08_マヨウ森②
「まだ道があるわ! 今度は北に逃げたよラック……ラック……?」
「……ん、北? わかった……ありがとう……」
雨が降ってから何度分かれ道を進んだだろうか。
いまでは倒し損ねたドクドクバチの数が十を超え、全てがラックを狙っている。
刺さった毒針は数十以上。針は浅いため抜いてはいるが、蓄積された痛みと毒は現在も継続中。
加えてこの大雨で、寒気までもが襲いかかる。出血箇所も増えていき、所々が赤く染まっていた。
「エリー……まだ、走れる?」
「う、うん、わたしは大丈夫。だけどラックが」
「問題ないよ、まだいける……だからリスを、見失わないでいてくれ……」
ラックの限界が近い。
体は重たく、寒いうえに痛い。走るどころか目を開けているのもしんどいくらいだ。
「俺がエリーを守るんだ……」
揺るがない決心で、ラックは小さく呟く。
これ以上、エリーを心配させてはいけない。
ここがラックの踏ん張りどころだった。
白いリスが北に逃げ、無情にも増える魔物の数。今度は五匹。グリンスライムとバブルフラワーが一匹ずつ。ドクドクバチが三匹。
その中で、他よりも遥かに小さいドクドクバチがいた。他のドクドクバチは全長約六センチに対し、一センチという極小の蜂。
「あれってまさか……」
基本種と異なる大きさ。
即ち、変異種。
息を整え、ラックは出せる限りの全速力で走った。グリンスライムとバブルフラワーは速攻で麻痺らせ、白いリスを逃がすように魔物の前に回り込む。
ドクドクバチの群れがラックを襲い、立て続けに毒針が放たれた。
短剣で全ては防ぐのは無理と判断し、あの針のみに集中する。
変異種の放つ、毒針だけを防ぐ。
「やってみせるさ……かかってこい!」
一発、二発、三発、四発。
全身毒針だらけで、いつ倒れてもおかしくない。
それでもラックはどっしりと構えたまま、変異種の毒針だけに意識を向ける。
「……ここだ!」
飛んできた場所は、ラックの右目。ギリギリまで引き付けてから刃の面で受け止め、毒針を地に弾かせた。
即座にラックが短剣を突き刺すと、変異種は一撃を貰うだけで消滅していく。
「……あとはもう、逃げる!」
他のドクドクバチに攻撃する余力はもうない。ラックはエリーと白いリスの後を追いかけた。
この変異種『ドクドクバチ』は小型ながらも猛毒の針を持ち、刺さればまず気を失ってしまう。当たり所が悪ければ短時間で死に至るだろう。
だから、変異種の毒針だけは絶対に防ぐラックの判断は正解だった。
変異種は針を撃った後の反動がなく、小ささを活かして機敏に飛び回るので、攻撃を当てるのもより困難になる。
反面、体力はないに等しく、数値で例えれば1である。当たりさえすればラックですら一撃で倒せてしまう。
本来ならラックの実力では当てるのは難しい。十回に一回当たれば運が良いぐらいだ。
この一連の流れは、疲労困憊で絶望的な状況下だからこそ成し遂げられたもの。極限まで追い詰められることにより、ラックの集中力は異常なまでに高まっていた。
ラックは変異種『ドクドクバチ』を倒した。
「ラック……ねえ、ラック!」
転びそうなのを必死に耐え、ラックはひたすら走る。
この道を乗り越えてもまだ次がある。
次の魔物は倒せるだろうか?
「ラック! 外だよ外! 外に出られたのよ!!」
「え、外……?」
エリーの呼びかけで、ようやく景色の変化に気づく。
囲まれていた木々はなく、魔気も生じていないので魔物の群れも追ってこない。相変わらずの雨天だが、さえぎるものは存在せず雨雲は全て見えている。
ラック達は、マヨウ森から脱出していた。
「やったねエリー、これで先へ進めるよ……」
「うん、うん! ラックがすごくすっごくがんばったからよ! ……ラック?」
足から順に地面と触れ、最後は頭が接触する。
集中力が切れ、ラックはとうとう倒れてしまった。
「ラック!? ラック、しっかりして!!」
ひとまずラックを仰向けにするも、次にどうすればいいかわからないエリー。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう……」
最優先は毒の除去。
だが、解毒剤なんてものはエリーが所持しているわけもなく、出血すら止められない。
ここにいるだけではラックの容態が悪化するだけだ。ただでさえ毒が回っているのに、この雨で余計に体が冷え切ってしまう。
そうなると、エリーがやれることは。
「……ラック、もう少しだけがんばってね」
ラックを無理やり担ぎ、エリーは前へと進み始めた。
地図上ではマヨウ森の少し先に街があるはずだ。そこに治療のできる医者や教会があれば助かるだろう。
肝心なのは、間に合うかどうか。
視界は暗くてなにも見えない。エリー達は知らないがいまは深夜の時間帯、近くに街があっても街明かりは見えそうになかった。
「ラック、大丈夫だから、きっと助かるから、だから……死なないで」
返事はないが息はある。時間との勝負だ。
とはいえ、非力な少女が鍛えている少年を担いで移動するのは相当厳しい。エリーの体力も底が近く、下手をすれば共倒れだ。
「きゃっ!?」
足元が見えづらいせいか、エリーはつまづいて転んでしまった。
丁度水たまりができていたようで、余計に体が寒くなる。
「うう……わたしがここで踏ん張らなきゃ……」
起きたくとも体が動かない。
強い意志とは裏腹に、エリーの体力はとうに限界だった。
エリーの顔はぐしゃぐしゃに濡れていて、どれが涙かもわからない。
自分の無力さが、ただただ悔しかった。
無情にも時間だけが流れていく。
やがて、雨音に混じって足音が聴こえてくると。
「誰……?」
エリーの前に現れた者は。
「あの森から強大な魔力を感じたって? 珍しいな」
「そーそー! それもただの魔力じゃないね、おそらく星を利用してる」
「星……? まさか、星魔法か!」
「そのとーり! もしかしたら噂のあの子かもしれないよー? 星魔法を使える子なんてそーそーいないもの」
「もし本物だとすれば……貴重な戦力だ。なんとか現在地を突き止めてくれ」
「はいはーい! 少し時間もらうからねー」
「もし会えるのなら、これほど楽しみなことはない……なあ、星の魔女!」