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燕空旅人 「我が恋は」

 仕事を終えて、いつも通りに地下鉄と電車を乗り継いで帰宅する。

 マスクを外して、手洗いうがい。

 冷え切った部屋に起動したばかりのエアコンの音が響く。

 夕飯の前に引き出しを開けて、チョコレートを食べようかどうしようか悩む。眺めるだけにして、また蓋を閉めた。

 台所で、冷蔵庫の扉を開ける。

 中には昨日切った野菜たち。どうしようか。

 ビニル袋ごと並んだ野菜を眺めて考えるが、いきなり新メニューも思いつかないので、コンソメ顆粒でスープにすることにした。昨日のカレーもまだ余っている。


 何でこんなに野菜を切ったのかなぁと呆れながら、ことことと煮る。明日は帰りにパンを買って来ようと思った。

「しらすあなご」さんなら、何を作るのかな。

 作品だとファンタジー要素多いけれど、なんとなく和食のイメージがあるな。ああ、違う。和菓子が好きだって言ってたんだ。チョコレートが美味しかったから、「しらすあなご」さんもチョコレートとか、そういう洋菓子が好きなのかなと思って聞いたんだった。

 和菓子かぁ。桜餅とかそろそろ美味しそうですねって言ってたもんなぁ。

 ご飯も和食の方が好きなのかなぁ。

 一緒に食べたら楽しそうだなぁ。


 …………。


「いやいやいやいや、ちょっと待て」


 いつの間に、ご飯に誘うどころか、家に招いてご飯食べさせているところまで妄想してた。


「あ〜、頭の中がおかしい」


 片手で顔を覆って、片手でおたまを鍋の中でがしゃがしゃと動かして正気に戻ろうと頑張ってみた。

 だめだ。顔がゆるんでる。


「……頭、おかしい」


 狭い台所でぶんぶんと頭を振った。



 * * *


 翌日、また高木に捕まって、外に昼飯を食べに行くことになった。

 そして、店に向かう途中で断言された。

「先輩、ヘタレっすね」

 うるさい。


 黙食に適したひと口目から箸が止まらなくなるラーメン屋で、味噌タンメンと坦々麺をそれぞれ平らげた後、ぶらぶらと歩きながらダメ出しを貰い続けた。


「なんでホワイトデーっていう立派な理由があるのに、デートに誘わないんですか」

「デートじゃないだろ。付き合ってないんだから」

「じゃあ、さっさと付き合えばいいじゃないですか」

「お前なぁ!!」

 世の中全ての男がお前みたいな感覚で生きてないんだよと、酒の席でもさんざん言ったはずなのに、酒の席のせいか全然覚えていてくれない。


 マスク越しに睨むが、心底訳が分からないという顔をされる。腹立たしいことこの上ない。


「ネット上のやり取りの他は、1回だけ電話した相手に告白されて『はい』って言うか?」

「ネット上の恋人だってアリですよ、今の時代」

「オレはネット上じゃなくて、現実の恋人が欲しい」

「なら、会いましょうって言えばいいじゃないですか」

「あ、コンビニでコーヒー買う」

「ちょっと、先輩〜!」


 無言でコンビニに向かって歩く。会計を済ませてコーヒーのカップを置いて、ボタンを押す。

 隣に高木が並んで同じようにコーヒーのカップを入れていた。


「…なんで先輩がこんなに面倒くさい人なのかは、放り投げておきますけれど」

「…面倒くさい…?」

「先輩がそんなに幸せそうな顔をするくらい好きな人なら、逃しちゃダメですよ。後悔するし、死にたくなると思います」

「え、死ぬの?」

「先輩ならあり得そうっすね」

「まじかよ」

「まじまじ」

 コーヒーを淹れ終わった機械の前で、少しだけ考えた。

 取り出したカップは、重くて熱かった。




 電話で浮かれすぎていたことは認める。

 確実に浮かれていた。

 ホワイトデーのことは、頭の中にあった。

 確かにあった。

 でも。


 電話のやり取りが楽しすぎて、このままの交流の方がいいんじゃないかと思い始めていた。

 宅配便でのやり取り。そこに留めておけば、お互いにユーザー同士の交流が続く。

 でも、会ってみて、不快な顔をされたら。

 異性として受け入れられないと拒絶されたら。

 …死ぬのか。

 後輩の不吉な予言に現実味を感じた。





 ホワイトデーのお返しはする。

 でも、会いませんかと言い出せないままに週末を迎えた。

 バレンタインが終わってから読み始める人も多いのか、バレンタイン企画参加作品への感想がいくつか来ていた。

 ぽつぽつと感想返信を終えて、ホーム画面に戻ると新着投稿に「しらすあなご」さんの作品があった。連載中の作品だ。


 ファンタジー小説で主人公がのんびりスローライフを送っている彼女らしい優しい物語だ。確か迷い子のケットシーが登場して終わっていたような。

 ふわふわした気持ちで、「しらすあなご」の所をクリックする。

 まだ浮かれている自分が怖いなと思ったけれど、制御できるくらいなら電話なんかしていない。今ごろ、その事に気付いた。

 なんだ。結局、今のままでいいと、本音では思っていないんじゃないか。鈍いなぁ、オレは。

 そうぼんやりと思いながら、「しらすあなご」さんの作品を読んでいると、いかにもイケメンそうなキャラが登場してきた。顔は出ていないけれど、風の魔法だかなんだかで声だけが届いて、主人公たちに助言を与えている。落ち着いた低い声で、主人公の友人がなんだか褒めている。


 なんだろう。


 最近、似た事を聞いた記憶がある。

 「しらすあなご」さんの活動報告のページで、他のユーザーさんたちが書き込んだコメントを読む。

 ああ、「しらすあなご」さんが話していた男性声優の話だ。

 アニメに詳しくないオレは相槌しか打てなかったけれど、なんかすごい褒めていた。

 オレはおもむろに、「しらすあなご」さんが連呼していた声優名をネットで調べて、動画を検索する。


 ふーん。こういう声が好みなのか。

 ふーん。


 もやっとした気分になったので、そのままパソコンを閉じて、散歩に出掛けることにした。デスクワークが多いから、健康のために歩くことにした。そう、それだけだ。



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[一言] 中学生かな?( ˘ω˘ )
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