表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/28

第五章:朝焼けの丘と、胸の痛み

空がまだ青黒い頃、ふたりは家を抜け出した。村は静まり返り、石の小道にも霧が薄くかかっている。エルラは赤いマントを肩にかけ、ラーグには祖母が使っていた茶色のフードを貸していた。


誰にも見つからぬよう、村の裏手から丘へと登った。草の露が靴を濡らし、吐く息が白くほどけた。無言のまま歩くうちに、ふたりの足音は自然と揃っていった。


やがて丘の上へ辿り着くと、東の空がうっすらと赤く染まりはじめていた。雲はまだ眠るように低く垂れ、空の端から光がにじみ出している。


「ここなの」


エルラは草の上に腰を下ろし、マントの裾を広げてラーグの隣に場所を空けた。ラーグもゆっくりと座り、静かに息をついた。


「きれいだな…」


「ね。何かを失ったときだけ、こういう風景が目にしみるって、昔、母が言ってたの」


ラーグはその言葉を聞いて、目を細めた。


「俺は失うのが怖くて、何も持たないようにしてきた」


「それは、怖いから?」


「そうだ」


ラーグははっきり言った。肩をかばいながら、朝焼けに照らされた自分の手を見つめた。


「戦場では、仲間が倒れるのを見ても、自分に言い聞かせる。“平気だ”、“こんなものだ”、“失っても、仕方ない”って。でも……」


言葉が途切れた。エルラは彼の横顔を見つめ、そっと問いかけた。


「でも?」


「君を見ていて、違うと分かった。怖いから、持とうとしなかった。つながることも、心を向けることも。それが勇気だと思ってた。でも、そうじゃなかった。…俺はただ、臆病だっただけだ」


エルラは風の音を聞いていた。その風は、山を越え、森を渡ってきたはずだったが、どこか柔らかく、やさしい音だった。


「私もね、似てる」


彼女はぽつりと言った。


「失っても平気。そう思うようにしてたの。誰かと深くかかわれば、きっと離れてしまうから。それなら、最初から独りでいいって。でも今は――あなたがいなくなることを考えると、胸が苦しくなる」


ラーグがゆっくりと顔を向けた。朝日がその瞳に反射し、琥珀のように光った。


「じゃあ、どうする?」


「怖いけど……ちゃんと怖がるわ。そして、ちゃんと大事にする」


彼女の手が、そっと草の上に伸びた。迷いのない動きではなかった。それでも、その手は震えながらも、しっかりとそこにあった。


ラーグは迷わず、その手をとった。


「なら、俺も」


握り返した手は、傷ついて硬く、けれど温かかった。言葉の代わりに、掌から掌へ伝わる何かがあった。過去を耐える力ではなく、これからを信じるための、小さな勇気。


陽が顔を出した。丘の下の畑に光が射し、霧がすっと消えていった。ふたりは並んで座り、しばらく何も言わず、ただその朝を見つめていた。


世界は変わっていなかったが、ふたりの心は確かに、昨日とは違っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ