それから
お姉ちゃんがバレンタインチョコレートのお返しとして「旅人」さんから貰った3つの上生菓子。何故かその内のひとつが妹の私のところにやってきた。
どうしてなのかと訊いても教えてくれない。なんだか口元がゆるんでるけど、なんなの?
まあ、お菓子に罪はないから美味しくいただきますけど。
そして、お姉ちゃんと一緒に食べながら、今度の春彼岸に帰省することが決まった。
理由は「旅人」さんこと、新田春人さんに、おじいちゃんの一輪挿しを贈るため。それを取りに帰る。
お姉ちゃんは気づいていないけれど、それ、結婚したい人出来ましたって言ってるのと同じだから。
お父さんとお母さん、びっくりしそうだなぁ。
ぼんやりと電車に揺られながら、幸せそうにスマートフォンを操作するお姉ちゃんを眺めていた。
案の定、帰ってすぐにおじいちゃんの作品がしまわれている部屋で、お姉ちゃんが箱入りの一輪挿しを探し始めたら両親が察してしまった。
でも直接お姉ちゃんに尋ねる勇気もないのか、代わりに私が捕まった。
「なぁ……初音は、彼氏できたのか?」
「たぶん。
大丈夫。その人すでにおじいちゃんのファンだから」
「マジかよ」
「お父さん、マジだよ」
「そうかぁ……」
しょんぼりと庭に向かうお父さんの後ろ姿を見送りながら、お母さんと情緒を破壊するべく煎餅をバリバリと食べる。
「そもそも、一生分のお皿やらお茶碗やら作って逝った、おじいちゃんの重い愛情に慣れたお姉ちゃんだよ?その辺の男と年頃だからって適当にくっつくわけないじゃん」
「あらやだ。おじいちゃん並みに重いの?」
「たぶん」
「まぁ……じゃあ仕方ないわね、お父さん」
お父さんからの返事はない。まあ、いいか。
春彼岸の頃の庭は寂しい。まだクロッカスも何も咲いていない。梅の花が咲いているはずだけど、居間からは見えない。
そんな何もない庭に、お父さんはひとり出ては新芽を探すようにうろうろしている。でも何もなさすぎて、手持ち無沙汰に庭木を触り始めた。
口の中で煎餅の割れる音が響く。
花も緑も何もない季節だから、余計に響く。
緑茶を注いだ湯呑みから、白い雲が流れる。まだ、春には早い。
私は小さすぎて記憶があまりないけれど、お姉ちゃんはかなりおじいちゃんに可愛がられていたらしい。それこそ一生分の陶器を用意されるほどに。
そんなおじいちゃんに愛でられて育ったお姉ちゃんが、適齢期だからと適当に恋人を作ったりはしないだろうと高を括っていたら。
「……まさか実在するとは思わなかったなぁ」
先日、初デートから帰ってきたお姉ちゃんは、浮つきながらも何となく心を決めた感じがあった。それに気づいて、これは卒業まで一緒に住むのが限界かなぁと私は思った。
お姉ちゃんもおじいちゃんに溺愛されていただけあって、大事なおじいちゃんの作品を人に贈ることは今までになかった。割られたり、粗末にされたら、きっとお姉ちゃんは傷つくから、誰にも贈らなかった。
それが。
「……まったくもう」
無意識に白兎のテラコッタを買うような男が出てくるなんて。
お姉ちゃんを白兎に喩えて本に書いちゃうようなおじいちゃんと同列の男を、妹ごときでどうにかできるわけがない。
「なぁにが、雰囲気が似てますよね、だ」
お姉ちゃんとのスピーカー通話が漏れて聞こえてきた時、砂を吐くかと思った。あれでまだ付き合ってないって。バカじゃないの。
次の週末あたりに、上野で美術館に行ってから桜を見るらしいから、その時に告白して付き合うようになるんだろうなぁ。
「あー。ばかばかしい」
ばりん、と煎餅を荒々しく噛み砕く。
『コロナ禍だから、みだらに接触しないようにね〜!』と部屋に籠ったお姉ちゃんに叫ぼうとしたけれど、お父さんの背中が見えたから、口をつぐむことにした。
春彼岸の空は、少し寒くて色が薄くて、哀歓を一緒にしたお姉ちゃんに抱く私の気持ちに、似ていた。
それから、1年。
私は伯父さんの車に、熨斗紙で包装されたペアの皿が入った箱を黙々と積み込んでいる。
「これで全部ー?!」
「あぁ、それで全部」
玄関の奥からくぐもった声の伯父さんが答える。私たちで最後だ。
積み終わって、ふうと息を吐いてから腰に手をあてる。
まだ伯父さんの窯の近くにある桜の木は蕾のままだ。少し肌寒いけれど、空の色は春めいた青になっている。
冬と変わりない枝の上に、広い空がある。
そのまま空を見上げていると、ようやく伯父さんが着替えの入った荷物を抱えて車に乗ってくれた。
運転席に私が乗り込み、伯父さんに話しかけた。
「納品したら、その後は東京観光でもする?」
「あー、東京国立博物館でも行くか」
「また陶芸?」
「いや、今日は象嵌の方を」
「あんまり変わらないけど」
「ついでに花見してくか。上野公園は混んでるかな」
私はシートベルトを締めて、エンジンをかける。
明日は、お姉ちゃんたちの結婚式だ。
おじいちゃんが残した図面と試作品を基に作り上げた、引き出物用の皿をこれから届ける。
タイヤが砂利を踏んで音を立てる。通りに出るまでの道をゆっくりと走る。
「ギリギリ過ぎて怒られそうだなぁ」
「伯父さんが包装手伝わないからでしょ」
「対になった皿をこれだけ作っただけでもう充分働いたよ」
「もぉ〜」
「次はお前の番だろ?」
「どうかなぁ。男の人が10歳差でも付き合えると思えるようになるまで、あと何年かかる?」
「知らんよ。そんなの」
「自分の弟子でしょ?」
「知らん知らん。人による。あ、じゃあ、引き出物はあいつに作らせよう。うん、弟子だから大丈夫だな」
「もう、お姉ちゃんの時と同じように伯父さん作ってよ」
「絵付けが繊細すぎて疲れたから、もういいよ」
「白地に赤い線だけだからね」
「それがオヤジのご指定だからな」
おじいちゃんの残した見本のお皿は、白地に水引きのような赤い線だけで作られた絵付けがされていた。
その赤い線は、途中で円を描いたり、切り結びになったりと、多様な形を作っていた。
それはまるで。
「結婚式の引き出物まで準備してたって。おじいちゃんどんだけ孫が可愛いんだか」
「お前用の図案もあるからなー。まぁ、がんばれ」
「え?お姉ちゃんと違うのがあるの?」
「あるある。あー、評判よかったら先代日向崎のシリーズに足すか?」
「へぇ、それもいいかもね」
「明らかに慶事専用の図案だからなぁ。シリーズ名は、縁とかにしておくか?」
「まあ、いいんじゃない?運命の赤い糸で」
そう、まるで"運命の赤い糸"と言わんばかりのデザインだった。
「どう見てもそれでしょ」
「まぁなぁ」
伯父さんとふたり、笑みがこぼれる。
伯父さんの窯にまで挨拶に来た2人は、見ているだけでも仲睦まじい様子が伝わるものだった。
明日の結婚式でも、きっと仲良く並ぶのだろう。
こちらはまだ蕾でも、式場のある場所の桜は満開だ。咲き誇る花々のもと、お姉ちゃんたちは結ばれる。
目に見えないけれど、確かに2人にはあるんだろうなと思える"運命の赤い糸"で。
それはひとつの短編と、3行の感想から始まったけれど。
繋げたのは2人の言葉。
「感想って大事だねー」
「あー、引き出物の感想聞いておいてくれ。俺は呑んでるだろうから、任せた」
「何よ、それ」
私は伯父さんと噛み合っているようで食い違っている会話に思わず笑う。
"運命の赤い糸"を積んだ車は桜の咲く場所へ向かう。まるで春を迎えに行くようだなと、私は笑いながら思った。
おしまい。