しらすあなご 「忍ぶれど」
本編より長いおまけが始まるよ。ʕ•ᴥ•ʔ
おまけだからね。あくまでもおまけだからね!
しかも長いからね!短編で読み終わりたい方は、本編だけで大丈夫だよ!
ʕ•ᴥ•ʔ……注意はしたよ?
進展しない2人をどうぞ。
「…覚えていない」
どうしよう。「燕空旅人」さんに変な奴だと思われたかもしれない。
わたしは風呂上がりの髪を乾かす気力もなくして、フローリングの上に横たわった。
眠そうな顔の妹がトドメを刺してきた。
「アイスティーを持ってきた時は、『タビトさん』の作品キャラのイメージに合う声優は誰だとか言ってたよ。褒めちぎっていたから、大丈夫じゃないの?」
死のう。
*
*
バレンタインの2月14日に、「燕空旅人」さん宛にチョコレートを時間指定の宅配便で送った。今頃届いたかなと、何度も小説投稿サイトのホーム画面を開いては、メッセージを確認していた。
だから、手にはスマートフォンがあった。
だから、宅配伝票に何度も書き直した電話番号が表示されたから、咄嗟に出てしまった。
だから、なんの心構えも出来ていなかった。
だから、仕方ない。
仕方ないけど…!!
チョコレートと本のお礼を言われて、答えて、それで。
ーーーあ、やっぱり男の人なんだ。声、低い。
そう思ったら急に何を話せばいいのか分からなくなった。
当たり前のことなのに。「燕空旅人」さんが男の人だって、分かっていたのに。それが声を聞いて途端、急に現実にいる「男の人」だと自覚したら。耳元に返ってくる声が届くたびに顔が熱くなっていってしまうのを止められなかった。
おじいちゃんの本だと言わなければ。それは言わないと。
そこだけは覚えていた。
けれど、そこから先は妹がアイスティーを差し出してくれるまでの記憶がほぼ無い。なんとなく、作品についての語りをしていた感覚はある。けれど、まさかそんなイメージに合った声優とかまで語っていたなんて。
「…死にたい」
「髪は乾かしてね。今、風邪とかひかれると本気で面倒だから。おやすみー」
瀕死の姉を床に放置して妹が立ち去った。
ひどい。でも絡みすぎると明日のご飯を作って貰えないから、我慢しよう。
のそのそと起き上がって、そばに置かれたドライヤーのスイッチを入れる。
ごおぉっという音で耳を塞ぎながら、記憶を辿る。
確か、アイスティーで少し落ち着いて、妹の話になって、姉妹の話が多いかもしれないのはそのせいかもと作品の話になって…。それでバレンタイン企画の執筆中にチョコレートをよく食べたっていう話になって、それでもコンビニチョコばかりだから、届いたチョコレートが一番美味しかったって…言ってた。
電話を切ってから、ぼーっとしたままお風呂に向かった。コンディショナーを2回間違えてからようやくシャンプーボトルをプッシュしながら、「旅人」さんの声を、言葉を、反芻した。
ふわふわとした泡が指先でふくらみ、髪の先まで真っ白で柔らかいものに包まれた。うなじから、ゆっくりと指を髪の中をすべらせると、小さな泡の塊がつるりと耳たぶを滑り落ちた。
『届いたチョコレートが、一番美味しかったです。ありがとうございます』
耳元に低音がよみがえる。
裸の胸の奥が、きゅうっと締めつけられた。
ゆるむ口元を固く結んで、シャワーヘッドから一番強い湯量を頭からかぶった。
風呂上がりのほわほわとした体で、妹から余っていたアイスティーを受け取り、一息に飲み干してから、気が付いた。
電話の途中の記憶がない。妹に聞けば、聞きたくない答えが返ってきた。
そこから黄泉の国へ飛び立とうか思い悩んだのが、さっきのこと。
* * *
濡れた髪を乱暴に掻き回しながら、ドライヤーの音と温かさに慰められた。
耳元をかすめた風の音。
思い出すのは、耳にあてたスマートフォンの感覚と、男の人の声。
「一番、美味しかった…だって」
ドライヤーの温風を乾き切った髪にあてながら、もしゃもしゃと頭をもう片方の手で撫で続けた。
翌日、出社するとすぐに社長に捕まった。
逃げられないように腕を絡ませてきた。
うう、マスク越しでもいい匂いがするし、柔らかいものが腕にあたってる。
「で、どうだったの?」
「あ、はい。無事に届きました。お礼の電話をいただいて、美味しかったと言って」
「ええ?!電話きたの?!」
「は、はい」
「それで、いつ会うの?」
「え?」
「え?」
目を合わせたまま、お互いに固まると、社長が黙ってしまった。
マスクの上にある黒縁メガネの中の瞳を一度わたしからそらすと、怪訝な表情で聞いてきた。
「……ホワイトデーって、知ってるわよね?」
「はい…」
「チョコレートありがとうだけで、終わり?」
「え…まあ、はい。そうです」
途端に、社長はくわっと目を大きく開けると、
「へ……う、うぅ〜」
何かを言いかけて、黙り込んだ。
「あの、しゃ、社長…」
わたしは戸惑って、俯いた社長の顔を覗こうとしたら、ぱっと腕を離された。社長は腕を離した手で顔を覆うと、何かを呟いてからくるりと背を向けた。
「………社長?」
わたしはオロオロと困惑しながら社長に近付いたが、後ろ手でひらひらと手を振られたので、お辞儀をしてからそこを離れた。
再び、社長に捕まったのが、午後の休憩時間。
アクリルのパーテーションで区切られたテーブルの向こうで、春向けの新商品として取り扱う予定のお菓子を食べている。
子育てママさんたちが始めた小さなお菓子屋さんの商品。甘さ控えめで体の小さい子どもでも大人やおじいちゃんおばあちゃんと一緒に食べられるのがポイント。手売りの時間も取れないからと一度は断られたが、社長が販売はすべてこちらで行うからと説得して、ようやくネット販売が決まったばかりだ。
桜の花をかたどった模様がかわいい焼きドーナツを食べていると、社長がまっすぐにわたしを見つめて言った。
「いい?臼井。バレンタインのお返しを言ってこないようなヘタレはダメよ」
「ごふっ!」
思わずむせてしまう。
他のパート勤務のお姉さん2人が「何が?」と目線を合わせると、「ああ」と言ってこくこくと頷いている。
「ヘタレと奥ゆかしいは別なのよ!ここぞという時、ちゃんと言うべき事は言うものなの!」
むせて涙目になるわたしを見ながら、社長は話し続けている。
いえ、待ってください、社長。なんでそんな話になってるんですか。
隣に座っていた2児の母であるパートのお姉さんがお茶を出してくれたので、ありがたく受け取ったら、
「臼井さん、受け身の姿勢の男はダメよ」
と、真顔で言ってきた。
「いえ、ちゃんと電話は向こうからで…!」
思わず言い返してしまってから気づいた。
わたしの目はきっと今、真っ白になっている。
「な、なんで知ってるんですか……!」
「ずーっと黙って見てただけよ」
「こっちのチーム内の秘密にしてるから、大丈夫」
大丈夫って何ですか。
お茶をくれたお姉さんと反対側の隣に座っている一番年齢が上のお姉さんが「大丈夫、大丈夫」と繰り返しているけれど、何も大丈夫じゃない。
「大丈夫。あれだけ熱心にチョコレート選んで、可愛く笑ってたら、分かるわよ」
「………」
「大切な人に初めてのプレゼントって、いいものよね。あたしはそんな感覚、すっかり忘れていたわ」
「………」
わたしは返事も否定する言葉も思いつかず、お姉さんたちを見つめていた。
「うう…顔真っ赤よ、臼井さん…うわぁ…もう、見てるこっちの方がこそばゆくて、恥ずかしくなってきた…」
お姉さんたちがそわそわと身をよじっているけれど、もうそれどころじゃない。こっそり社長に相談していたつもりが、全部筒抜けだった。
まるで小さな子どもが、自分では上手く隠せたと思っていたものが、最初から露見していたと知ってしまったような身の置き場の無さを感じた。あれだ。おねしょをした布団を隠していたと思ったら、外に干されていたような。ああ、全然関係ない子どもの時の恥ずかしいことが出てきた。違う。そうじゃなくて。
何か誤解があるような気もしたので、きちんと説明しなければと思いながら、「旅人」さん宛てのチョコレート選びを見られていたのかと思うと、どうしていいのか分からなくなった。
「あの」とか「うぅ」とか、言葉になっていない声しか出せないまま、休憩時間は終わった。
就業時間後、わたしは普段なら定時で帰れるくらいの仕事を終わらせられず、残業になってしまった。
お姉さんたちは、なぜかマスクでもはっきりと分かるほどの笑顔で、「お疲れ様。お先に」と挨拶して帰っていった。
「うぅ…」
1人になった空間で、机の上に突っ伏した。
なんだか、ものすごく疲れる一日だった。