第十六章:問いかける者たち
数日後、街の代表を務める評議員の一団が、研究所に視察に訪れた。
見た目は穏やかだが、背後には中央の規範を重んじる旧派の意向もちらつく、堅牢な空気が漂っていた。
長いローブを着た一人の評議員が、展示されていた発酵保存薬を手に取り、静かに言った。
「この配合…規定量より水分が多い。これを常用保存薬として認めるのは難しいかもしれませんな」
場が一瞬、凍りついたように感じた。
だが、ユリナが前に出て、やや震える声で口を開いた。
「…でも、それが効くと村の人たちが何十年も証明しています。私たちはまだ、方法の“理由”を探る途中です。でもそれを理由に否定するのは、科学ではなく、思い込みではないでしょうか」
評議員のひとりが眉を上げた。
しかしもうひとりの老評議員が、深くため息をついて言った。
「昔、私も似たことを考えていた。だが組織の中では、型を守ることで秩序が保たれる。それもまた事実だ」
そのとき、ラーグが一歩前に出た。
「守ることと、思考を止めることは別だと思います。型の中で考えることもできる。でも、型の中にしか正解がないと思い込むのは、盲目になることと同じです」
評議員たちは静かにうなずいた。
そして、何も言わずにその保存薬を机に戻した。
去り際に、老評議員がぽつりとラーグに言った。
「我々も、時に“問い返される”ことが必要なのかもしれませんな。…お見事でした」
その言葉を聞いた研究所の若者たちの間に、はっきりとした空気の変化が生まれた。
それは「許された」でも「認められた」でもない――
“自分で考えてもいい”という、目覚めの空気だった。
その夜、村の広場で開かれた簡素な宴の中、若い薬師がラーグにこう言った。
「…自分で判断するのが、こんなに怖いなんて思ってなかった。
でも今は、正直すごく、自由です」
ラーグは微笑んで答えた。
「怖いままでいい。答えがなくても、堂々と悩んでいい。
正しさって、きっと“結果”じゃなくて、“姿勢”なんだと思う」
月が中空に差しかかり、灯火の下でエルラが小さく頷いた。
「…あの日、あなたが助けを拒まなかったように。私が差し出した手を“ただの手”として受け取ってくれたように。
きっと、“正しさ”って、そういう瞬間の中にあるのよね」
それは、静かな革命だった。
誰かが「正しい」と決めたものに、ただ従うのではなく、
“それはなぜか?”と問いかける勇気が、村にも街にも広がっていた。
そしてその輪の中心に、特別な力を持たない、ただのホビットの女と、一人の人間の男が立っていた。




