燕空旅人 「色に出(い)でにけり」
1時間ほど話して、電話を終えた。
机の上のチョコレートは、電話をしながら何度も蓋を開けたり閉めたり。
するすると指先だけで箱を撫でてから、引き出しにしまった。
* * *
翌日は朝から面倒な外回りをしているうちに、あっと言う間に午後になった。
「しらすあなご」さんのチョコレートのご利益か、外回り先で詰め合わせのチョコレートをいくつも貰った。
「1日遅れですけど、どうぞ。昨日と今日に事務所に来た方には差し上げてるんです」
お孫さんのいる女性社員さんが微笑みながら渡してくれた。去年ならきっとねじくれた気持ちで受け取っていた義理中の義理のチョコレートでも、今なら笑顔で受け取れる。
「ありがとうございます」
目元だけでも伝わるように笑みを浮かべて、オレはチョコレートを受け取った。
昼飯は外で食べて職場に戻ると、早速後輩の高木に捕まった。
同じフロアでも別の所属になってるんだから、ふらふらと来るなよ。
ずっと既読無視してんだから察しろよ。
お前に絡まれると分かってんだよ!
「先輩、チョコレートどうでした?」
「これ、貰った。食うか?」
「いやいや、何言ってるんですか?」
椅子から剥ぎ取られて、非常口に近い廊下の自販機前にまで拉致された。寒い。
首をすくめるようにして、寒さを凌ぐ。
「コーヒー買ったら戻っていいか?」
「チョコレート届いたんですか?食べたんですか?」
「…………」
「食べましたね?律儀な先輩だから、お礼の連絡しましたね?」
ちょっと待て。なんだこのニセモノの嫁もどきは。
オレは何も言っていないのに、浮気の証拠でも見つけたように物事を確定して推測を進めるな。
寒いから早く中に戻りたいアピールをして視線を逸らす。それを見た後輩は嬉しそうにニヤニヤし始めた。
「ほーほー」
面倒になって自販機でホットコーヒーを買って、暖をとる。その間も後輩はニヤニヤして待っている。
「へぇー、ほーほー」
ほーほーうるせえ。お前は森の賢者のフクロウか。
「電話…しました?」
「………」
「話して、楽しかったんですね?」
「………」
「へぇ〜」
返答はゼロなのに、次々にバレている。なんなんだ、お前。
プルタブを立てて、ぱきりと音が響く。本当に人の気配がない所だ。
「…勝手に想像を膨らませるなよ」
ぼそぼそと言い返すと、後輩はわざとらしく「まあ!」と声を出して口元に両手を当てている。うざい。
マスクを外して、コーヒーを飲もうと缶に口をつける。
途端に、鼻がむずむずした。
「はっくしょ!…えっぎし!えっぎし!
……ふ…ぶえっくしゅ!」
「うわ、マスクを外してくしゃみとか、ひどいっすねー。パワハラパワハラ」
「いや、なんか、ひっくし!」
「なんすかねー、どこかで噂でもされてるんですかねー。ほら、今3時過ぎだから、休憩の合間に」
「……誰にも噂されるおぼえがない」
「へえ〜、『しらすあなご』さんにも?」
誰だ。こいつにオレのユーザー名教えたのは。オレか。オレだな。
よし、殴ろう。記憶を消してやろう。
缶コーヒーを飲み干して、空き缶をゴミ箱に叩き込んだ勢いで高木の脳天にチョップをかます。
「いったぁい!」
そのまま走って逃げた。
机に戻ってパソコンを起動させていると、高木がニヤニヤしながら無糖のコーヒーを渡していった。
後輩の高木の結婚が決まった頃、あまりにも惚気が酷くて、無糖のコーヒーを何度も叩きつけた記憶が蘇った。
あの野郎。
人にやったことは自分に返ってくる。
まさか、返ってくる種類のものとは思っていなかった。
その後、コーヒーを飲みながら無心でひたすらにキーボードを打ちまくった。
これ以上、高木にいじられてたまるか。
そう思っていたら。
「新田くん、何かいいことあったの?」
まさかの隣の席からの攻撃を受けた。
「えーと、そう、なんですか、ね?」
「外回りから帰ると、いっつも疲れた顔になってるのに、今日は元気だよね。
コーヒーがぶ飲みしてないし」
「……オレ、そんなんですか?」
「うん、うん。なんか相手の要望に応えなきゃ〜って頑張りすぎてるから、この先異動で営業に行くことになったら辛そうって思ってた」
「え、そうなんですか?」
「まじ、まじ。先輩のあたしが言うんだから間違いないって。うちら総合職だから色んな部署に行くし。向き不向きあるけど、新田くん真面目だからさぁ。
何やらせてもちゃんとやってくれる人だから、どこに異動しても大丈夫になって欲しいんだよね」
「……それは、ありがとうございます」
「いや、いや。何もお礼されることしてないし。何かしたかったけど、どうしていいか分からなかったし」
へらへらと笑いながら言う先輩が、そんなにオレの事を気にかけてくれていたのに驚いた。驚いたし、嬉しかった。
異動してきてもうすぐ1年になるけれど、まだ気を張り詰めていたのかなと思った。
「真面目すぎる」とよく言われる。
「考えすぎ」だとも。
それでも、やっぱり考えてしまうし、ちゃんとやらなければと思ってしまう。
人との対応になると尚更だ。
相手に不快なことをしていないか、伝えるべきことがちゃんと伝わっているのか。仕事を受けて貰っている相手でも、ちゃんと対応しなければ突然仕事を打ち切られる。その時に悔やんでも遅い。
異動直後の失敗から、さらに臆病になって慎重になっていた。あれはオレの責任ではないと言われても、やっぱり何か出来たのではないかと考えてしまう。
それが自分にとって負担になっていたのかもしれない。
「……そんなに、今日はオレ、何か違うんですか?」
付き合いの長い高木だけでなく、先輩にまで言われると、ちょっと心配になってきた。どうなってるんだ、今のオレ。
おそるおそる先輩に尋ねると、首を傾げながら言われた。
「なんだろ?なんか顔がゆるんでる」
一番だめじゃないですか。それ。
アラサーに括られる年の男がにやけていたら、それは不審者だ。
気をつけようと思った。




