しらすあなご 『………つらい』
今日、初めて顔を合わせたばかりの人だけれど、「燕空旅人」さんになら、おじいちゃんの作品を譲ってもいいよなぁと思った。
いや、むしろあげたい。
なんだこの感情。
何かわたしから物を与えたい気持ちがむくむく出てきた。
スマートフォンでのやり取りは、文章だけじゃなくて、画像も送り合っている。
そこで「旅人」さんの持っているお皿とおじいちゃんのマグカップも見せて貰ったんだけれど。
……ものすごく大事に使い込まれてた。
え?本当に買ってからまだ5年も経ってないの?ケーキ皿の南蛮焼き締めの方とか、かなりのまろみが出てるけど、欠けも何もないよ?
もちろん、おじいちゃんの作ったマグカップも欠けひとつ見当たらない。
古道具屋で買ったと言っていたから、きっとそこで経年変化があったのだろうと思っていたんだけれど、そもそも「旅人」さんの陶器の扱いが丁寧だった。
ーーーえー、こんなに大事にしてくれるんだー。
いいなー。
……いいな?
その時、思わずスマートフォンの画面を見て呟いた言葉に、自ら動揺した。陶芸品の話。そう、焼き物の話。脳内で自分にそう言い聞かせて画面を閉じたのがちょっと前の夜のこと。
だからなんで今思い出した?!
手に持っていた一輪挿しを落とさないようにゆっくりと棚に戻す。
それを見ていた「旅人」さんが、
「あ、それ気に入ったの?」
と声をひそめて耳打ちしてきた。
不意打ちで、耳元でささやかないでください!!
鳩尾の当たりがぎゅうっとなりましたよ!
なんですか!なんなんですか、電話より威力強いですよ?!
隣にいるってやっぱりすごいですね!
体温があるからですかね?!なんか違うんですよ!
至近距離で上から声がかかってくるって、なんか、予測できない分、胸がきゅんってするんですけど?!
「……これは、ちょっと違うなぁと」
社会人3年弱で得た表情筋の全てを使って、なんとか無表情を貫いたと、自分を信じたい……。
わたしの出来る限りの対応策を捻り出さなければ。そうしなければ、意味不明な言葉を叫んでうずくまってしまいそうで。
「そう?可愛らしいと思ったけど……」
………ふぁーーっ!
一輪挿しですよね?!知ってる!分かってる!でもなんでそんな優しい声で言ってるんですか?!隣見れませんよ!!
あああ、もうだめだ。可能な対応策なんて喋るしかない!落ち着いてスマートに対応とか、無理!無理無理!!
「妹に頼まれていたのを先に選ぼうかと思います。その人は伯父さんの窯に弟子入りしている人で、妹が懐いているですけど、最近の作品は見ていなかったから買って帰ろうかと思って。
コロナ禍で伯父さんの窯の方にも顔を出せていないので、せっかくの機会だと思って買おうかと思います」
ノンブレスで言い切った。
やばい。落ち着け、わたし。
でも落ち着いて何を言えばいいのか分からない。とにかく、目当ての物を確認して買おう。
「何年も前の卒業生なので、壁側の方にあると思うんですけど」
「旅人」さんのいる左側から離れようと、右側に足を進めようとしたら、ちょうど人が通るところだった。
ぶつかりそうだなと思って足を止めると、とん、と背中に「旅人」さんがぶつかった。
背中のリュックを避けて、わたしの肩を「旅人」さんの両手が支える。
「…………!」
「あ、ごめん。ぶつかりそうだったから」
「いえ、大丈夫です」
コートの上から触れた手は、一瞬で離れた。
わたしは振り返りもせずに、展示品の並んだテーブルをすり抜けて、目当ての作品が並んだ壁際の方へと向かった。
ちょっだけ振り返って、目を合わせないように「旅人」さんの首元を見ながら、一気に話す。
「中央の方が在学生や院生たちの作品です。若々しい感性があふれているので、おじいちゃんたちの作品と違った楽しみがあると思います。ぜひ、見てやってください。学生たちの励みになります」
わたしは展示会の関係者みたいな事を言って、壁側の方まで付いてきている「旅人」さんを強制的に足止めした。
「買う買わないは別として、これはいいなと思うものがあれば最後のアンケートに書いてあげて下さい。学生たちが喜びます」
「へえ、そうなんだ。学生さんたちのは初めて見るかも。じゃあ、ちょっとここで見てるね」
「はい。すぐに選んできますから」
「うん、待ってる」
「………はい」
小さく頭を下げてから、わたしは「旅人」さんが中央にある在学生たちの展示スペースへ向かうのを見送り、壁側に顔を向けた。
マスクの中で盛大に息を吐いた。
「………つらい」
両手で顔を覆いたいけれど、人目があるので片手でマスクを覆うだけにする。
うめき声が漏れそう。
なんですか!肩!肩!両手!大きい!男の人の手だよ!
それに陶芸やってる人たちの手と違って骨張った華奢な感じがした!
土を素手で練り続ける伯父さんやお兄ちゃんお姉ちゃんたちの肉厚な手と違って、ふつーの男の人の手って感じが!コート越しなのに!なんで分かっちゃうかなぁーー!
「あぁー……」
ごめん。琴音。おねーちゃん、ちゃんと作品選べないかもしれない。
小鉢の裏に溝がある鎬のチェックとか今回ちゃんと出来そうにない。だいたいので選ぶけど許して。
でも展示してるんだからそこは製作者の責任だから、おねーちゃんの責任じゃないよね。どれ選んでもいいように作品を並べる義務あるよね。うん。
それに。
ーーー待ってる。
思い出したその一言の破壊力の強さに、再び手で抑えたマスクからうめき声が漏れた。
出来る限りの理性を振り絞って、5つあった鎬の入った小鉢から2つ選ぶ。
10分くらいはかけたと思う。ちょっとは落ち着いた。はず。
学生たちの作品を眺めている「旅人」さんも片手に何か持っている。いいものを見つけたのかな。
簡単なテーブル掛けの上に並べられた作品は、皿や湯呑みの生活用品から一輪挿しに小さなオブジェのようなものまで色々あった。
釉薬の色もそれぞれ違って、技術的に不足があってもそれを上回る勢いを感じた。
それに何より安い。
学生だからと侮ってはいけない。時々、本当に良品があったりするので、青田買いの気分が味わえて楽しかったりする。
「何かいいものありましたか?」
作品を眺めていた「旅人」さんに声をかけると、少しぼんやりした目がこちらを向いた。
「……あ、おかえり」
ーーーどこでそのパワーワード覚えてきたんですか?!
落ち着いたはずの心臓がすでに一度止まった。口の中をぐっと噛み締める。
「……小鉢を2つ選んできました」
わたしは手に持っている白い釉薬のかかった鎬の入った小鉢を見せた。
「『旅人』さんは?」
「えーと、これ」
握り込んでいた片手を開いて見せてくれた。その手の中には、丸々とした白い兎。
「なんとなく、マグカップの熊と合うような気がして」
「………お値段も安いですし、いいもの見つけましたね」
にっこりと笑って言ったつもりだけど、どうだろうか。
「日向崎さんの熊シリーズと一緒にある兎のは持ってないから」
「……いいんじゃないですかね。あ、そろそろ会計行きましょうか」
にこにことした顔で、こくりと「旅人」さんが頷いた。
それを見て、わたしはマスクの中で、精一杯に唇を噛み締めて耐えた。
いかん。正視できない。うつむこう。
うつむいたまま、足早に会計のある階段脇の方へ向かう。
心の中は、大荒れだ。
ーーーなんでそんなに可愛く頷くんですか!
それに白い兎って、おじいちゃんがわたしみたいだって言ってたの知ってますよね?!
送った本の後書きでおじいちゃんの孫自慢炸裂してましたからね?!
それを嬉しそうに握りしめて立って待ってるのは、ちょっとどうすればいいんですかね。わたし的に。
平静でいられないんですけど、偶然ですか?偶然ですよね。でもおじいちゃんのマグカップの熊と合わせてって言ってたから………
「……んんっ」
「紙袋でいいですか?」
「はい。大丈夫です」
会計係の学生さんに不審な目を向けられた。でも仕方ない。絶対、今、顔、赤いもの。
そそくさとお金を払って、小鉢の入った紙袋をリュックにしまい、会計横にある長机に設置されたアンケート用紙を記入する。
勢いで記入を済ませて、箱に入れる。落ち着け。
落ち着け落ち着けと心で唱えながら、長机の端の方に身を寄せる。会計を終えた「旅人」さんが、アンケートに記入している様子を眺める。
少し骨張った指。
わたしより大きい手。
爪、ちゃんと切ってる。
ぼんやりと文字を書く「旅人」さんに見惚れる。
………見惚れる?
頭の中で言葉をリフレインしてから、そっと視線を外す。また、唇を噛んで耐える。
冷静になろうと、長机の上を眺めていると、一番端っこにあるポストカード大のチラシが目に入った。
そこに書かれているのは、期間限定で院生たちの抹茶碗を使ってお茶を出しているお店の地図。
和菓子と合わせて抹茶がいただけるみたいだった。
場所もここから近い。
すっと腕時計を見る。まだ、夕方にも早い時間。
ーーー「旅人」さん、誘ってもいいかな。
ドキドキとする心臓の鼓動が声に出ないように気をつけて、アンケートを書き終わった「旅人」さんに声を掛けた。
「あの、もし良かったら、この後お茶を飲みませんか?ここで院生たちの抹茶碗が使われているらしいんですけど」
『千種庵』と毛筆のフォントで書かれたチラシを見せながら、わたしは祈るような気持ちで「旅人」さんを見つめた。




