第十一章:与えるのではなく、分かち合うこと
新しい研究所の建設は、村の北端――かつてラーグが倒れていた森の入り口近くで進められていた。
建設は順調に進み、村の者と街の職人たちがともに作業を進める姿は、数か月前には想像もできなかった光景だった。
けれど、そこには目に見えないわずかな違和感があった。
「この作業、こっちのやり方でやった方が早い。慣れてるんだ」
街の職人が言うと、村のホビットの男は少し口をつぐみ、うなずいた。
「はい、分かりました」
エルラはその様子を見ていた。
彼女は気になって、その男――若い香草採りのベルドに声をかけた。
「さっきの作業、街の人に任せたけど、何か困ったの?」
「……いや、別に。でも、本当は、ここの地盤は柔らかくて、あの手法じゃ崩れるかもしれないんだ」
「それ、伝えなかったの?」
ベルドは苦笑いした。
「言ったよ。でも、“北方式に任せればいい”って言われてさ。反論したら、また“教えてもらってる立場”だって顔されるんだ。いや、悪気はないんだろうけど」
その言葉に、エルラの心が静かにざわついた。
同じようなことが他でも起きていた。
街から派遣された薬師たちは熱心で、村の技法に耳を傾ける姿勢も見せていた。
だが、どこかで“教えてあげている”という雰囲気が、村の中に広がっていた。
その夜、エルラはそのことをラーグに話した。
彼はしばらく黙っていたが、やがてぽつりと呟いた。
「…俺も、していたかもしれない」
「え?」
「村に来たころ、怪我を癒され、助けられ、でもどこかで“返さなきゃ”と思っていた。“彼らに何かしてあげる”ことで、自分の価値を示そうとしてた。恩返しのつもりが、傲慢だったんだな」
エルラは目を伏せた。
自分にも思い当たる節があった。
街の者に教えるとき、知らず知らずのうちに“わかっていない人に説明する”という態度になっていた。
「教える」という行為が、どこかで「上下」を生んでいたのかもしれない。
ふたりは、思わぬかたちで自分たちがかつて否定した構図を、再現してしまっていたのだった。
翌朝、ラーグは工事現場に立ち、全員を前に言った。
「この研究所は、“知恵を共有する場”として建てられている。だが、いまのままでは、“片側から与える場”になってしまう」
街の職人たちは戸惑ったように顔を上げ、村の者たちは驚いたように見つめていた。
「俺も気づいていなかった。だが、間違っていたのは俺たちの方だ。ここにいる全員が、同じ目線で学び合わなければ意味がない」
しばらく沈黙があった。
やがて、ホビットのベルドが小さく手を上げた。
「昨日、基礎の木材の沈みが少し早い気がして。たぶん、下に粘土層がある。こっちの地図じゃ、昔からそうなんだ」
「それは重要だ」
街の職人が言った。
「すぐに改めよう。地図を見せてくれ」
ラーグが、エルラに目を向けた。
彼女は小さくうなずいた。
その日を境に、作業現場の空気は変わった。
教えるのでも、助けるのでもない。
分かち合うという姿勢が、静かに広がっていった。
街の薬師が、村の少女の手をとりながら言っていた。
「君の言った配合、試してみた。私の調合より、香りが残ったよ。すごいな、これは…学ばせてもらうよ」
少女は照れながらも誇らしげに微笑んだ。
その夜、エルラとラーグは村の木道を並んで歩いていた。
「ねえ、思い出したの。あのとき森であなたに手を伸ばした時、私、心のどこかで“助けてあげる”と思ってた」
「俺も。君に“返さなければ”と」
「でも…あれが間違いだったと気づいて、今やっと、こうして並んで歩いてる気がするの」
ラーグはうなずいた。
「誰かを変えるなんて、できないんだな。変わるのは、その人自身だけだ。ただ――そのきっかけにはなれるかもしれない」
「うん。だから、何かを“してあげる”んじゃなくて、“一緒にいよう”って、そういう関係でいられたら、それがいちばんの贈り物よね」
風が吹き、木の葉が揺れた。
ふたりの間に、言葉ではなく、共感の静けさが広がっていた。




