第二十八章:交わらずとも、寄り添えば
それは朝露の残る、静かな夏の早朝だった。
薬草園の一角、エルゼンとルレアの間に現れた、名も知らぬ第三の芽が、
小さな蕾をひらいた。
その花は、どちらの色にも似ていなかった。
青でも緑でもない、淡い乳白の花びら。
まるで朝霧が形をとったような、不思議な佇まいだった。
エルラとラーグは、しばらく言葉もなくそれを見つめた。
ふたりのあいだに咲いたその花は、
どちらかの特徴を継いでいるわけでも、均等に混じっているわけでもない。
それなのに――不思議と、ふたりどちらの気配も、そこにあった。
「…思ってたのと、全然違う」
エルラの声は、少し震えていた。
「もっと、こう、特徴がはっきり出ると思ってた。
でもこれ、まるで…別の誰かみたい」
ラーグはうなずいた。
「どっちが勝つでも、折り合うでもない。
ただ、間にできた“なにか”。
…なんでだろう。見てて、すごく安心する」
ふたりはふと目を合わせ、静かに笑った。
それは“混ざった結果”ではなく、
ふたりが“無理に重ならず、ただ隣に立ち続けた結果”――
そこから自然に育ったものだった。
その日から、ふたりは薬草園の案内を変えた。
エルゼンとルレアの育成記録の間に、
「間に咲いた無名の草」という項を追加し、こう記した。
「異なるものが、混ざらずに並び立ち、
ただ互いを認め合って育ったとき、
そこに新しい命が芽吹くことがある。
それはどちらの真似でもなく、模倣でもなく――
まったく新しい関係の形。」
この記録は、訪れた人々の心にさまざまな形で届いていった。
ある夫婦は、口論のあと黙ってこの草を見つめ、そっと手を繋いだ。
ある見習い魔法士と薬草師の弟子は、
自分たちのやり方を貫きながら、互いに補い合うようになった。
「違いがあることは、恐れることじゃない」と、誰かが言った。
そして何より、エルラとラーグの関係が、
目に見えぬほど少しずつ、でも確かに深まっていった。
ふたりは、同じ目標を追いながら、
無理に足並みを揃えようとはしなかった。
それでも一歩先に進むときは、自然とどちらかが手を伸ばしていた。
ある日、ラーグが言った。
「“良いもの”同士を組み合わせたら、必ず良い結果になると思ってた。
でも、君と一緒にいてわかったんだ。
重ならない強さってある。
それぞれのままでいて、支え合う強さ」
エルラは微笑んだ。
「あなたが隣にいることで、わたしは自分でいられる。
それって、きっと何かを“混ぜる”より、大事なこと」
ふたりの間には、沈黙が落ちた。
でもそれは寂しさではなく、あたたかな余白だった。
そしてふたりは、あの“無名の草”にもう一度水をやる。
名前はまだない。
でも、名前がなくてもいい。
それは、ふたりのあいだに育った、たったひとつのものだから。
まるで、言葉にするより先に伝わるような――
そんな想いそのものだった。




