婚約破棄されました、あとの処理は弟たちが全部やってくれます。
「クレア・スウィンフォード、君との婚約を破棄する」
君にはがっかりだ。そう告げた婚約者の後ろにいるのは顔に大きな包帯を巻いた令嬢。顔半分隠れているともはやだれか識別するのが難しいが、おそらく、以前婚約者に贈り物をしていた男爵令嬢だろう。
王国主催の夜会の入場直後、わざわざ衆目にさらしての宣言。短慮もここまでくれば才能ではないだろうか。私の婚約者はここまで阿呆だったのかと眉間にしわが寄りそうになるが、奥歯をかみしめて耐える。彼と婚約して以降、平静を装うことが異常に上達していた。それこそ才能と言えるかもしれない。
そんな私とは裏腹ににやにやと不愉快な笑顔をこちらに向ける婚約者。歴史あるジキル伯爵家の嫡男がこんな体たらくとは。
「マーク様、急なことで何が何やら。理由をおうかがいしても?」
こういう時の作法というものだろう。せっかくだからと思い聞いてやると、マークはわざとらしく眉を吊り上げた。
「この期に及んでとぼけるのか」
「なんのことだかさっぱりです」
「そんな……こんなことをしたのに!」
首を傾げつつ答えると後ろの女がわざとらしく声を上げ両手で顔を覆った。金切り声だったがそれでも鼻にかかった特徴的な声ですぐに分かった、やはり彼女だ。カレン・バトラー、婚約者のいる令息に片っ端からアプローチをかけていて、周囲の令嬢からあれこれ言われていた令嬢だ。
「カレンのこのケガは君がやったものだろう。まったく、王子と婚約しそこねた哀れな女を善意で拾っていやったのに。とんだ悪女だったな」
マークが令嬢を名前で呼んでいる。ずいぶんハマったものだ。顔の半分を覆うほどの怪我。跡が残れば令嬢の苦痛は計り知れない。まぁ、あの分厚い包帯の下に傷があればの話ではあるが。
「怪我はお気の毒ですが、私がやったなんて言いがかりはよしてくださいな」
「は! 言いがかり? お前がやったことは明白なんだ」
「証拠があると?」
「もちろん! カレンが嘘を言うわけないだろう!」
会話にならない。まぁ、これくらい醜態をさらしてくれた方が都合はいい。
「……弟も成長したものだわ」
つい口から零れ落ちた。
――姉さん、このままでは悪役令嬢にされてしまうんだよ!?
弟の妄言を笑い飛ばしたのは数日前の話だった。最近、婚約者が私を煩わしく思っているのはわかっていたが、まさかわざわざ事件をでっちあげて婚約破棄を宣言してくるとは思いもしなかった。
この1年で急に彼の持ち物がやけに高価なものになった。屋敷に美術品などの物が増え、置ききれず散らかり始めた。そのあたりに付きまとい始めたこの令嬢。おかしいとは思っていたが、思考回路もとっ散らかっていたようだ。
「承知しました。では、その通りに。のちのことは家同士の話し合いとしましょう」
彼らの顔を見る。おそらく二度と見ることがない顔だ。とりあえず拝んでおこう。一礼して、彼らに背を向けた。
「……は?」
出口に向かって歩き始めると後ろから困惑まじりの静止の声。英雄よろしく断罪する夢でも見ていたのかもしれないが、それに付き合うつもりはない。
私は彼の家に入るものとして信頼を積み重ねてきた。彼の母、伯爵夫人から屋敷の管理も少しずつ教わり始めていた。あんな高価なものを買う財源がないことなど少し管理を教わっただけで明白なのだ。
なにがあったのか。
残念な気持ちは少しある。ほんの少しだが。
会場の外に出ると弟、スチュアートが立っていた。傍らには弟の婚約者、エミリーが心配そうな顔をしている。その顔をみて急に申し訳なくなってきた。
「だから言ったでしょ。めんどくさいって」
ふてくされたように文句を垂れるスチュアートに、苦笑いでうなずく。
「あなたの言うとおりだったわ。成長したのね。……それともエミリーのおかげかしら?」
「……気が付いたのはエミリーだよ」
「ふふ、さすがね」
スチュアートが悔しそうに言うのが面白くて思わず小さく笑う。
「姉さん、もういいでしょ!? ウィリアムも手伝ってくれてる」
「計画はばっちりです! ウィリアム様も私たちと同じ気持ちですよ!」
私の表情が緩んだのを見て、スチュアートとエミリーはここぞとばかりにまくしたて始める。
「あとは任せてくれるね!?」
勢いがすごい。そういえば彼らは昔から一つのことにハマるとことんのタイプだった。おそらく、私の婚約者の怪しい動きに気が付いてからここまで、ずっと情報を集め、計画を練っていたのだろう。
これはもう止めるのもめんどくさい。
弟たちの愛情に感動したことにして任せようと思う。
ウィリアム。しれっと差し込まれた第二王子の名前は聞かなかったことにする。
「えぇ、あなたたちを信じているわ」
頷くとスチュアートとエミリーは顔を見合わせて、うれしそうに笑った。この二人は今しがた婚約破棄された姉の前でするような笑顔ではない、勝ち誇った笑顔である。
*******
結果。弟たちは全力でやった。
婚約者はバカだったが、その父の伯爵は愚かだった。娘を通して近づいてきたバトラー男爵の口車に乗せられ税金を着服していたようで、しかもその金はバトラー男爵によって国外に流れていた。
すべてを公にされた伯爵は、国家反逆罪に問われ跡形もなくなった。男爵家はあっという間に消し去られ、墓の場所すらもわからなくなった。恐ろしいのはバトラーという名前の貴族がこの国に過去いたことがないという点だが。
というか、これ、私が婚約破棄されてなくてもはじけた問題だよね、と思うがそれはおいておく。
私は特にすることがなかった。
社交界では、しおらしくうつむいているとみんな都合のいい解釈をしてくれる。しつこい相手は近くにいるスチュアートかエミリー、もしくはなぜかいつも隣にいる第二王子が神妙な顔で「いまは……そっとしておいてほしい」といえばだいたいのことは何とかなった。あまりにも簡単すぎて、スチュアートもエミリーも、ウィリアムにお願いねーと言ってその場からいなくなることも増えた、最終的には一緒に来なくなった。王子の使い方が雑である。エミリーとドレスを選んでいると、ウィリアム様の色はーと言われる。婚約破棄直後の姉の扱いも雑である。
横領や金銭の流れがわかってきて、伯爵の罪が想像以上に深刻化してくると、しばらくは表舞台に出ないほうがいいとなり、屋敷でひたすらに父とスチュアートの帰りを待った。一緒に過ごすエミリーは婚姻前にもかかわらず完全に我がスウィンフォード家に溶け込んで、母と並び、女主人としての頭角を現している。頼もしい限りだった。
体調管理だけは私ができることだと、食事や睡眠、リラックス効果ありと言われるありとあらゆるものを集め、私のために動いてくれる彼らを待った。
時々ウィリアムも一緒に来ていた。彼も一緒に動いてくれているようで、感謝をこめて食事やお茶をふるまった。仲良さげに話すスチュアートとウィリアムに幼い日の記憶を重ねる日もあった。
スチュアートが、かつてのようにウィリアムにいさんと呼ぶようになったのも、思い出を呼び起こしている原因だろう。
「私もウィリアム様のことウィリアム義兄様とお呼びしてもいいのかしら?」
隣でつぶやいたエミリーの言葉は聞かなかったことにする。
私の婚約が消えたことで以前より私を次期侯爵とし、息子をその婿にと狙っている奴らが再燃する動きもあったが、この件の荒事もめごとをすべて弟が収めたことで、弟の次期侯爵としての立場も盤石なものとなった。
これは本当に良かった。
私がいるせいで、弟にはいらぬ苦労を掛けてしまっていたのだ。
弟には自分の力で道を作る力も仲間がいる、これからもきっと乗り越えていくのだろうなとなんだか眩しいような気持になった。心が姉の心境とおりこして、祖母である。
婚姻直前に婚約破棄になり、婚約者が霧散した女のメンタルなんてこんなものだと思いたい。
結婚はあきらめて領地の奥の小さな小屋で自給自足でもするか。家の事務仕事手伝ったら生活費もらえないかな。
そんな悠々自適な生活を夢見つつ、料理や野菜の育て方の本を読み漁る日々が続いている。
*******
あらかたが終わった後、ウィリアムが大きな花束を持ってやってきた。
「クレア、待たせてごめん。結婚してくれ」
「……え?」
花束を差し出すウィリアム。確かに彼に婚約者はいない。というか、私はかつて彼の唯一の婚約者候補だった。派閥だったり身分だったり能力だったり、ありとあらゆる政治的な問題でかなわなかったが。当時の私たちには大人に逆らうすべはなかった。
「僕は君以外ありえないんだ。ずっと、そしてこれからも。君を愛し、隣にいる権利が欲しい」
婚約者にも言われたことがなかったセリフ。かつて彼と過ごした幼い日々、夢見た時間がよみがえる。
「あの男のきな臭い話を聞いたときに、僕はやっとタイミングが来たと思った」
スチュアートに聞いたら、もう動き出していたから、一枚かませてもらったよ。ウィリアムはそう続ける。
「今こそ、あの時の気持ちを取り返せると。君はどう?」
「私は何もできなかったわ」
「信じて任せてくれたじゃないか」
それだけだ。任せただけ、ただ飾りとしていた。それだけ。私はそれがひどく歯がゆかった。
「待っている人がいる。そして、その間自分のことを想っていくれている。それだけで頑張れるんだよ。スチュアートとエミリーには正直とても妬けてしまった」
「……私は流されやすいのよ。信じることしかできなかったの」
「それはあるかもね! そしてその場で自分ができる一番のことを選んでる。そこに付け込もうとしてる僕もいるけど!」
そう言ってウィリアムはけらけらと笑う。ひとしきり笑うと、まっすぐ真剣な目で私を見つめた。
「クレア。今、君ができる一番のことってなに?」
聞かれる前から答えは出ている。
私は、ウィリアムとともにいられることを心から喜んでいた。
「あなたと一緒に生きることだわ」
そう答えるやいなや、ウィリアムが私を抱き寄せる。
「僕にとっても一番のことだ」
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