しらすあなご 『何か気になるものありましたか?』
大丈夫かな?
「旅人」さんのおでこ、かなり赤かったけど。
ていうか、急に前髪を上げて真っ直ぐに目を合わせてくるのやめて下さい。心臓に悪い。でもご褒美です。ありがとうございます。
顔に心の声がにじみ出ないように気をつけながら、「旅人」さんに促されて、先に中へ入る。
展示会場入り口は奥の方でまだ見えない場所だった。念のため、後ろの「旅人」さんの姿を振り返って確認してから奥に進む。
すぐに「旅人」さんが横に並んできて、隣を歩いている。
隣に、並んで、歩いている。
ーーー心の準備が出来ていませんけれども?!
早めに着いたら、前髪とかチェックしようと思ってたんだけど、変じゃないよね?変じゃないよね?大丈夫だよね?!
ここには居ない妹に、心の中でヘルプを求める。もちろん助けは来ないので、ちょっと前髪を片手で触って確認する。うん、たぶん大丈夫。
顔を動かさずに、視線だけ「旅人」さんに向けて、横顔を盗み見る。
わたしより背は高い。でも高すぎないから、見上げる辛さもなくてちょうどいい。少しヒールの入った靴でも、大丈夫だったかなと思う。
メイクが落ちてしまう前に、マスクを外して挨拶が出来たのも良かった。「旅人」さんの顔も見られたし……うん。好みの顔だなって思ったのは、今は考えないようにしよう。
社長には「変わった趣味」だと断定されるけど、アイドル系の甘いマスクが好みの社長とは合わないだけだ。
イケメンではないけれど、誠実そうな顔で、肌もきれいで清潔感もあるし、私の中では全然アリでそれならいいんじゃないんですかね?!と、ここには居ない社長に心の中で反論する。
ちょっとマスクの中の息が荒い気がする。
どうしようこれ。
「あ、スマホ画面見せないと。ちょっと待って」
「あ、はい」
「旅人」さんの声で我に返って、微笑み返す。
そういえば。
どうしてすぐにわたしと分かったのだろう?
坂道を上っていて、前の方を見ていなかったから、最初に「旅人」さんが気付いた理由が分からない。
服装も何も連絡してなかったのに。
「……あの」
会場前で、予約済みの画面を開くためにスマートフォンを片手に立ち止まった「旅人」さんに、訊いてみることにした。
「どうして、さっき、すぐにわたしだって分かったんですか?」
素朴な疑問を素直に聞いてみたら、
「いや、それは……………なんとなく?」
曖昧な返事が返ってきた。
「なんとなく、ですか?」
「ええと、電話で話していたイメージに近いなぁと思って」
「そう、なんですかね?」
改めて自分の服を見直して、「旅人」さんを見上げる。
「………あの、そろそろ入れるか聞いてみます」
「旅人」さんのマスクに隠れていない耳が赤くなっているのが見えたけれど、わたしと分かった理由は、結局分からないままだった。
展示会場内の人数が定数を下回っていたので、少し早いけれど入場することになった。
入り口で検温とアルコール消毒を済ませる。
会場内にもあちこちにアルコール消毒の液体ポンプが置かれている。一応、展示即売会があるので、触って購入するかどうか決めてもらえるようにと配置してあるらしい。
チラシを片手に会場に入ると、正面には抹茶碗や花器、壺といった高額作品が並べられていた。
各階フロア仕切りなしで、腰くらいの高さのテーブルに布がかけられて作品がゆったりと配置されている。作品の横には簡単な作者紹介のボードと小さな値札があるだけだ。
学生が主体となって設営されているみたいだなぁとなんとなく判断した。中央に客寄せの有名作家を並べて、その周りに卒展作品を置いて見てもらうようになっている。
そうなると、すでに卒業している人たちと在学生の販売作品は2階の方だろうなぁと見当をつけた。それなら、この1階は見る方に力を入れて、2階で物色しよう。
展示会場のだいたいの動き方の目星がついたので、とりあえず正面に配置されている作品を眺めることにした。
その中の花器のひとつに既視感を覚えた。
「あ、伯父さんのだ」
「え?日向崎さんのあるの?!」
「え?知ってるんですか?」
「先代の作風と違うけど、結構好きなんだ」
「………」
やめてください。急に好きとか、パワーワード投げ込まないで下さい。
ぎりっとマスクの中で奥歯を噛み締めてから、息を吐いて答えた。
「伯父さんはここの卒業生らしいです。たしか一期生だったと思います。おじいちゃんの友だちが設立した関係で巻き込まれたとか言ってました」
「へぇ、そうなんだ。知らなかった」
目をキラキラしてこっち見ないで下さい。ちょっと直視出来ません。
視線を作品たちに合わせたまま、わたしは「旅人」さんにもっと喜んで貰いたくて、どんどん知っていることを話した。
「伯父さんたちがいた頃と学校名が変わっているので、あんまり知られていないのかもしれないですね。
あ、もう売れてしまいましたね」
「そうなの?」
「ここの値札にシールがついているので。たぶん、伯父さんの作品では安い値段がついていたからだと思います。最近、コロナ禍で家の中に飾れるものが人気になってきたって前に言ってました」
ほぼ伯父さんたちの会話からのウケ売りなのに、口が止まらなかった。完全に陶芸を聞きかじっただけの素人のどうでもいい話だ。でも止まらない。ちょっと待って、落ち着いてよ!わたし!
なんかオタクしゃべりになってない?!ちょっと女子っぽいところどこにいったの?!
電話で話してた時はまだ……って、あの時も作品の語りしてたんだったぁ!!
待って待って、落ち着けわたし!「旅人」さんが、にこにこして相槌打ってくれているけど…って、ああ!もうなんでそんな嬉しそうに頷いて話を聞いてくれるのかなぁ!喋り倒しますよ?!いいんですか?!
いいんですか?!
……いや、だめでしょう!
「旅人」さんにも楽しんでもらわないと!!
表面上は滔々と陶芸作品の蘊蓄を語りながら、心の中では「呼び戻せ!女子力!」と復活の呪文を唱え続けていた。
結局、1階の重鎮作家の作品販売スペースを見ながらずっと喋り倒してしまった……。
さようなら…聞き上手の女子力……。
壁際にある卒業生の展示作品を一通り見てから、2階に上がり在学生たちがメインの売り場に入った。
今度こそ聞き上手に……。
「あ、もしかしてここにも知っている人とかいますか?」
「伯父さんのところに弟子入りした人も…」
だから、「旅人」さん!そんなに期待に満ちた目で見ないで下さいよ!かわいいなぁもお!
分かりました!もう女子力とか無いものに期待しません!喋ります!喜んでくれるなら、こちらこそ喜んで喋りますよ!
小説投稿サイトでも最初は頑張って隠していたけど、すぐにバレたなぁ…と業の深いオタクの性質を持つ自分に対して、ちょっと遠い目になった。
好きなものには語ってしまう。これはもうわたしの標準装備だから仕方ないとあきらめたいけれど、まだちょっと「燕空旅人」さんには可愛げのあるところを見せたいなぁと葛藤をしながら、知っている人の作品をひとつひとつ指差して語り続けた。
2階も一巡してから、欲しい作品があったか「旅人」さんに聞いてみた。
「何か気になるものありましたか?」
「うーん。日向崎さんの湯呑みが全部売り切れていたから…それに先代のマグカップと合うものは…ちょっとなかった」
真剣な表情で答える「旅人」さんは、すっかり敬語が抜けたままだ。
それが親しくなれた証のように思えて、嬉しくなってしまう。
「ふふふ、『旅人』さんはおじいちゃんの作品が好きなんですね」
思わず言ってしまってから、「好き」という単語を使ったことに気づく。
………いや、その、おじいちゃんの作品ですから…ね。
そう思いながら、なんかじわじわ頬が熱い。
だいじょぶ、マスク着けてる。
「……え、ええと、うん、その、好きですね」
ちょっと顔を背けて答えた「旅人」さんの声にわたしの中の何かが耐えきれそうになくなって、近くにあった一輪挿しを手に取ってしまう。
「そ、れは、おじいちゃんも嬉しいと思います」
その時、ふと思い出したことがあった。
おじいちゃんがわたしのためにとたくさんの皿やコップ、湯呑み、急須、小鉢、箸置きなどなどを作って残してくれていた。その中で、いくつか指差して言っていたおじいちゃん。
『好きな友だちができて、大事にしてくれそうな人だったら、この中からひとつ差し上げるんだよ』
なんだったっけ?確かそんなことを言っていた。
たしか、一輪挿しがあったような。
わたしはそっと壁の方を向いたままの「旅人」さんの横顔を見つめた。




