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初夜、月明かりの降り注ぐ部屋に

「みんな一緒に現実の世界へ!」

 僕らが生活するこの部屋の扉にそう書かれた紙が貼ってある。紙はちょうどA4サイズくらいの大きさで、少し薄い茶色をした木目模様が浮かんでいる扉の上でそれは異様な存在感をはなっていた。おそらくこの紙は全ての部屋の扉に貼ってあるのだろう。「みんな一緒に現実の世界へ」、それはまさしく僕らがここにいる理由そのものだ。

 この部屋は洋室で、扉からみて左側にはベッドが2台少し間隔をあけて並べてある。右側には壁に沿って勉強机と書棚が置いてあり、扉の隣にはウォークインクローゼットが備え付けられていた。他の同級生達の部屋へ入った事はないが、おそらくどの部屋もここと作りは同じなんだろうと思う。僕が初めてこの部屋に来た時からその見た目も雰囲気もほとんど変わっていない。

 ふとベッドの上の壁にかけてあるクォーツ式の掛け時計に目をやると、時刻はすでに11時を回っていた。真鍮でできた金色の振子がぶらぶら揺れている。

「ヒロ君、そろそろ先生が部屋に来るよ」

 僕がそう言うと彼はベッドに寝転びながら読んでいた本を閉じて起き上った。

「もうそんな時間か」

 軽い舌打ちが聞こえる。ヒロ君は僕のルームメイトだ。彼は黒い髪の毛を真っすぐ肩の少し上まで伸ばしており、前髪も顔の半分くらいを覆うあたりの長さまで伸びていた。そのせいで耳は隠れているし、眼もほとんどが前髪で覆われている。まだここに来たばかりのころは同じ部屋に住む彼を見てはおびえていたが、今ではほとんどそんなことも無くなった。確かに彼の口調や態度は時々乱暴になったりもするけど、基本的にはいい奴だった。それに僕は、おそらく彼自身以上に彼のことをよく知っている。間違いなく、彼はいい奴だ。


 ヒロ君が本棚に今まで読んでいた本を納めるのと、扉からノックの音が聞こえたのはほぼ同時だった。

「はい」

 返事をすると、扉の向こうから声が聞こえる。

「あぁ、その声は嶺弥(みねや)君だね。悪いんだけど時間だからさ、今部屋に入っても大丈夫?」

 ちらりとヒロ君の方を見ると、彼は自分のベッドの上に座りながら僕に合図をした。

「大丈夫ですよ。今開けます」

 チェーンをはずし、扉を開けると案の定そこに立っていたのは下大園先生だった。

「ありがとう、毎晩毎晩悪いね。でもこれも僕らの仕事なんだ。それじゃ、ちょっとお邪魔するよ」

 軽い笑顔でそう言うなり彼は僕らの部屋に入ってくる。

「下大園先生も毎晩大変ですね。正直なところ面倒ではないんですか?」

 そう言ったのはヒロ君だ。ベッドに座りながらほとんど前髪に覆われているその眼で、僕の勉強机の椅子に座ろうとしている下大園先生を睨めつけていた。

「お気づかい感謝するよ、廣也君。でも全然面倒じゃない。むしろ僕は毎晩君たちの話を聞くのを楽しみにしているくらいなんだ。だから今日もよろしくたのむよ」

 下大園先生は毎晩同じ格好をして僕らの部屋に来た。黒いナイキのTシャツの上に真っ白の白衣をはおっており、下にはボロボロのジーパンを履いている。そしてなぜか頭にはいつも黒いニット帽をかぶっていた。年齢は見た感じだとおそらくまだ20歳くらいだ。ここの先生の中でも一番若いんだと、彼はこの前言っていた。

 僕は扉を閉め、自分のベッドに下大園先生と向かい合って座った。そのとたん、部屋の中の空気が微妙に変化するのを感じた。どこかひんやりとした緊張感が部屋全体をおおってしまう。毎晩この感覚を味わっているのにもかかわらず、僕はどうしてもそれに慣れることができないでいた。手の平が汗で湿っているのが分かった。

「それじゃぁ始めようか。まずは、嶺弥君からでいいかな。今日何か変わった事はあった?」

 僕とヒロ君に向かいあう形で勉強机の椅子に座っている下大園先生が尋ねた。

「特に何も。いつも通りの一日でした」

 そう言って僕は今日朝起きて学校へ行ったこと。食堂で食事をしたこと。この部屋で何もせずにくつろいでいたこと。ほぼ毎日彼に伝えているのと同じ内容の事をたんたんと伝える。いつもはそれで通じるはずだった。

 ふと気づくと彼は僕のほうを見るのではなく、ベッドの上の壁に掛けてある時計を見ていた。僕もそちらを振り向くと、最初に彼が部屋に入ってきてからすでに10分以上経っていた。ふと、奇妙な違和感が僕の頭をコツンと叩いた。この時計、何かいつもと違うような。しかしその違和感が一体何なのかを考えようとした時、下大園の先生の話し声がそこに割り込んできた。

「なるほど。じゃぁ今日はあの声、聞こえなかったんだね?」

 思考をいったん中断し、時計から視線をはずして先生のほうを向く。視界の隅で隣のベッドに座っているヒロ君が拳を強く握っているのが分かった。大丈夫だよ、ヒロ君。僕は心の中でそっとつぶやく。

「はい、今日も聞こえませんでしたし、いつも言ってるように最近はあの声が聞こえるという事は全くないです」

 これは嘘だ。

「そうか。じゃあ廣也(ひろや)君はどう?今日何か変わった事は?」

 この部屋に入ってきたときと同様一切崩さない笑顔と相変わらずの軽い口調で尋ねる。

「僕もいつもと変わらない一日を過ごしただけです。特に今ここでお伝えすることもありません」

 先生と視線を重ね合わせて低い声でそう答える。

「そうか、二人ともいつも通りの答えだね。まぁ何もないってのはいい事だよ。それじゃ、最近不安に 思ってることとか僕に言いたいことはある?」

 しばらくの沈黙の後、ヒロ君が唐突に口を開いた。僕はちらりと彼のほうを見た。自分の心臓の鼓動が速くなっているのが分かる。トクン、トクン、トクン。その時なぜか、自分の背後にかかっている時計の、いつもぶらぶら揺れている振子の事が頭に浮かんだ。

「先生、いつもやってるこれって何か意味があるんですか?」

「これっていうと?」

静かな声で先生が言葉を返す。

「先生が毎晩僕らの部屋に来て毎日の出来事とか、不安に思ってることとか、色々質問してくることです。他の部屋の子たちも言ってますよ、毎日毎日うんざりだって。どうしてこんなことするんです?」

先ほどよりも大きくはっきりとした声でヒロ君が言った。ああ、と一つ間をおいてから先生が答える。

「君らも本当なら今は中学二年生のはずだ。僕がなんでこうやって君らの部屋を毎晩回っているのか少 し考えれば分かるはずだよ。それに廣也君、君の場合は特別だ、他の子たちとは少し事情が違う」

 ハっとしたようにヒロ君は目を見開き、そしてそのまま先生を睨めつけた。

「去年の冬、君自身が起こした騒動を忘れたわけではないだろう?君はあの事件以来、教員からも、所員からも注目されているんだ。そのことをもっと自覚したほうがいいと思う」

 ヒロ君はそれっきり黙ってしまった。拳を強く握り締め、ひたすら先生を睨んでいる。しばらくの沈黙の後、先生が立ち上がり、僕らのほうを見た。

「それじゃあ今日はここまでにしとこうか。明日も君らは学校があるし、僕もまだ他のこの部屋に行かなくちゃならないからね」

 そう言うと先生は壁に掛けてある時計をちらりと見て、それからふっと笑った。

「あとそうだ、嶺弥君。あんまり隠し事をするのや嘘をつくのは良くないな。嘘とかつかれちゃうと僕がこの部屋に毎晩来る意味がなくなっちゃうんだ。明日からはよろしく頼むよ」

 そう言うと先生は足早に部屋を出て行ってしまった。僕はそれからしばらくその場から動くことができなかった。


 ベッドから身体を起こすと、張り出し窓から降り注ぐ月明かりが静かに僕とヒロ君の勉強机の上に降り注いでいるのが見えた。結局先生が部屋を出て行った後、僕らは一言も言葉を交わさなかった。

 今日はもう何も話したくない。そんな声が静かに俯いているヒロ君の全身から一斉に聞こえてくるようだった。ヒロ君は毎晩先生が僕らの部屋に来ることに不満をもっていたようだし、先生が部屋を出て行った後不機嫌になることはよくあったけど、それでもこんなふうに無言でじっとしてることはめったにない。おそらく先生が口にした、あの事件の事が原因なんだと思う。あれ以来、ヒロ君は時々普段とは違う表情を見せるようになった。それは僕が以前ここに来る前、僕の友達の顔に見た表情だった。世界や自分自身に絶望し、全てから逃げ出したいと思っている表情。

 それに今日に限っては僕もあまり言葉を交わすような気分はなれなかった。まだ自分の頭の中の整理ができていないのだ。下大園先生は僕の嘘に気付いている。部屋を出るときの先生の言葉が未だに頭から離れなかった。


 


 

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