第十章:未来が笑うほうへ
街から使者が再びやって来たのは、夏至を迎える直前だった。
ラーグとエルラが応対に出ると、彼らは軽く頭を下げてこう言った。
「新しく建てる薬草研究所に、監修者として名を連ねてほしいのです」
「私たちに?」
エルラは驚いて言った。
「技術の出処としてだけではなく、“協力のかたち”そのものを見本にしたいと、評議会が決めたのです」
ラーグはしばらく黙っていた。
その表情はかつての、何かを疑うような堅さはなく、ただ静かに何かを測っているような深さがあった。
「いいだろう。ただし、条件がある」
「条件?」
「名は、ふたりで出す。“ひとりではなし得なかったことだ”と、明記してもらう。俺がどこから来た者かも、隠す必要はない」
使者たちは顔を見合わせ、やがて誠実にうなずいた。
「それで問題ありません。むしろ、伝えたいのです。“種族の違いを超えた協力”が現実だったということを」
その言葉に、エルラは目を伏せたまま微笑んだ。
胸の奥にずっとあった、小さな想いが形になっていく感覚があった。
彼らの知らぬうちに、村の若者たちの間では“北の方法”を学ぼうとする小さな集まりがいくつも生まれていた。
最初は冷やかされていたノラドも、いまでは熱心な記録係になっている。
「こんなに一生懸命になれるなんてな…想いだけじゃ何も動かないって、ずっと思ってたけど」
「じゃあ今は?」
エルラに問われ、ノラドは照れくさそうに言った。
「想って、動いたら、ちゃんと道が見えた。あんたたちの言ってたこと、少しだけ分かってきた気がする」
ラーグはその様子を見ながら、小さくうなずいた。
誰かの思い込みが静かに変わっていく。
かつての自分のように、「無理だ」と思っていた者たちが、ひとつずつそれを手放していく。
その夜、村では小さな宴が開かれた。
研究所の設立が決まり、村の名前が文書に記されることになった祝いだった。
それは特別な晩餐ではなかったが、パンもスープも香草の香りも、どこかやさしく、未来を思わせる味がした。
ふたりは皆の輪から少し離れた場所に腰を下ろした。
風が通り、草の匂いがしていた。
「なあ、エルラ」
「うん?」
「俺たち、何か大きなことをしたのか?」
エルラは目を細めた。
遠くの灯が揺れていた。
「ううん、たぶん……とても、とても小さなことを重ねたの。でもね、きっと大事なのは、どれだけ想ったか、じゃなくて――」
「想いを、やめなかったことか」
「そう。続けたこと。迷っても、恐れても、続けたこと」
ふたりは見つめ合い、やがて顔をほころばせた。
笑ったその顔には、喜びだけではなく、これからの期待が宿っていた。
想いは、目に見えない。
だから人は「意味がない」と言いがちだ。
けれど、積もれば形になる。
重なれば道になる。
誰かと手を取れば、世界の手触りを変えることだってできる。
その夜、焚き火の煙がゆっくりと空へ昇っていった。
街と村の灯がつながるように。
過去と未来が溶け合うように。
ふたりの想いが動かした世界は、まだ小さくて頼りない。
けれど確かにそこに在り、喜びと希望を乗せて、
誰もが少しだけ、明日を信じたくなるような風を、
いま、村じゅうに吹かせていた。




