燕空旅人 『オレの心の方が痛い』
誤字報告を下さった方々、ありがとうございます。
これからも誤字脱字しますのでよろしくお願いします。
「しらすあなご」さんと今度会う。
そのことを週明けに、後輩の高木に言うと、
「なんすか、そのドヤ顔。褒めて欲しいんですか?」
と、にやにやした顔で言われた。
とりあえず、平手で額を叩いておいた。
「痛い!」
「オレの心の方が痛い」
「嘘でしょ?にやにやしてるじゃないですか?!」
オレは否定せずに昼食後のコンビニコーヒーを啜った。まだ火傷しそうなほど熱い。
コーヒーを飲むオレをじいっと見つめたまま、高木が言った。
「……先輩、まさか、デートの服は全部、店のマネキン一式で、買い揃えて行くつもりじゃないですよね?」
「………!!」
コーヒーで舌を火傷した。
痛い。
「な、何を、お前は言っているんだい?」
「あ、図星〜。
前も街飲み会に連れて行った時そうだったじゃないですか。服に迷ったから、マネキンコーデそのまま買ったんだろうなぁ〜と思ってたんですけど。
そんで同じ飲みテーブルにいた、ちょっとかっこいい感じの女の子いたでしょ?先輩が正直に店でまとめて買ったって言ったら、あの人、ショップ店員さんで『その服わたしが揃えた服だったので、気に入ってもらえて良かったです』って言われてたじゃないですか」
「ちょっと待て。何でその話知って…」
「隣に座ってれば聞こえますよー。名刺までもらってたんだから、その人に相談すれば?」
「いやいやいや、ちょっと待て。なんでオレの黒歴史を…」
「えー?だって新しい服で全身揃えてたら分かりますよー。先輩普段から服を買う人じゃないし」
公道の歩道だけど、しゃがみ込んでしまいたくなった。恥ずかしいというか、もう外に出たくないと思う。
だって、「しらすあなご」さんにちょっとでも良く見せたいけれど、オレのファッションセンスは「ほぼ黒い」で終わる。濃紺や濃茶も入っていると言い返しても、高木にだいたい鼻で笑われる。
「……いっそのこと、休日出勤を偽装してスーツで……」
「ヘタレもそこまでいくと可愛くないですよ、先輩」
「うるさい、既婚者。女児の父親め」
「なんすか、その褒め言葉」
「服なんてわかんねー。でも裸で行くわけにも」
「やめてください。捕まりますよ」
月曜の昼からもう疲れに満ちてしまった。明後日の祝日に一度店に行けと、高木に文字通り背中を押された。
「そのショップ店員さんに頼んで相談した方がいいですよ。普段の服装で行って、初めての街デートに合うように何か見繕ってもらえばいいんですよ」
「デートじゃないし」
「はいはい。とりあえず、自分だけでなんとかしようとしちゃダメですよ。相談できる人がいるなら相談してください」
「高木も一緒に……」
「やめてくださいよ。ちょっとかわいいと思ったじゃないですか。ほら、コートの端っこ、握ってないで離して下さい」
「相談しろって……」
「今は子どもが最優先です。休みは子どもの面倒見てるって知ってるでしょ」
「……うん」
しょんぼりとしたままのオレの背中をぽんぽんと高木が叩いた。
昼休み終わりの職場に戻る人たちの波の中で、きっとオレの背中が一番しょんぼりしていると思った。
2月の空は、まだ雲が厚く、そして寒い。
それから3月にかけて、土日祝日を服選びに費やすというかつてない過ごし方をしたオレは、ちょっと疲れていたんだと思う。
普段は決して手を出さないお笑いネタの短編を書いて、ウェブ小説サイトに投稿した。
最初はリア充爆破と物騒なことを言っていたのに、何故かBLになって終わっている変な短編に仕上がっていた。他の人たちも投稿しているから、それほど読まれないかと思っていたら、案外評価ポイントが入り、「しらすあなご」さんにも面白かったと感想をもらった。
いや、オレは異性愛者です。BLの素質も素養もないです。
感想をもらって、初めて感じた変な汗は、じっとりと額に滲んだ。
『しらすさんは、お笑いは何を観ますか?』
だから、スマートフォンから取り留めのないメッセージを送るネタに使う。さすがに「オレは女性が好きなんです!」とは送れないけれど。
ホワイトデーのお誘いから、ずっとぽつぽつと続いているやり取り。「あなたに会うために服選びで頑張ってます」とは書けない。だから、他の些細なことをぽつぽつと送る。
返信は小説投稿サイトでのやり取りと同じで、ちょっと時間を空ける。その場限りじゃなくて、ちゃんと答えたいし、嘘をつきたくないから。
取り留めのないことばかりだけど、本当の言葉だけを送りたいから。
「……こういうのが、面倒だって言われるんだろうなぁ」
過去の記憶がじわじわとやってくる。どうでもいい思い出が、「しらすあなご」さんに絡むだけで、重大な失敗の予兆に思えてくる。
「会えば、また、違うのかなぁ…」
ひとり暮らしの部屋での呟きは、ダメージを与える残響になることがある。
考えても仕方がないと、オレは買ったばかりのシャツに着替えて、甘いものを食べに出掛けることにした。
これは下見ではない。
偶然来ただけだ。
そう心の中で言い訳をしながら、「しらすあなご」さんと来る予定の展示会場近くの駅の改札口を出た。
迷子は恥ずかしいからな。うん。
ちょっと心細いから新しい服を着たとか。そういうことはない。うん。
駅を出て、スマートフォンで地図を見て、ぐるりと見回してから、坂道をゆっくりと上り始める。
まだ一緒に来る予定の展示会は始まっていない。坂道の途中にある目的地のビルの入り口は、ガラス張りの明るい印象で、展示会会場自体はいくつかの店を通り過ぎた奥の方にあった。確か当日は1階と2階のフロアが会場になるはず。
今の展示は、1階部分だけの絵画展のようだった。最終日で早めに閉めたらしく、中には入れなかった。
場所は分かったからいいかと探索のため裏口の方から出て、なんとなくの方向へ歩く。意外に飲食店が多い。これなら帰りに喫茶店に寄りませんか?と言えそうだなと考えながら、さらに歩くとホテル街になった。
「…………いや、いやいやいや」
誰も何も言ってないし、聞かれてもいないけれど、オレは思わず首を横に振ってから、足早にその場から離れた。
表通りに戻り、駅に向かうため坂道を下ろうと思った所に小さな繁みが見えた。
ツツジか何かの生垣のようだ。東京の狭い歩道とぶつかりそうな電柱が並ぶ中で、その緑の塊はオレの注意をひいた。その繁みの奥にはコンクリート打ちっぱなしの建物に続く小さな階段。
ガラス扉の奥にはメニュー表のようなものが見える。もしかすると、喫茶店があるのだろうか?
オレはそろそろと近づいて、階段を上り、中を覗き込むように確認をしてから、ガラス扉を開けて中に入った。
そこには小さな木の板に「千種庵」と彫られた看板を掲げた小さな喫茶店があった。
その後、ひとりでのんびりとお茶を楽しみ、ホワイトデーのお返しも決めて、また電車に乗って自宅アパートへと帰った。
帰宅途中、コートのポケットでスマートフォンが震えた。
たぶん、「しらすあなご」さんだ。
お茶を飲みながら見たテーブルの一輪挿しの梅の花を見て、「しらすあなご」さんにメッセージを送っていたから。梅の花は「しらすあなご」さんから感想を初めてもらった時のことを思い出させる。
花を見て。
空を見て。
季節の変わる空気を感じて。
それを伝えて、相手から返事が来る。
それだけのささやかなことを嬉しいと感じるこの感覚が、「幸せ」や「心が和む」というものなのかなと思った。




