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第10話『東篠院詩織……参ります』

ハジメ君達と別れてから三日。


私は外界の情報を全て消し、静かに己の力を高めていた。


食事を絶ち、睡眠と覚醒の間で、己の死を見つめるのだ。


さすればその精神は研ぎ澄まされ、我が身は一本の刃と成る。


これは、かつて私に戦い方と生き方を教えてくれた人が最期に教えてくれた物だ。


ただし決して使うなとも言っていた。


それだけ危険な技なのだと。


しかし、そう言いながらも使うならば躊躇わず、使えとも言っていた。


この年になってもあの人の言葉はよく分からない事が多い。


でも、全て終わってあの人と同じところへ行けたら、今度こそ聞けるかな。なんて思うのだ。


まぁ私の魂が砕けていなければの話なのだけれど。


自嘲気味に笑いながら、冷水のシャワーを浴びて、身を引き締める。


それから退魔の服に着替え、札を仕込み、私は家の扉を開けた。


「じゃあ、行ってきます」


無論誰もいない部屋から返事が帰ってくるわけもないが、私は覚悟を決めて目的地へと向かうのだった。




マンションを出てから屋上を伝い、向かったのは街の外れにある廃ビルだ。


街には十分な結界を張っており、ここ以外に入る事が出来る場所はない。


つまり、敵は結界を破るか、ここを通らなければ街の中に入る事は出来ないのだ。


だからこそ私は腕を組みながら、ただ静かにその時を待った。


そして、『その時』は予想外な所から起こる。


街中で、いや国中、世界中で人々が何かを願い、その力を中心部に集めているのだ。


その場所は、この街にある大きな病院であった。


「これは、神の気配……? いえ、違う。今までの物とは。まさか、そうか! 天野がやろうとしていた事は!!」


『ふはははは!! 気づいたか!! シオリ!!』


「妖狐!!」


結界の穴がある中央から空を裂いて突っ込んできたのは短い間とはいえ、共に生きていた妖狐であった。


無論、幼子の姿ではなく、巨大な狐の姿だ。


そして、その狐の突撃を札で受け止めつつ、距離を離すべくその顎に蹴りを叩き込もうとした。


しかし、それもギリギリかわされてしまう。


『おっと、危ない、危ない。お主は足癖が悪いからの。近づきすぎるのも危険じゃ』


『突っ込みすぎるなよ。我らは一己ではない。百鬼なのだから』


『分かっておるわい』


私は急場しのぎでしかないが、わざと開けていた結界に蓋をして、急ぎ携帯を取り出した。


『は、はい! 酒井です!』


「本家に急いで伝令!! 敵の狙いは神だ!!」


『え!? え?』


「天野が失われた神の代わりに新たな神を生もうとしている! 妖共の狙いはその力を奪う事だ。急げ!! 人間の神を守れ!!」


『ちょっと待ってくださいお嬢様!? お嬢様は、今どこに』


「私は大丈夫。後は、頼んだよ」


『お嬢様! お嬢様!! 詩織さ!!!』


私は結界を突き抜けてくる気配を感じ、体を無理矢理動かしてその攻撃をかわす。


だが、僅かに間に合わず、右手に持っていた携帯を壊されてしまった。


『駄目よ。人間なんて呼んじゃァ、さァ。シオリは私達と遊ばないと』


「雪女」


『そうよね。ここは戦場! 呑気にお話をしている場じゃないわ』


「絡新婦」


『さぁ、我らの神を手に入れる為に、行動するぞ、皆の衆!』


「鬼神」


『祭りの始まりじゃ!! 世界を闇で埋め尽くそうぞ!』


「妖狐……!」


私は歯を食いしばり、口の端から血が流れるのを感じながら、僅かでも、微かでも友情を感じてしまった己を悔いた。


確実に殺すべきだった。屠るべきだった。消し去るべきだった。


世界の闇を。憎しみを、恨みを、絶望を!


そうしなければ暖かな光など失われてしまうと分かっていたのに。


「でも、私は、後悔などしない」


懐から転移札を取り出し、本家の最奥に安置されている神具を呼び寄せる。


視界に蠢く無数の妖、百鬼を全て葬り去る為に。


「神刀。かつて異界の旅人が授けたという力、使わせていただく」


『行くぞ!!』


「東篠院詩織……参ります」


私は刀を引き抜いて、妖に向けて迫りながらその刃を振り下ろす。


かつて異界よりこの地に舞い降りたとされる旅人が、妖に苦しむ民の為に授けたとされるのがこの神刀だ。


そのひと振りは、山の如き妖を両断し、幾万の妖を屠ったとされる。


神すら殺める事が出来るとされるこの刀は、神が創った神を殺すための刀。


妖如きが防ぎきれる物ではない。


私の全力を注ぎながら振るった一撃は、空を両断し、真冬の空に雷を鳴り響かせた。


その一撃は、多くの妖を消し炭に変え、さらに重症を負わせる。


しかし、それでも、私は生身の人間だ。


一人で戦っている以上限界はある。


正面の妖と斬り合っていれば、背後からの攻撃を防ぐことは難しい。


波状攻撃を仕掛けられれば、生傷だって増えてゆく。


でも、それでも、この街にはハジメ君が、紗理奈ちゃんが、綾乃ちゃんが、古谷君が、佐々木君が居るのだ。


退く訳にはいかない。


折れる訳には、いかないのだ!


『こ、コヤツ! まだ!』


「どけっ!! 妖狐!」


『んぎゃああ!?』


雑多な妖怪を足場にしながら空中で飛んでいる妖狐の腹に蹴りを入れて、空中でひっくり返し、そのまま拳を叩き込んで地面に突き落とす。


無数の妖を巻き込みながら地面にクレーターを作り、その中に妖狐を沈めた。


しかし、それを待っていたとばかりに妖狐ごと地面が凍り付いてゆく。


それだけじゃない。私の四肢を拘束する様に四方から糸が飛んできて、体を縛り上げようと締め付けてきていた。


「燃えろ……世界っ!!!」


私はすぐさま刃に炎を纏わせて、無理矢理蜘蛛の糸を引きちぎり、刃を横薙ぎに振るった。


その衝撃で、雪女も絡新婦も炎と衝撃波に巻き込まれて森の向こうへと消えていった。


だが、まだ終わりじゃない。


『小娘!!』


「鬼神!」


巨大な刃を持ち、それを振り下ろす鬼神の一撃を私は何とか神刀で受け止めた。


しかし、体勢が悪く打ち返す事が出来ない。


『もう諦めろ。これ以上は無駄だ』


「無駄な事なんて」


『あるだろう! 今まさにお前がやっている事だ』


「……っ」


『天野という男は世界中に『願いの力』という奇跡をばら撒いて、神になろうとしている! その為にお前は今、利用されているんだぞ!』


「それは、どうですかね!」


『あの男が神となれば、我らも、お前もすぐに消されるだろう! それで良いのか!? お前だって生きていたいだろう!?』


「……ふっ、ふ、あははは」


『何がおかしい』


「貴方も、天野も! 私を何だと思っているのですか? 死が怖くて、ピーピー泣いている幼女だとでも思っているのですか!? 舐めるな!!」


『くっ』


「全てを捨て、全てを守る。その覚悟は既に出来ているんですよ。私は。ここで命を落とすとも! 恐怖など、無いっ!!」


鬼神の刃の内側に入り込み、私はその体を切り裂いた。


そして、怯えた様に震えている小物の妖たちを睨みつけた。


「貴方達の主力は倒しました。まだ、やりますか?」


『ふ、はははははは! 流石は戦巫女というところか』


新しい声の気配に妖たちの中心を見てみれば、そこに居たのは古い時代の服を着た、一人の老人だった。


杖をつき、口元を歪めながら愉快そうに笑っている。


いや、違う。コイツは人間じゃない。気配は分かりにくいが、妖か!


「貴方は」


『彼らのまとめ役だ。総大将という奴かな。とは言っても、それは人間たちがそうあって欲しいと願った故だがね』


「ですが、頭は大分回るようですね。交渉役ですか?」


『ふむ。交渉役か。確かにな。交渉役といえば交渉役だよ。だが、ワシがお主に言うのは、許して欲しい。助けて欲しいという命乞いではなく、今なら助けてやるぞ。という最終通告だがね』


そう、老いた妖が言葉を放った瞬間、空から何かが降ってきた。


何とかギリギリでそれをかわすが、それでも腕は浅く斬られ、血が滴り落ちる。


「三つ目の、烏天狗……? まさか」


『知っておったか! そう! この国で、最強の妖だ!! 再度言ってやろう。我らに頭を垂れろ。命乞いをしろ。さすれば助けてやろう!』


「例え何が相手であろうと、逃げるつもりも、負けを認めるつもりもない!」


覚悟を決め、烏天狗の攻撃を受け止めるが、一撃一撃が重く、まともな状態では太刀打ちする事は難しい。


ただでさえ消耗しているというのに、この状態で最強の妖など冗談にも程がある。


しかし、言った通りだ。どの様な状態であろうと、逃げるつもりも、ただ負けるつもりもない!!


私は、正真正銘最後の切り札を使う事にした。


かつてあの人が生きていた頃に、よく言っていた神刀の伝説を、護り刀の力を借りる方法を、今、ここで、解き放つ!


『強情な巫女だ。どれ、仕置きが必要なようだな。皆の衆、征くぞ』


「私に力を貸してください……護り刀『雪風』!!」


『な、なんじゃあ!? この光はっ!』


その銘を呼んだ瞬間、手に握られていた刀から放たれた光で世界は白に染まった。


そして、その光の中で私は多くの人々の記憶を見る事になる。


妖に苦しむ人々から世界を救う為に、命を掛け戦場へ向かった男の願い。


愛する子供達を守る為に、刃を持ち、強大な妖へ立ち向かった女の祈り。


それだけじゃない。幾百、幾千の人たちが希望を、未来を望んでいたのだ。


その願いが、祈りが、今ここにある。


そして……。


『良いのか? 友よ。この刀は君の相棒だろう?』


『相棒だからだ。だから君に託せる。二つの世界のバランスが崩れれば大いなる災いが起こるだろう。だから……』


『分かった。ならば、いつか取りに来てくれ。私はずっと待っているから』


『あぁ。また会おう』


そう、そして。異界より来た旅人に託され、未来への希望を願った……東篠院家初代当主。


多くの人の願いが、希望が未来へ繋がっている。


でも、それだけじゃない。


今、世界は夢咲陽菜という少女に向かって願いが集まっている。


立花光佑に向けられていた願いも、また夢咲陽菜に集められて……それが大きなうねりとなって力になってゆく。


その中心に居るのは、天野。


かつて東篠院家が殺めてしまった横倉村に舞い降りた天使の、兄か。


そうか。天野。君もずっと願っていたんだね。


愛する人の幸せを。


だから、立花光佑に、夢咲陽菜に願いを集めようとしたのか。


そしてその願いを力に変えて妹を、かの天使を神として蘇らせようとした。


それが君の……本当の願い。


でも、残念だ。


本当に。




光が消え、私は刀を持ったまま暗闇の中で立ち尽くしていた。


左目からは涙が一筋流れ、落ちる。


『終わりだな』


『思い通りにはならなんだか。口惜しい事だ。まぁ、それは向こうも同じだろうがな』


『あぁ』


『……新たな人の神は、生まれなかったか』


私は無言のまま刀を構えるが、妖たちはもはや戦うつもりは無いようだった。


小物たちは逃げる様にこの場を立ち去り、残されたのは烏天狗と自称妖怪の総大将だけだった。


『我らの計画は失敗した。首が欲しければこの総大将の首をくれてやろう』


「いらないです。それよりも、争う気が無いのであれば、計画とやらを聞かせて下さい」


『ふむ。まぁ良かろう。簡単な事だ。天野が世界中の願いや祈りを集め、奇跡を起こすなら、それらを奪われて憎しみと絶望だけが残っている人間たちを利用し、全盛期の力を取り戻そうとしただけよ。……まぁ、そうやって我らが動く事すら、天野は予想しておったようだがな。お主が、その刀を持ち出して奇跡を上乗せする事も』


「……神がどうのと、妖狐たちが言っていましたが?」


『その件について、ワシらは関わっておらん。だが、内容は知っているぞ。お前だ。戦巫女。奴らはな、お前を神に仕立て上げようとしたのだ。妖の為の神。初めて聞いた時はとんだ世迷言をと思ったものだがな。案外、それも面白いかも知れぬと思わされたわ』


「……」


『だが、お前が見せた人間の心。その希望は我らには眩しすぎる。今は退くとしよう』


「それは、感謝します」


『ふあははははは! 先ほどまでは例えバラバラになろうとも、我らを殲滅する気概であったというのに、しおらしいものだ。ふふ。どうやら奴らの希望はお前の闇も少しは晴らした様だな』


総大将はひとしきり笑うと、私に背を向けて無防備なまま森へと歩いてゆく。


きっとここで刃を振るったとしても彼は避けないだろう。


妖は人であろうと約束は守るから……。


『さて、中々面白い物を見せて貰った。ではな。退魔の小娘。次会う時は、妖の神になる決意を固めておけ』


「お断りです」


『ふあははははは!!』


周囲に響き渡る笑い声を響かせて、彼らは去っていった。


私はため息を一つ吐き、空を見上げる。


そして私は刀を本家に戻し、札を懐から取り出しながら、死んだふりをしている連中に向けて雷の力を込めて、投げた。


『あばばばばば!! 何するんじゃー!!』


「貴女方。私に何かいう事がありますよね?」


『もっ、申し訳ございませんでしたぁー!!!』


私の前に集まり、頭を下げる四匹の妖に私はため息を一つ吐きながら、追加で雷をもう一度ぶつけ、そして、最後に癒しの護符を与える。


『んにょぉおお? おぉ? おぉ。治っておる。肩こりまで治っておるぞ。ふははは、元気元気! 大妖怪妖狐様復活じゃー!!』


『治癒までして貰い、すまないな。この礼は必ずしよう』


『まぁ、でも、治癒してくれたって事は、許してくれたって事で良いんだよね? 八つ裂きはイヤー!』


『あ、ありが……シオリ!!』


騒がしい連中が、相変わらず騒がしくしているのを遠くに聞きながら、私は地面に向かって倒れた。


しかし、固い地面にぶつかる前に、何か柔らかい感触に包まれて、痛みはない。


いや、痛みはある。切り刻まれ、焼かれた全身が、痛い。


それに、なんだか酷く眠い。


『お、おい! シオリ! 起きろ! 起きるんじゃ!!』


「だい、じょうぶ……少しだけ、寝るだけ」


全身の力が抜けて行き、私はそのまま暗闇に体を委ねていった。


未だ遠い場所から騒がしい連中の叫び声が聞こえるが、人が寝ると言っているのに、本当に騒がしい連中だ。


社会性って奴が無いからな。妖って奴は。


だから嫌われてるんだ。


でも、確か前に言っていたな。


憎しみを抱きながら死した人間が妖になると。


でも、今の私はどうかな。


彼らに、人に親愛を抱いてしまった私は……何処へ行くのかな。


今はまだ、分からない。

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