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『チョコレートを送りたいので…』(前編)

 やってしまった。


 わたしは布団の中でぐるぐると髪を乱しながら、送ってしまったメッセージの文を読み返した。


『チョコレートを送りたいので、よければ住所を教えてくれませんか?』


 絶対、怖いって。

 小説の投稿サイトでやり取りしているだけの知らない奴から、住所教えろって。

 ホラーよ。ホラー。


「ああああ」


 思わず声が出る。


「お姉ちゃん、うるさい」


 一昨年(おととし)から同居している大学生の妹が、苦情と箱ティッシュを投げつけてきた。

 勢いよく布団の中から顔を出して妹を見ると、のんびりと猫の描かれた湯呑みでココアを飲んでいた。

 甘い香りが鼻先をかすめる。


「ねえ、やっぱり知らない相手からチョコレート送られるって、怖い?キモい?」

「知らないわけでもない相手だから、いいんじゃないの」

「でも、いきなり住所教えろとか。ストーカー?」

「そもそも前から読みたがっていた本を送ろうとしてなかった?」

「だって、おじいちゃんが自費出版していた本を読んでみたいとか、知っちゃったらあげようかと思うじゃない」

「別におじいちゃんとの繋がりを相手は知らないじゃない。偶然古本で持っていたのであげますって言えばいいじゃない」

「それがチョコレート欲しいってあったから、つい〜」


 わたしの相手が面倒になったのか、妹はわたしの頭まで布団をかぶせると、ぽんぽんと叩いて離れていってしまった。

「薄情者…」

 もしゃもしゃの頭を布団の中にうずめて、わたしはまたどうにもならない思考に沈んでいった。


 幻のようにココアの甘い香りが鼻の中に残っている。

 布団の中で、ぎゅっと身を丸めた。




 小説の投稿サイトに登録したのは、まだ大学生だったころ。

 最初は友人の好む妄想物語を書いていたけれど、だんだんと自分のために書くようになっていった。書いたり、読んだり、同じ投稿仲間とのやり取りが楽しくて仕方なかった頃。


 ある時、嫌な感想を貰った。


『ご都合主義の展開すぎて、気持ち悪い』


 そんなことだったと思う。

 怖くて、殴られたような痛みを感じた。

 好きなキャラクターを考えて、空想の世界でしかあり得ないけれど、主人公に優しい展開で書いた長編。


 全部読んだの?

 ちゃんと読んでそう思ったの?


 わたしは吐きそうになりながら、パソコンの画面を閉じた。


 その時は就職活動で弱っていたせいもある。

 だから、いつもよりも夢みがちな展開になったのかもしれない。

 けれど、気持ち悪いと書かれたことが、就職活動の面接官に言われた嫌なことと重なって、わたしから離れてくれなかった。


 怖かった。

 人から評価されることが怖かった。

 ただ書きたいこと、読んでみたいことを書いていただけの小説も、人から評価されていることが急に強い苦痛になった。

 内定の貰えない自分の評価がそのまま小説投稿サイトでの評価を貰えない自分と重なって、今までのように交流のあるユーザー同士との感想のやり取りも嘘のように思えてサイトを見ることも出来なくなった。


 全然違うこと。関係のないことじゃないか。

 そう思っても、だめだった。

 何も出来ないんだと、落ち込んだ。今までに貰った感想もポイントも、ただの憐れみや付き合いで与えられただけのように思えた。


 嫌いになりたくないのに。

 今までに書いたわたしの小説たちを嫌いになりたくないのに。


 ちゃんとやらなきゃ。

 他のユーザーの人たちは、嫌な感想を貰ってもちゃんと対応している。それなら、わたしもちゃんとやれば、大丈夫。


 就職活動もちゃんとしなくちゃ。

 友達はみんな内定も決まって、新人研修の準備を始めている。だから、わたしもやらなきゃ。内定を貰えるように、頑張らなきゃ。


 そう思っても、小説投稿サイトの画面を再び見る勇気はぜんぜん出てこなかった。ただ、怖かった。スマートフォンを持って、何度も操作しようとしては、やめた。

 友達にも言えなかった。

 みんな、ちゃんと結果を出している人ばかり。わたしの話をしても、困らせるだけだ。


 就職活動のスーツ姿のまま、夜の駅のホームで泣いた。ずっと慣れないスーツ用の靴に痛む足が、余計に涙を助長させた。


 もうリクルートスーツのスカートの下からくる寒さが、辛い季節だった。


 その後もずっと内定は取れなかった。

 正月になってもまだ就職先が決まらない。

 卒論だけは、なんとか仕上げた。


 一人暮らしのアパートから実家に帰った時、「うちに戻ってくればいいよ」と、正月のテレビ番組を見ていた母に言われた。それを聞いて、本気で泣いてしまった。


 このままじゃダメだ。

 帰省を終えて、アパートに戻った日の夜に熱を出して寝込んだ。

 体が悲鳴をあげていた。

 何度も繰り返す就職活動のエントリー。

 何度も届く「お祈りメール」。


 もう嫌だ。

 顔をぐしゃぐしゃにしながら、熱にうなされて泣いた。


 関節が痛い。

 何もかもが、つらい。

 もう嫌だ、もう嫌だ。


 でも、何が嫌なの?

 暑い布団の中でふと思った。


 誰にも認められていないみたいだから?

 でも、母はそんなわたしを受け止めて帰ってくればいいと言った。

 珍しく父がビールをすすめてきたし、妹も気をつかってケーキを作ってくれていた。


 何がダメなの?

 ちゃんと卒論まで仕上げたから、卒業できるのに。


 ぐちゃぐちゃになった思考と、帰省中の記憶が入り混じって、だんだんと腹が立ってきた。


 誰にも必要とされていなくても、わたしはわたしを必要としているんだ。

 他の人の評価なんて二の次だ。

 わたしを一番評価しなければならないのは、わたし自身だ。


 一人暮らしの布団の中で、だらだらと汗をかきながら、熱にうなされてわたしは思った。


 わたしが頑張っていたのは、わたしが知っている。

 小説だって、誰かには気持ち悪くても、わたしには楽しい物語だった。


 ふざけんな。

 わたしの楽しいを奪うな。


 熱にうなされながら見た夢は、うさぎのぬいぐるみになったわたしが、ひたすら可愛くないぶさいくなクマのぬいぐるみを殴っている夢だった。


「……クマ」


 汗がびっしょりで気持ち悪い朝、切り忘れたスマートフォンのアラームで起こされた。

 アラームを停止させて、しめった指先でスマートフォンを操作する。


 開いたのは、すっかり足が遠のいていた小説投稿サイト。

 自分のホーム画面を見る勇気はなくて、検索画面でなんとなく『熊』と入力した。


 これだけだと少ないかなと思って、『陶芸』と追加した。


 おじいちゃんが陶芸家だったせいか、何も思いつかない時はつい焼き物の言葉を選んでしまう。

 母が戻ってきてもいいと言った時に、きっとそうなったら伯父さんの窯にバイトに行くんだろうなと思ったせいもある。


「熊と陶芸って…」


 そんな小説ないわ、と思ったら。


『山笑う頃にまたおいで』


 該当作品がひとつだけあった。

 キーワードに『熊』と『陶芸家』。


 作者は、「燕空旅人(えんくうたびと)」。




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