第5話『当然です。人の世を守る為には必要な措置ですから』
かつて大きすぎる力を持って生まれたが故に、恐れられ、父や母からすら拒否された私を拾ってくれたのは一族から将来を期待された男であった。
彼は厄介者である私を一族の人間が集まる場で、恐れ知らずに抱き上げ、全身に傷を負いながら、宣言したという。
【この世界には定められた運命がある。この子が生まれた事もまた運命。そして、俺がこの場に居たことも同じだ。誰も要らぬというのであれば、この命、俺がもらい受ける】
嫁にでもするつもりかと揶揄された言葉に、それも良いかもななんて返したらしいが、彼にそんな気は無かっただろう。
その時の彼を動かしていたのは、多分怒りだっただろうから。
薄情な一族の人間への、そしてこんな世界にしてしまった人間たちへの強い怒りが彼の心を支配していたのだろう。
そして、その怒りは今形を変え、私の中に宿っている。
彼が死に際に私へ伝えた【幸せになれ、詩織】という言葉は私の中に強く刻み込まれている。
そう。私は幸せにならねばならないのだ。
このどうしようもない世界で、彼の命を奪ってまで生き残ってしまった私は、彼が言う様に幸せにならなければいけない。
その為にも!!
ハジメ君に近づく女狐は、駆逐してやる! この世から! 一匹残らず!!
「お邪魔します!!」
「うわっ、びっくりした!」
私はハジメ君の部屋の鍵を、貰っていた合鍵で開け、中に踏み込んだ。
あまりお淑やかとは言い難い動きではあるが、コトは一刻を争うのだ。
「ハジメ君。一つお尋ねします。最近妙な物を拾いませんでしたか?」
「妙な物……? いえ」
「隠そうとしても駄目ですよ。こんなにも強く気配が家に染みついている」
「えっ! まさか、また」
「はい。あちら側の危険な物が鈴木さんに……って!! ソレです!!」
「ソレって、まさかコンの事ですか!?」
「こ、コン!?」
「え、えぇ。試合の帰りに道端でボロボロになって倒れている所を見つけて、拾いまして。このアパート。ペット可ですし。可愛いのでこのまま一緒に暮らそうかと」
「駄目ですよっ! そんな変な物拾っちゃあ! 危険じゃ無いですか!」
「大丈夫。エキノコックスの検査はしっかりしましたよ」
ニッコリと可愛らしい無邪気な笑顔で何とも見当違いな事を言うハジメ君に私は何とも言えない気持ちを抱えながら、とにかくと言って部屋の中に入らせてもらう。
そして、見た目ではなく精神が薄汚い女狐を胡坐をかいた足の上に乗せながらその背を撫でて笑うハジメ君と向き合った。
「ソレは非常に危険なので、滅ぼしましょう」
「えぇ!? どうにかなりませんか? だってほら、こんなに可愛いんですよ?」
「駄目なものは駄目です」
「そこを何とか!」
「……何故そんなにソレに拘るんですか? まさか! 魅了の術を掛けられているのでは!?」
私は力を放ち、ハジメ君の体に与えられている悪影響を全て消し去った。
そしてニッコリと笑いながら、再度同じ言葉を繰り返す。
「では、捨てましょう」
「そこをなんとか。お願いします!」
「鈴木さん。以前にも体験したでしょう? 妖というのは危険なんです」
「でも、あの鬼神様も最後には和解出来ましたし」
「あれは運が良かっただけです! その女狐はあの脳筋な鬼神とは違い、過去にも男性の方をたぶらかせて、その命を奪ってきた血も涙もない獣なんですよ! ソイツが鈴木さんに愛情を抱くなんて事はあり得ません!!」
『聞き捨てならんのぅ。小娘。この妾がハジメに危害を加える訳が無かろうに』
私とハジメ君の会話に割って入ってきた狐はハジメ君から離れ、怪しげな煙で全身を包んでから、九本の小さな尻尾と狐の耳だけ生やした幼女という、一部界隈の人が好きそうな姿になって床に音もなく降り立った。
そして、巫女服の様な実にふざけた服を着て、腰に手を当てながらクソガキらしく嗤う。
「妾参上じゃ!」
「……化ける事も出来ましたか」
「フフン。当然じゃ」
「では改めて聞きましょうか。ここに何の用ですか?」
「ここか? それはな。まぁ話せば長くなるが、話してやろう。先ほど妾はお前の力を通して、現代の事を知った。だが、認めたくなかったんじゃ。妾が地に這い、人間どもから逃げ惑い、封印されてもなお生き永らえた果ての世界が、こんな世界であったなぞ認められよう筈がない。しかし、それも世界を見れば嫌でも思い知る事が出来た。もはやこの世界に大妖怪としての妾の居場所は無いのだと。だからいっそこのまま消えようかと考えていたのだ。そんな時、天から温かい光と共に、妾に優しく声を掛ける者がいるでは無いか! 妾はその姿を見て、ただ涙した。己の求めていた物が、誰もが畏れる神に近き存在となってもなお! 埋まる事の無かった渇望が!! 妾が求めていたのは、これだったのだと、知った。だからな。退魔の小娘。妾の願いは一つだけだ。ハジメと添い遂げたい。ただそれだけじゃ。もはや世界に何かをしようとは思わん。静かに暮らす。それでは駄目か?」
「随分と都合の良い言葉を並べますね。貴女が過去に何をやったかもう忘れたのですか? このまま放置する選択などあり得ない。滅ぼすだけです」
「妾は改心したんじゃ! そ、そうじゃ! それならお主が妾に使ったあの呪符をハジメに渡せばよかろう! それで何かあればそれを妾に向けて貰えば良い! あのような強力な呪符は妾には触れられぬからな。それにアレを持っていればハジメを操る様な事も出来ぬ。それなら問題なかろう? より不安だというのなら、ハジメと一時も離れず共に過ごそうぞ? そうすれば妾は呪符の力により何も出来ぬ。これで、どうじゃ!」
「どの様な言葉を並べようと、貴女の駆除は確定です。大人しく世界の闇に消えて下さい」
「なんて強情な巫女じゃ! お主は!」
「当然です。人の世を守る為には必要な措置ですから」
「そこまで言うなら仕方がない。これもハジメと添い遂げる為じゃ。妾の魂の一部をハジメにくれてやる。それならどうじゃ? ハジメが望めば妾は消えるし、ハジメに危害を加える事も出来ん。どうじゃ?」
「何を言おうと私は一切交渉に応じるつもりはありません」
当然だ。
さっきから何を自分に都合が良いことばかり言っているのだ、この狐は。
ハジメ君と添い遂げるのは、この私だ!!
お前如きがどれだけ暴れようが何の障害にもなりはしないし、どうでも良い。
ただ一点。ハジメ君と添い遂げる等というふざけた事だけは絶対に許すわけにはいかない。
私はどうにかしてハジメ君に分からない様に、この女狐を駆逐する方法は無いかと考えていたのだが、そんな私の想いを感じてくれたのかハジメ君が何か発言したい様で、手を挙げて許可を求めていた。
そんな事をしなくてもハジメ君はこの世界で一番大事にされなきゃいけない人なのだから、気にしなくても良いのに。
なんて律儀なんだろうと涙が出そうになる。
「なんでしょうか。鈴木さん」
しかし悲しいかなそんな発言が出来る訳もなく、私は出来る大人のお姉さんという外見を取り繕ったまま真面目な顔をハジメ君に向ける。
違う。違うんだ。
本当はこんな顔をしたいんじゃない。
こんな事を言いたいんじゃない!
でも仕方ないの。だってこういうキャラで接しちゃってたんだもん。
「まず、一個どうしても気になっている事がありまして、確認させてください」
「はい。どうぞ」
「ちょっと空気読めないかもしれないんですけど。コン。お前」
「なんじゃ? ハジメ」
「もしかして、名前、あるのか? コンって勝手に付けちゃったけど、大丈夫か?」
私は思わずこんなシリアスな空気の中、天然発言をかましてくる可愛いハジメ君にツッコミそうになったが気合で止める。
しかし、堪え性のない獣である狐はツッコミを入れている様だった。
「なんでこの空気の中、出るのがそれなんじゃ! もう! 仕方のない奴じゃのう! お前様は」
「いや、大事なことだろう。名前っていうのは、自分で名乗るにしろ、誰かに付けてもらうにしろ。一緒に生きてきた物だ。簡単に扱っていい物じゃない」
「お前様は、この世の理なぞ何も知らぬ癖に、妙に核心を突いた事を言うのう。しかし、まぁ。そうじゃな。名か。ふむ。ではかつての名も取りつつ、タマとでも呼んでくれ」
「タマ。そうか。タマちゃんだな。なんかアザラシみたいな名前だけど、本当にこれで良いのか?」
「よいよい。実際、お前様に呼ばれるならどの様な名でも妾は好ましく思うぞ。おい。とかお前とかの粗雑な感じでも、んっ、ちょっと良いかも知れん。なぁ、お主、ちょっと妾を叩いてみんか?」
「いや、タマちゃんはもう家族なんだから、そんな可哀想な事出来る訳無いだろう?」
「そこを、ちょっとだけ。先っぽだけ! どうじゃろ」
「……そこまで言うなら私がその願い、叶えてあげますよ」
私は怒っていた。怒りに震えていた。
この女狐は、生かしておく訳にはいかぬと、私の全身全霊、魂の全てがそう語っていた。
ここで……滅ぼす。
もはやハジメ君が居ようとも関係ない。コイツは滅ぼさなければいけない悪だ!!!!
「そこまでにしておけ。退魔の小娘」
私は怒りのままに立ち上がり、邪悪な女狐をハジメ君が止めようとも滅ぼすつもりであった。
しかし、そんな私の前に無謀にも立ちふさがる者が現れる。
ソイツは幼い少年の姿をしているが、私の目は誤魔化されない。
そうそれは、かつて廃病院に住んでいた鬼神であった。
「久しいな。ハジメ」
「ん? いや、君は、えっと、どこかで知り合ったかな?」
「もう忘れたのか。我らは野球で遊んだ仲ではないか」
「ま、まさか! 鬼神様!? え? こんなに小さくなって! 大丈夫なんですか!?」
「問題ない。人に化けている時はこの姿でな。あまり気にしなくても良いぞ」
「これはお構いも出来ませんで。お茶飲みます?」
「うむ。貰おうか」
尊大に言い放ち、ハジメ君を働かせる鬼神に苛立ちを覚えるが、今はこの場を解決する方が優先だ。
「貴方まで何の用ですか」
「なに。ハジメの危機を感じたのでな。飛んできたまでよ」
「必要ありません。あの時は見逃しましたが、貴方も、そこの狐も等しく滅ぼします」
「まぁそう逸るな。ここは一つ交渉といこうじゃないか」
「貴方と話す舌など」
「良いのか? ここで争えば、ハジメを巻き込むことになるぞ」
「っ」
「我らとて争いたい訳ではない。静かに暮らす事を望んでいるのだ。ただ、ハジメと共に在りたいだけだ。だからこその交渉。良いな?」
「……一応話は聞きましょう」
「我らの要求はそこまで難しくない。ただ、この場所で存在する事をお主等が見逃すだけで良い。ハジメに危害は加えん。無論周りの者にもな」
「信用できると思いますか?」
「舐めるなよ。小娘。我らはお主等人とは違い、例えどの様な相手であっても約束を違えたりはせん。例えそれでこの世に存在できなくなるとしてもな」
「そうじゃそうじゃ! ちょびっとだけ。先っぽだけで良いんじゃ!」
イライラとした気持ちを抱えながら、それでもこの場所で暴れる事の無意味さは言われずともよく分かっていたので、私は何とか自分の気持ちを抑え込みながら頷いた。
しかし、隙を見せれば必ず滅してやると心に誓って、ハジメ君の家を出る。
相変わらずハジメ君の体にしがみついて離れない浮遊霊をハジメ君から見えない様に睨んでいく事も忘れない。
私が怖いのならさっさと消えれば良いのにと願いながら。
そして、私はこの日からより一層監視を強化しようと心に誓うのだった。




