第3話『正攻法では難しい。となれば、自分を偽りましょう』
なんとも言えない事になったと思う。
紗理奈さんが悪い連中にそそのかされて、危険な場所へ行った日から数日が経ったのだが。
図書館に来て、私を見ながらニコニコと笑う紗理奈さんに冷や汗をタラリと流した。
「あのー」
「なぁに?」
「何か、ご用でしょうか」
「お姉さんを、見てる」
「そう、ですか」
やだぁ! この子、超扱い難しい!!
変な事を言ったり、したりすれば、ハジメ君の評価が下がっちゃうし。面倒くさい!!
でも、まぁ紗理奈さんを無下にできない理由はそれだけじゃないのだ。
「……私、じゃま、かな?」
「いいえ。見ての通り、この図書館はいつも人が居ませんから。私で良ければ話し相手くらいにはなりますよ」
「……うん。ありがとう。詩織さん」
控え目に笑う彼女を見ていると、まるで昔を思い出すかの様だ。
まだ私が人間と友達になろうと頑張っていた頃。自分の居場所を見つけようと必死だった頃を思い出す。
「紗理奈さん、大学生活はどうですか?」
「あんまり好きじゃない。でも、佐々木の助けになりたいから、頑張りたい」
「そうですか。それは素敵ですね」
「……うん」
「ですが、今のままではそれも難しい様に私は思います」
「え?」
「紗理奈さん。確かに様々な勉強をする事で、佐々木さんの手助けは出来るでしょう。しかし、今のままでは佐々木さんの手助けが無ければ世界を生きるのは難しい。違いますか?」
「……ううん。でも、私、どうすれば良いのか、分からない」
「分からないなら、知りましょう。ここはどんな建物かご存じですか?」
「図書館」
「そう。図書館です。ここには多くの知識がある。先人の知恵がある。貴女の悩みも必ずや解決してくれるでしょう」
「……私の悩みを」
「はい。探す本が分からなければここに頼りになるお姉さんも居ますよ」
「詩織さん! 私、こんな自分を、変えたい……!」
「えぇ。力になりましょうとも」
私は瞳に勇気の花を咲かせた紗理奈さんに微笑みながら、彼女の求める本を図書館中から探し出す。
そして二人でその本を読みながら、紗理奈さんの問題を少しずつ改善してゆくのだった。
かつてハジメ君の身辺を調査した時に、紗理奈さんの過去を私は知った。
およそ普通の子供が味わう事はない……地獄という言葉がよく似合う場所だろう。
しかし、そんな世界を、どういう形であれ戦って、この子は今この場所に生き抜いて、居る。
それはどれだけの傷をこの子に負わせたのだろう。
私には想像する事しか出来ない。出来ないけれど、きっと幼い頃の私と同じかそれ以上に辛い世界だったんだろうなと思う。
だからという訳ではないが、私はこの子が普通に幸せに、生きていて欲しいと願ってしまうのだ。
私はその未来を諦めたから。
人と共に生きるという未来を捨てたから。
だから、その夢を紗理奈さんが叶えてくれるのであれば、かつての私も救われる。と、そう思うのだ。
しかし、現実はそう容易くはない。
紗理奈さんが潜在的に人を苦手に感じている限り、人と接するのは難しいだろう。
ならばどうするか?
目的は違うが、私と同じ事をすれば良い。
そう、仮面を被るのだ。
「正攻法では難しい。となれば、自分を偽りましょう」
「自分を、偽る?」
「そう。よりプラスな言い方をするなら、自分の理想とする人になりきるという様なものでしょうか」
「理想の人……なら、朝陽さん」
「ではその朝陽さんに紗理奈さんがなったつもりで、話をしてみましょうか」
「朝陽さんに、なる……!」
紗理奈さんは拳を握り締めながら宣言し、悩み考えながらその朝陽さんなる人物を頭の中で描いてゆく。
似ているのかは、分からない。
分からないが、大事な事は紗理奈さん自身が自分の変化を受け入れる事だ。
変われない人間ではないのだと、自分に思い込ませることだ。
それが出来れば少しずつでも変わっていける。
「えっと、朝陽さんなら、紗理奈さん。お夕飯作るのを手伝っていただけますか? みたいな、感じで」
自分の中であーでもない。こーでもないと繰り返しながら、紗理奈さんは少しずつ理想を組み上げている様だった。
素直な子だ。
この素直さならば霊も素直に受け入れる事が出来るだろうし、良い退魔師になるかもしれないな。なんて要らない事を考えてしまう。
そして、私がそんな意味のない思考をしている間にも紗理奈さんは新しい自分を手に入れ始めていた。
「詩織さん。こんにちは」
「はい。紗理奈さん。こんにちは」
「今日は、図書館に本を借りに来ました」
「それは嬉しい。どの様な本をお探しですか?」
「えと、人と上手く話が出来る様になる本です」
「承知いたしました。では調べますので、少々お待ちください」
「……! で、出来た」
「うん。良いね。相手の目もしっかり見てるし、言葉もスラスラと出て来てる。文句の付け所が無いよ。満点!」
「えへ、へへ。やった」
「偉い偉い」
紗理奈さんの頭を撫でながら私は一歩踏み出せた事を褒める。
そんなささやかな称賛にも紗理奈さんは喜び、はにかんで笑う。
その笑顔を見ていると、何だか少し酒井の気持ちが……いや、分からんわ。やっぱりロリコンの気持ちは分からん。
そもそも紗理奈さんはロリじゃないからな。立派な大人の女性だ。ハジメ君と同じ年だし。
え? てことは、食っても良いんじゃね? もしかして、犯罪じゃ、ない!?
ピコピコピコチーン。私ってば、天才じゃん。
待て待て待て冷静になれ。紗理奈ちゃんの顔面偏差値+儚げな雰囲気から導き出される物は、なんだ!!
そう、半ズボンだ。そして、サスペンダー! さらに野球帽とか被せたら、どうよ。
なんか名家の坊ちゃんが、お忍びで外に出ちゃった感の空気出ない?
帽子の影から見える瞳には僅かな警戒と、溢れんばかりの世界への興味が秘められてるって訳!
そしてちょっとした興味から立ち寄ってしまった図書館で、出会った大人のお姉さんに……ハハーン? さては私、天才だな?
さて、お姉さんが大人の世界って奴を教えてあげよう。なんてな? なんてな!?
やはり考えれば考えるほどショタの方が最強じゃないか。
結局、遅かれ早かれロリコンの犯罪者共はみんな駆逐され、社会から消え去るのだ。
ならば、ロリコンは自らの手で自分を裁いて、ロリから鞍替えし、ショタ好きにならねばならん。酒井、なんでこれが分からん……!
赤い総帥に従え。
「詩織さん。もっと練習したい」
「えぇ。お付き合いしましょう」
よし。とりあえず紗理奈さんが頑張ったご褒美とか言って、この後、服を買いに行こう。
そして、その服を着せたままちょっと洒落た喫茶店にでも連れていくか。
こう見えて私はかなり金を持っているし、多少の支払いなんて痛くも痒くもない。
いや、むしろ高い会計を見せて、えぇ!? こんなに高いの!? もう詩織さん、いや、詩織お姉さんに逆らえないよ。とかも良いかもしれんな。
でも、ま。そういう後々の楽しみを得る為にも、仕事をするかぁ。
「紗理奈さん」
「なぁに。詩織さん」
「私、実はただの司書ではなくてですね。退魔師という仕事もしているんですよ」
「うん。この前、助けてくれた奴だよね」
「まぁ、アレもそうなんですけど。本来の退魔師、いえ。霊媒師というのは、人の縁を繋いだり、切ったりするお仕事の事を言うんですよ」
「人の、縁?」
「そう。例えば紗理奈さんが、先ほどの朝陽さんと出会ったのも、佐々木さんと出会ったのもその縁です」
紗理奈さんは私の言葉にホッと安心した様に笑う。
「ですが、人の縁とは良い事ばかりではありません。良い縁があれば悪しき縁もあります。例えば、先日紗理奈さんを危険な所へ連れて行こうとした人たちの様な、紗理奈さんに邪な目を向ける者の様なものです」
「……うん」
今度は先ほどまでの笑顔とは違い、少し落ち込んだ様な顔になってしまう。
しかし、それを晴らすのが私の仕事という訳だ。
「そこで。私の出番という訳ですね。紗理奈さんに繋がる悪しき縁を切ってしまうのはどうでしょうか。という提案です」
私は右手をチョキの形にして人差し指と中指を動かしてハサミの動きをした。
そのハサミを見ながら紗理奈さんはどこか救われた様な顔をした後、少し悩んだ様だった。
「その、縁を切るとどうなるの?」
「より深い関係を築く事が難しくなるでしょうね。運命に嫌われるとでも言いましょうか。そうですね。例えば今佐々木さんと紗理奈さんの縁は強いのですが、この関係性が深ければ深いほど、互いの変化によく気づくようになり、何か大きな変化があれば、それが致命的になる前に、相手にとって最良と思われる様な行動を取れるでしょう」
紗理奈さんは私の言葉に何度も頷いて、驚いたように納得したように表情を変化させる。
「しかし逆に、縁が薄ければ、もしくは無ければ、そもそも紗理奈さんと出会う事が難しくなります。街中を歩いていても、ちょっとした信号で、踏切で、人ごみで紗理奈さんに出会う瞬間にたどり着けないのです。そうなれば何かトラブルも起こりようがない」
「……残酷、だね」
私は紗理奈さんが呟いたその言葉を聞いた時、ドクンと心臓が強く高鳴る様な衝撃を受けた。
悪縁を切る前提でこの話をすると大抵の人は喜ぶのだが、彼女はどうやら向こう側の人を想うらしい。
つくづく……私はやはり向いていなかったのだなと思い知らされるようだ。
「そうですね。ですが、選ぶことは出来ます。紗理奈さんは悪縁をどうしますか?」
「私は、私……私は、それでも、切りたい」
「私もそれが良いと思いますよ。でも、そうですね。まだ貴女の中で未練として残っている方との縁は残しておきましょう。もしも、貴女と彼女が望めば、僅かな時間だけ、出会う事も出来るかもしれません」
「詩織、さん……お母さんは、生きて、いるの?」
私は紗理奈さんの縁が繋がっている事を、それが生きている人間の物だと確認し、小さく頷いた。
その時、紗理奈さんの胸に溢れた感情がどういった類のものなのか、私は知ろうとは思わない。
きっと私はそれを受け入れる事が出来ないから。
でも、柄にもなく私は思ってしまうのだ。
この綺麗な涙を流す少女の願いが、いつか叶えば良いと。
そう、思うのだ。




