当者は、疲れた顔で内容を読み上げた。


「六大勢力の関係者が、約三十分間にわたり、単一の調理器具を監視。作業途中での介入を控え、完成を待つ行動が確認されました」


「……調理器具?」


「蒸し器です」


「なぜ、それを報告する必要がある」


「それが、私にも分かりません」


 担当者は正直に答えた。


「しかし、現場の観察員からは、重大な意味がある可能性を排除できないとの意見が……」


「その観察員は、何を見ていた?」


「茶碗蒸しです」


「……」


 責任者は目を閉じた。


 しばらくして、ゆっくりと息を吐いた。


「いいか。報告すべき情報には優先順位がある」


「はい」


「市民の安全に関わるもの。組織間の衝突に関わるもの。重大な情報漏洩や不正行為に関わるもの。それらを優先しろ」


「はい」


「茶碗蒸しは?」


「……報告対象外、でしょうか」


「当然だ」


 責任者は書類を閉じた。


「今後、蒸し器の観察記録は提出しなくていい」


「承知しました」


 担当者は安堵した。


 これで、ようやく普通の仕事に戻れる。


 そう思った直後、別の職員が扉を開けた。


「失礼します。追加報告です」


「……今度は何だ」


「CAFE 灯の関係者が、茶碗蒸しを完食したとの情報が」


「帰れ」


「はい」


 職員は即座に退室した。


 責任者は、机に額をつけた。


 灰都の裏社会は、今日も平和だった。


 少なくとも、茶碗蒸しが原因で戦争が起きることはなかった。


     *


 夕方。


 客が帰り、厨房の片づけが終わった頃。


 零は、洗い終えた茶碗を棚に戻していた。


「零さん」


 透が声をかける。


「今日は、ありがとうございました。準備も片づけも助かりました」


「……私も、楽しかった」


「それならよかったです」


 透は布巾をたたみながら、ふと思い出したように言った。


「今度は、何を作りましょうかねえ」


 零は少し考えた。


「……おでん」


「おでんですか。いいですね」


「……大根、好き」


「じゃあ、大根をたくさん入れましょうか」


 零は、少しだけ嬉しそうに頷いた。


 好きなものを、好きなように。


 自分が何を食べたいのか、何をしたいのか。


 そんなことを口にしても、誰も困らない。


 誰も怒らない。


 それどころか、透は当たり前のように受け止めてくれる。


 零は、その当たり前を、これからも少しずつ覚えていきたかった。


「……店長」


「はい?」


「私、まだ失敗すると思う」


「そうですね。料理って、何度作っても失敗することがありますから」


「……それでも、いい?」


 透は、きょとんとした。


「もちろんですよ」


 そして、いつもの穏やかな笑顔で言った。


「失敗したら、また作ればいいんですから」


 零は、その言葉を静かに胸にしまった。


 明日も、ここに来よう。


 明日も、仕事をしよう。


 いつか、今日より少し上手に茶碗蒸しを作れるようになろう。


 その途中で失敗しても、ここに戻ってきていいのだ。


 彼女には、もうそれが分かり始めていた。


     *


「おでんか……」


 帰り際、葬送が呟いた。


「大根を煮るだけでも、味が変わるのか」


「出汁を染み込ませる時間も大切ですね」


 透が答える。


 王冠は、すでに何かを考えていた。


「食材ごとに適切な煮込み時間を設定する必要があるな」


「大根と卵と練り物では、条件が違うでしょうね」


 道化師が続ける。


「出汁の濃度、温度、具材の投入順序。検証項目は多い」


「……牛すじも入れたい」


 葬送が言った。


「私は餅巾着がいいわ」


 黒百合が続ける。


「……こんにゃく」


 零が小さく手を挙げた。


 鷹宮は腕を組んだ。


「全員の希望を反映させるには、どうすればいい」


 渡り烏は、深々とため息をついた。


「お前たち、ただのおでんだぞ」


「ただのおでんだからこそ、妥協すべきではない」


 王冠が真顔で答えた。


「……そういうものか?」


 渡り烏は透を見た。


 透は、笑っていた。


「好きなものを入れればいいんじゃないでしょうか。全部入れたら、にぎやかなおでんになりそうですね」


 六人の伝説が、静かに頷いた。


 灰都の裏社会で、再び何かが動き始めた。


 次なる議題は、おでんの具材選定。


 大根の厚さ。


 卵の煮込み時間。


 餅巾着の投入タイミング。


 そして、出汁をどこまで染み込ませるべきか。


 世界の命運を左右する六人が、今度は鍋の前に集結することになる。


 もっとも、当の店主はそんなことを知る由もなかった。


「さて、明日は何を仕込もうかな」


 透は、明日の営業のことを考えていた。


 この店を続けていくために。


 来てくれる人たちに、おいしいものを出すために。


 そして、誰かが少しだけ安心して帰れる場所であるために。


 その願いは、今日も変わらない。


 たとえ明日、灰都の裏社会で、おでんの大根を巡る会議が開かれようとも。


 《CAFE 灯》は、明日もいつもどおり営業する。


 ただ、それだけのことだった。

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