第二章:静寂を選ぶ人々
葵が秋光の家で働き始めて二週間が過ぎた。
彼女は精力的に動いた。全入居者のカルテを読み込み、身体機能や認知機能の評価を行い、個別のリハビリテーションプログラムを作成した。グループ活動のスケジュールを見直し、より参加しやすい内容に改善する提案もまとめた。
しかし、入居者たちの反応は、葵の期待とは異なるものだった。
ある朝、葵は立花のもとを訪れた。彼はいつものように、談話室の窓際に座っていた。
「立花さん、おはようございます」
「ああ、水瀬さん。おはよう」
「今日は少し、お話をさせていただきたいのですが」
「どうぞ」
葵は立花の向かいに座り、持参したファイルを開いた。
「立花さんのために、個別のリハビリテーションプログラムを作成しました。週に三回、午前中に軽い運動を。そして午後には、頭を使うアクティビティ――パズルや計算問題などを取り入れたいと思います」
立花は穏やかに微笑んだ。
「それは、何のために?」
「認知機能と身体機能の維持のためです。研究によれば、規則的な運動と知的活動は、加齢による機能低下を遅らせることが分かっています」
「なるほど。機能の維持、ですか」
立花は窓の外に目を向けた。
「水瀬さん、あの木を見てください。あのモミジです。今、最も美しい紅葉の時期を迎えています。しかし、数週間後には葉を落とし、冬の眠りにつく。それは『機能の低下』でしょうか?」
「いえ、それは……自然の摂理ですね」
「そうです。では、人間の老いは?」
葵は言葉に詰まった。
「立花さん、でも人間は、可能な限り健康で活動的でいることを目指すべきだと思います」
「それは誰が決めたことでしょう?」
立花の問いかけは、批判的なものではなかった。純粋な疑問として、葵に投げかけられた。
「若い頃の私は、確かにそう思っていました。常に生産的で、活動的で、社会に貢献する。それが良き人生だと。しかし今、私は違うことを学んでいます」
「どういう……ことですか?」
「水瀬さん、私は今、人生で最も豊かな時間を過ごしているのかもしれません。ただ座って、庭を眺める。過去を思い出す。存在することそのものを味わう。これは、決して『機能の低下』ではないのです」
葵は戸惑った。立花の言葉には、確固たる信念があった。しかしそれは、葵がこれまで学んできた医学的・科学的知見とは相容れないものだった。
「でも、社会的な交流は――」
「必要ありません、とは言いません。ただ、若い頃とは質が変わったのです。かつては、多くの人と表面的に交わることを好みました。しかし今は、少数の人と深く、意味のある対話をすることの方が、心を満たすのです」
立花は葵をじっと見つめた。
「あなたの善意は理解しています。しかし、私に必要なのは『活動的になること』ではないのです。むしろ、この静けさの中で、私は何か重要なものに触れている。それが何かを、言葉にするのは難しいですが」
葵は何も言えなかった。
その後も、似たようなことが続いた。
中島春子に運動プログラムへの参加を提案すると、彼女は優しく首を横に振った。
「ありがとう、水瀬さん。でも私は今、別の種類の運動をしているの」
「別の……運動?」
「心の運動よ。過去を振り返り、整理し、受け入れる。若い頃の私は、先のことばかり考えていた。計画を立て、目標を追い、常に何かに駆り立てられていた。でも今は、すでに起こったことの意味を、ゆっくりと噛みしめている」
元建築家の田中誠一郎は、こう語った。
「設計図を引いていた頃、私は形あるものを追求していました。しかし今、池の水面を見ていると、形なきものの美しさに気づくのです。雲の反映、風の波紋。それらは一瞬で消えるが、だからこそ美しい。この年齢になって、ようやくそれが分かった」
元看護師の山本静江は、アルバムを手に語った。
「若い頃の写真を見ても、私は当時の自分を鮮明に思い出せます。まるで昨日のことのように。時間の感覚が変わったんです。過去と現在が、同じ場所に存在している。不思議でしょう? でも、これは決して記憶の混乱ではない。むしろ、時間を超えた視点を得た、と言えるかもしれません」
葵は、入居者たちの言葉に困惑した。
彼らは皆、明瞭に自分の状態を説明できる。認知機能に大きな問題があるようには見えない。むしろ、ある種の確信を持って、自分たちの過ごし方を選択しているように見える。
しかし、それでも葵には理解できなかった。
なぜ、活動的な生活を放棄するのか。なぜ、社会との関わりを縮小するのか。なぜ、ただ静かに過ごすことを選ぶのか。
ある日の午後、葵は職員室で桜井施設長と向き合っていた。
「施設長、率直に申し上げます。入居者の皆さんの生活の質を改善するため、もっと積極的な介入が必要だと思います」
「具体的には?」
「まず、集団活動への参加率を上げること。そのために、プログラムの内容を見直し、魅力的なものにする。次に、個別のリハビリテーション目標を設定し、定期的な評価を行う。そして――」
「水瀬さん」
桜井は穏やかに葵を制した。
「あなたの熱意は素晴らしいと思います。でも、一つ質問してもいいですか?」
「はい」
「入居者の皆さんは、不幸そうに見えますか?」
葵は言葉に詰まった。
確かに、彼らは不幸そうには見えなかった。むしろ、どこか穏やかで、満ち足りた表情をしていることが多い。しかし――
「でも、客観的な指標で見れば、社会的活動の減少や――」
「客観的な指標」と桜井は静かに繰り返した。「それは、誰の視点からの客観性でしょう?」
「医学的、科学的な……」
「その指標は、高齢期の幸福を測るのに、本当に適切なのでしょうか?」
桜井は窓の外を見た。
「水瀬さん、実は私も、かつてはあなたと同じように考えていました。三十年前、この施設を立ち上げた頃は、活動的な高齢者像を理想としていた。レクリエーションプログラムを充実させ、社会参加を促し、『元気な老後』を目指していました」
「それは、正しいアプローチだと思います」
「そう思っていました。しかし、ある時、一人の入居者に言われたんです。『桜井さん、あなたは私たちを、中年の延長として扱っている。でも、老年期は中年とは違う段階なのよ』と」
桜井は葵を見つめた。
「それから、私は学び始めました。老年期には、老年期特有の発達段階があるのだと。それは活動性や生産性ではなく、別の次元での成熟なのだと」
「別の次元……」
「ええ。うまく説明できませんが、入居者の皆さんを見ていると、何か深いものに触れているように感じるんです。若い私たちには、まだ理解できない何かに」
葵は反論しようとしたが、言葉が出なかった。
その夜、自宅に戻った葵は、モヤモヤとした気持ちを抱えたまま、ソファに座っていた。
彼女は優秀な作業療法士だった。大学時代の成績も良く、資格取得後は多くの患者のリハビリテーションを成功させてきた。エビデンスに基づく医療、科学的なアプローチ――それが彼女の強みだった。
しかし、秋光の家の入居者たちは、そうした枠組みでは捉えきれない何かを持っている。
葵はスマートフォンを取り出し、検索を始めた。
「高齢者 社会的撤退」
「老年期 うつ病」
「認知機能低下 初期症状」
様々な論文や記事が表示された。しかし、どれも入居者たちの様子を完全には説明できていない気がした。
ふと、別のキーワードが頭に浮かんだ。
「高齢者 精神的成熟」
検索結果の中に、見慣れない言葉があった。
「老年超越(Gerotranscendence)」
葵はそのリンクをクリックした。スウェーデンの社会学者、ラルス・トルンスタムという人物が提唱した理論らしい。
画面に表示された説明を読み進めるうちに、葵の目が見開かれていった。
物質主義から精神性へ。自己中心性から宇宙的つながりへ。社会的役割から内的充実へ。老年期は衰退ではなく、むしろ人生最後の発達段階――
それは、葵がこれまで学んできたこととは、まったく異なる視点だった。
しかし、同時に、秋光の家の入居者たちの言葉や行動を説明できる、唯一の理論のようにも思えた。
葵は夜遅くまで、関連する論文や記事を読み続けた。
宇宙的次元、自己次元、社会的次元。時間認識の変化、死への態度の変化、人間関係の再定義。
それらは、立花や中島、田中や山本が語っていたことと、驚くほど一致していた。
もしかして、彼らは病的な状態にあるのではなく、むしろ正常な――いや、ある意味では理想的な――発達段階にあるのではないか?
葵の胸に、新たな疑問と興味が湧き上がった。
同時に、これまでの自分の態度への反省も感じた。彼女は、自分の価値観を一方的に押し付けようとしていたのではないか。
翌朝、葵は再び秋光の家に向かった。
今日は、違う目で入居者たちを見てみよう。評価するのではなく、理解しようとする目で。
談話室に行くと、立花がいつもの場所に座っていた。
「おはようございます、立花さん」
「ああ、水瀬さん。おはよう」
葵は少し躊躇してから、口を開いた。
「立花さん、昨日のお話、もう一度聞かせていただけませんか? 今度は、私が理解しようとする番です」
立花は驚いたような、そして嬉しそうな表情を浮かべた。
「ほう。それは興味深い変化ですね」
「恥ずかしながら、私は自分の枠組みでしか、物事を見ていなかったのかもしれません」
「それに気づくことが、第一歩です」
立花は庭を指差した。
「では、まずあのモミジを見てください。そして、感じてください。説明しようとせず、ただ感じる。それが、私たちの世界への入り口です」
葵は窓の外を見た。
真っ赤に染まったモミジが、秋の風に揺れていた。




