しらすあなご 『うう、どうすれば…』
今度、「燕空旅人」さんと、直接、現実世界で、顔を合わせることになった。お互いに3次元の人として会話をする………つまり、会ってお出かけをする。
それだけ。
それだけなのに、どきどきが止まらない。
夜中なのに。もうすぐ日付も変わる頃なのに。アルコールも手伝って目が冴えている。
嬉しい。でもどうしよう。
さっき、チョコレートを送ったお礼に、ホワイトデーのお返しをしたいと「旅人」さんから申し出があった。恋をしていると自覚したその日に、好きな相手から連絡が来るとどうなるのか分かりますか?わたしは今、身をもって知ることになっています。
とにかく心臓が痛い。
感情のキャパシティオーバーで涙目になる。
妹には「お姉ちゃん顔真っ赤」と笑われる。
「もーー!うるさい!顔赤いのは酔っ払いの琴音の方じゃない!」
「えー?そんなこと言っていいのかなー?」
ふふふんとドヤ顔で缶ビールをあおって飲む妹。なんかやさぐれたサラリーマンみたいになってるけど、どうした?
「お姉ちゃん、何を着て行くのか、ひとりで決められるのかな〜?」
「それは…!」
わたしがぐぬぬぬと唸っていると、スマートフォンが鳴る。「燕空旅人」さんからの返信が来た。
「へいへーい。おねーちゃん、顔赤いよー」
ウェブ小説サイトでのメッセージのやり取りでは、こんなに時間を置かずにやりとりすることがなかった。だってメッセージの新着表示とか、スマートフォンでも出ないんだもの!だから、10分も経たない内に返信の通知がくるだけで、もう心臓がおかしい。
『展示会は、事前予約制のようです。日曜日なら何時でも大丈夫ですか?』
大丈夫です。全然大丈夫です。
あ、でも午前中だったらお昼を一緒に食べたりとか出来るのかも。
ちょっとだけ欲張って夢を見たら、午前中の予約は既に埋まっていて、午後2時からの枠になった。
うん、むしろ、それでいいのかも。急にお昼ご飯を一緒に食べるとか、何を食べていいのかも分からないくらいに緊張しちゃうから。うん。そう。
少しだけ残念だなと思いながら、3月13日の日曜日午後2時前に待ち合わせをすることに決めた。
そこからが大変だった。
何を着ていけばいいんだろう。
「旅人」さんの年齢も身長も知らない。それほど年齢差はないんだろうなぁとしか分からない。160ちょっとのわたしと同じ身長の男の人もいないわけでもない。ヒールのある靴はやめておいた方がいいかな。元々がフラットな靴ばかりだし。
それと、あくまでもわたしが片想いしているだけだから、デートじゃない。デートじゃない。初めましてのお出かけだから、友だち感覚で。
でも、女友達とは違って、ふわふわした、くすぐったいような感覚がずっとある。友だち感覚で行かないといけないのに、どうしてもはりきった服になりそう。はりきった所でそれほど変わり映えはしないけれど、わたしの片想いがバレバレの格好になるのは避けたい。
好きになってもらいたい。でも、好きだと気づかれたくない。
「うう、どうすれば…」
日曜日の朝から布団の中でわたしは唸り続けた。
社長には相談したくない。何度か服を貰ったけれど、ちょっとわたしには背伸びをした感じがある服ばかりだった。白のニットワンピとか社長じゃないと無理だから…!結局、妹が黒のレギンスをはいて、ゆるゆるのパーカーを羽織って普通に部屋着にしている。
なんだかんだ、妹はお下がりの着回しが上手い。
そうか、妹に聞こう!もう1人で思い悩んでぐるぐるするのは就活の時にやめようと決めていたじゃないか!
そう決意して、妹の部屋へ行けば。
「はいはい、お待ちしてましたよ〜」
にやにやした顔の妹に出迎えられた。
2人分の服をリビングに広げ、妹の言いなりになって着替えを繰り返しただけで1日が終わった。
「……疲れた」
「ねぇねぇ、お姉ちゃん。来週の休みは2人で服を買いに行こうよ」
「ええ?!まだ決まってないの?!」
「決めようとしてたけどさー、お姉ちゃんが新しい服を着た方がいいとかごねてたからぁ」
「ごねてなんか…!!」
「中に着る服を春色のほんわかしたのにすればいいんじゃない?それだといかにも頑張ってきましたって感じじゃないけど、ちょっとは小綺麗に見てもらえるし」
「……うん、それなら、いい」
デートじゃないからと連呼した手前、全身新品で揃えるのは恥ずかしい。「旅人」さんにも、なんか張り切りすぎた女来たぞと思われるのも嫌だ。
友だちと出かけるくらいのテンションに抑えたいけど、無理だった。脳内では白い兎たちがぴょんぴょん跳ねて、熊に群がってる。そんな感じだ。
それに。
「あ、おねーちゃーん、通知が来たよー」
妹がにやにやとした顔で、椅子に置いたスマートフォンを指差している。
「言わなくても分かるからっ!」
怒鳴ってからスマートフォンを握りしめて、こたつのある部屋に籠る。
やっぱり「旅人」さんからの通知だった。
昨夜のやり取りから、そのままとりとめのない短いやり取りが続いている。お互いに交流のあるユーザーさんの新着投稿が面白かったとか、ランキングに知っている名前があったとか。
特にどうということではないのだけれど。
ただ、「旅人」さんとやり取りが出来ているということが嬉しかった。同じ作品を読んでいるということだけでも、それだけで胸がふわふわとする。まるで眠る猫を腕に抱いているような、暖かくて嬉しい気持ちになる。
それが顔に出ていたのか、妹ににやにやと見られている。
「旅人」さんから届く短い言葉は、その言葉だけじゃない柔らかい気持ちも一緒に送られてくる。だから、あんまり妹にも触れられたくない。ふんわりとした今の気持ちと一緒に大事に受け止めたい。
ひとり部屋に籠ってから、そっと画面を開く。大事に、大事にしたいから。
届いたのは、一言だけ。
『夕飯は頑張ってパスタにしました』
きっと作ったのはトマトソースのパスタ。妹のトマト缶ソースが美味しいとわたしが送信したから。
それだけなのに、わたしの送った言葉が「旅人」さんの夕飯のメニューになったのが分かって、照れくさい。なんていうか、わたしの言葉が「旅人」さんに繋がっているんだな、と思えて。
とてもとても嬉しいのだと思う。
「えへへ。トマトソースかな。パスタ美味しそうだな」
にまにまとしている自覚もないままに、変わらないスマートフォンの画面を何度も眺めてから、妹に夕飯のリクエストをした。
「夕飯はパスタでもいい〜?」
「おねーちゃんが作ってくれるならなんでもー」
引き戸越しに聞こえた妹の声に、服の片付けを思い出して立ち上がった。夕飯を作るのが面倒なくらいには妹も疲れたようだ。
そっとスマートフォンの暗くなった画面をもう一度点灯させて、なんでもない15文字を見返した。口元をきゅっと引き締めてから、それを部屋着のポケットに入れて、妹のいるリビングへと向かった。




