第一章:石壁の村と月灯りのホビット娘
リンダリー村は、白い石壁に囲まれた小さな集落だった。東の山脈と西の森に挟まれ、霧の谷にぽつんと浮かぶように存在している。ここにはホビットたちが住んでおり、代々変わらぬ生活を静かに営んできた。
ホビットたちは頑なだった。森の向こうに住むエルフたちとは滅多に交わらず、山脈を越えてくる人間たちのことは「騒がしい者ども」と呼び、忌み嫌った。
「人間なんて大きな声で笑ってばかりで、喧嘩と商売しか頭にないのよ」
パン屋の老女がそう言えば、村の子どもたちは笑い、年寄りたちは鼻を鳴らした。
だがエルラは違っていた。
エルラはまだ若かった。春の花のように可憐で、栗毛色の髪を緩く束ね、赤いマントを肩にかけて森を歩くのが日課だった。他のホビットたちが庭の畝を整えている間、彼女は鳥の歌や風の音を聴いていた。村の者たちは「変わり者」と呼んだが、エルラはそれを気にしなかった。
ある月の高い夜、エルラは森の奥に光る何かを見つけた。焚き火のような、だが赤くなく、どこか青白い光。近づいてみると、そこにはひとりの人間の男が倒れていた。肩から血を流し、衣服は泥にまみれている。若く、髪は黒く長く、顔立ちは端正だったが、今は痛みに顔を歪めていた。
「…誰?」
思わず問いかけたが、返事はなかった。男の胸はかすかに上下しており、生きていると分かるとエルラは息をのんだ。
「このままでは死んでしまうわ…」
けれど、ホビットの掟では「外の者」を村に入れてはならぬ。ましてや人間。見つかれば、彼女も村から追い出されるかもしれない。
だがエルラはその目を見た。眠るように閉じられていたが、確かに先ほど、一瞬だけ、彼女を見ていた。
「助けてくれ」という言葉を、その瞳が語っていた。
エルラは決意した。自分の背丈ほどもある男を、どうにかして家まで運び、地下の倉に隠した。家族には薬草採りで遅くなったと嘘をついた。
数日間、彼女は男を看病した。水を与え、薬湯を煮詰め、血を拭い、泥を洗った。やがて男は目を覚まし、弱々しく口を開いた。
「……どこだ、ここは」
「黙っていて。あなたはまだ喋らない方がいい」
「君は…ホビットの…」
彼の目が、驚きと恐れと、何より不信に揺れていた。
「ホビットに殺されると思った?」
彼女は微笑んだ。
「安心して。少なくとも私は、そんなつまらない迷信を信じてないから」
男は、ほんの少しだけ、笑ったようだった。