第九章:超越への階梯
五月の新緑が庭を覆い、施設は生命の輝きに満ちていた。
葵が秋光の家に来てから、半年以上が過ぎた。彼女自身、大きく変わったことを実感していた。
ある日、桜井施設長が葵を呼んだ。
「水瀬さん、あなたに提案があります」
「はい」
「来月、日本老年学会で、秋光の家の取り組みについて発表する機会をいただきました。その発表を、あなたにお願いしたいのです」
「私が……ですか?」
「ええ。あなたは、この半年で多くを学び、実践してきました。その経験を、学術的な場で共有することは、大きな意義があると思います」
葵は少し戸惑ったが、やがて頷いた。
「分かりました。やらせていただきます」
「ありがとう。エリク先生も、共同発表者として参加してくださるそうです」
「エリクさんが?」
「ええ。彼は今、東京に滞在していて、いくつかの施設で研究を続けているんです」
葵は、準備を始めた。
これまでの記録を整理し、入居者たちとの対話から得た洞察をまとめ、老年超越理論との関連を分析した。
そのプロセスで、葵は自分自身の変化を振り返った。
最初、彼女は入居者たちの行動を「問題」として捉えていた。社会的撤退、活動性の低下、過去への執着――これらを「改善」すべき課題と見なしていた。
しかし、老年超越理論に出会い、入居者たちと対話を重ねるうちに、視点が変わった。
彼らは病んでいるのではなく、むしろ成長しているのだ。物質的・合理的世界観から、宇宙的・超越的世界観への移行。それは、人生最後の発達段階なのだ。
そして、その理解が、葵自身の人生観にも影響を与え始めていた。
ある日の午後、葵は立花と最後の対話を持った。
「立花さん、今日は特別なお話をしたいのですが」
「ほう、何でしょう?」
「私、来月の学会で、この施設の取り組みと老年超越について発表することになりました」
「それは素晴らしい」
「でも、一つ疑問があるんです」
「何でしょう?」
葵は、ずっと心に引っかかっていた疑問を口にした。
「老年超越は、すべての高齢者にとって望ましい状態なのでしょうか?」
「興味深い質問ですね」
立花は少し考えてから答えた。
「正直に言えば、私にも分かりません。確かに、私は今、満ち足りています。しかし、別の生き方――活動的で、社会的で、目標志向的な老年期――それが間違っているとは思いません」
「では、老年超越は、一つの可能性に過ぎないということですか?」
「そうかもしれません。重要なのは、選択肢があるということです」
立花は強調した。
「問題は、社会が一つの老年期像――活動的で生産的な高齢者――だけを『正しい』とすることです。そうすると、老年超越を経験している人々が、自分を『異常』だと感じてしまう」
「確かに……」
「逆に、老年超越だけが『正しい老い方』だと主張するのも、同じ問題を引き起こします。重要なのは、多様性を認めることです」
「多様性……」
「ええ。ある人は活動的に老いる。ある人は瞑想的に老いる。ある人は社会的に関わり続ける。ある人は内省的になる。そのすべてが、等しく尊重されるべきです」
葵は深く頷いた。
「その通りですね。私たち専門職の役割は、一つの正解を押し付けることではなく、それぞれの人が自分なりの老い方を見つける支援をすることなんですね」
「その通りです、水瀬さん」
立花は微笑んだ。
「あなたは、それを理解しました。それが、あなたの成長です」
学会の日が近づいた。
葵は、プレゼンテーションの準備を続けた。エリクとも何度か打ち合わせをし、内容を洗練させた。
発表のタイトルは、「秋光の家における老年超越支援の実践――文化的文脈を考慮したパーソンセンタードケア」とした。
内容は、以下のように構成した。
第一部:老年超越理論の概要と、日本文化における表現
第二部:秋光の家の環境設計とプログラム
第三部:入居者との対話から得られた洞察
第四部:専門職の役割と課題
特に強調したのは、以下の点だった。
一、老年超越は病理ではなく、正常な発達段階である
二、文化的文脈が、老年超越の表現形態に影響を与える
三、バイオフィリックデザインなどの環境要因が、老年超越を促進する
四、専門職には、多様な老い方を尊重する柔軟な姿勢が求められる
学会当日、会場には百人以上の参加者が集まった。老年学の研究者、医療・福祉の専門職、行政関係者など、様々な立場の人々がいた。
エリクが最初に登壇し、老年超越理論の国際的な研究動向を説明した。
次に、葵が登壇した。
最初は緊張したが、話し始めると、自然に言葉が出てきた。
「私は、半年前までこの理論を知りませんでした。そして、高齢者の静かな過ごし方を『問題』として捉えていました」
葵は正直に語った。
「しかし、秋光の家の入居者の方々との対話を通じて、私は自分の視点の狭さに気づきました。彼らは衰えているのではなく、むしろ成長していたのです」
スクリーンに、施設の庭園の写真が映された。
「この庭園は、入居者の方々にとって、ただの景色ではありません。それは、宇宙とのつながりを感じる場所であり、生命の循環を実感する場所であり、時間を超越する場所なのです」
葵は、立花や中島、田中たちの言葉を引用しながら、老年超越の三つの次元を説明した。
「重要なのは、私たち専門職が、自分たちの価値観を押し付けないことです。高齢者一人ひとりが、自分なりの老い方を見つける――それを支援することが、真のパーソンセンタードケアなのだと思います」
発表は好評だった。
質疑応答では、多くの質問が寄せられた。
「老年超越に到達できない人々への支援は?」
「認知症の人でも、老年超越は可能か?」
「家族は、高齢者の変化をどう理解すべきか?」
葵とエリクは、できる限り誠実に答えた。
「老年超越は、目標ではなく、可能性です。到達できないことが問題なのではありません」
「認知症の人々も、独自の形で老年超越を経験している可能性があります。それを理解する研究が必要です」
「家族への教育が重要です。高齢者の変化を病理として見るのではなく、成長として見る視点を」
学会の後、何人かの参加者が葵のもとに来た。
その中に、一人の高齢の女性研究者がいた。
「素晴らしい発表でした。私は、三十年前にトルンスタムの論文を読んだ時から、この理論に注目していました」
「ありがとうございます」
「でも、日本ではなかなか理解されなかった。『離脱理論の焼き直し』だとか、『高齢者を諦めさせる理論』だとか言われて」
「そうだったんですか……」
「しかし、あなたのような若い世代が、この理論を実践し、広めようとしている。それは、とても希望的なことです」
女性研究者は、葵の手を握った。
「どうか、この仕事を続けてください。日本の高齢者福祉に、新しい風を吹き込んでください」
「はい、頑張ります」
その夜、葵は一人、ホテルの部屋で窓の外を眺めていた。
東京の夜景が、無数の光を放っていた。
半年前の自分からは、想像もできなかった場所に立っている。
老年超越理論という新しい視点を得て、高齢者との関わり方が根本的に変わった。
そして、自分自身の人生観も変わり始めている。
葵は、まだ二十代だ。しかし、すでに老年超越への旅路は始まっているのかもしれない。
人生の各段階で、少しずつ、物質的なものから精神的なものへ、自己中心的な視点から宇宙的な視点へと移行していく。
それは、長い旅だ。
しかし、その旅路そのものが、人生の意味なのかもしれない。
葵は、深く息を吸った。
明日、秋光の家に戻ろう。
立花たちが待っている。
そして、まだ学ぶべきことは、たくさんある。
超越への階梯は、続いている。




