燕空旅人 『会えませんか?』
「しらすあなご」さんの事を、オレは恋愛対象として、好きなんだと思う。
まだ会ったことはないけれど、一目惚れとかしない性質なので、これだけ長い期間の交流が続いているのが好きな理由なのだと思う。
それに、内面をさらけ出してしまったと自覚のある描写の所を「しらすあなご」さんはいつも拾ってくれる。
他の人には伝わらないのに。
ファンタジー要素が薄い日常の物語しか書けないオレの作品は、そもそも読んでくれる人が少ない。その少ない人の中で、オレが一番柔らかいところを零して、フィクションとして落とし込んでしまった時ほど、「しらすあなご」さんは丁寧に拾ってくれる。その上、肯定してくれる。
そんなことを何年も続けられたら、好きになっても仕方がないと、自分でも思う。
けれど。
「しらすあなご」さんは優しいから。
他の人の作品への感想でも優しいコメントを残しているから。
オレだけに与えられた優しさじゃない。
その優しさをオレだけに、オレだからと、与えて欲しいと思うのは、身の程を知らない望みなのだろうか。
チョコレートも、みんなに渡せるような優しさのひとつだったのかもしれない。オレだから贈ってくれたと一瞬でも思ってしまったのは、ただの妄想癖の成せる自惚れなのだろうか。
ひどく胸が苦しい。
ため息すら、喉の奥に詰まって出てこない。
「しらすあなご」さんは、恋愛対象として、オレの事を考えてくれる可能性はあるのだろうか。
オレが女性なら、こんな男と付き合いたいと思わない。実際、今もひとりだ。
寒い中を歩きすぎたせいか、妙に悲観的な思考に囚われている。頭を軽く振ってみても何も変わらない。辛い妄想だけが出てくる。
これ以上考えたくないと、毛布にくるまって、読みかけの文庫本を手にベッドの上に横たわった。
目を覚ますと日が暮れていた。
ぼんやりと起きて、テレビをつけたまま夕飯を作る。厚切りの食パンにコンビニで買ったポテトサラダを塗りつけるようにのせる。その上に辛口のレトルトカレーを袋から搾り出し、最後にピザ用のチーズを満遍なくふりかける。
あとはオーブントースターで加熱するだけ。
待っている間に電気ケトルでお湯を沸かし、インスタントで卵スープを用意した。
山のようになったあつあつのパンをカレー皿にのせる。食べかすがぽろぽろと出るので、カレー皿の上に覆いかぶさるようにして大きく口を開けて食べる。
「あつっ!」
じくじくと熱を持つチーズに攻撃された。
息を吹きかけてから、端っこの具の少ないところを食べる。カレーがポテサラに馴染んでうまい。チーズの塩気で飽きずに食べられる。
さくっと頬張る度に音が出る。少し焼き過ぎたのかもしれない。パン屑がぽろぽろと下に配置したカレー皿に落ちた。
このカレー皿もあのギャラリーで買った。九州の方に住む陶芸作家の作品だった。スリップウェアという種類のものらしい。
なんだ、結構持っていると思っても、全部で皿を3枚だけだった。
いつでもそうだ。
たくさん持っていると思っても、よくよく数えると少ない。オレのキャパシティはそれほど大きくはない。深い喜びがひとつふたつあればもうそれで充分だと思ってしまう。喜びと同じくらいに深い悲しみも、たくさんは抱えきれないから。
愛が重いってこういうところだろうか。
興味も関心もないものは処理が早い。そこだけをみると、仕事も早いと思われるらしい。けれど、一度失敗したことや思い入れのある事になると、途端に慎重になる。
ちょっとした事であるはずの社外とのやり取りとか。そのせいで毎回外回りのたびに神経を擦り減らしてしまっていた。
それが今回は、「しらすあなご」さんのおかげで、肩の力を抜いてできた。チョコレートを貰って、ただにやけていただけだと思うが、いつもより相手先とやり取りが楽だった。隣の席の先輩との会話も増えた。
その時に、
『いい人とのご縁があったのね。私でもわかるもの』
と言われた。
そうなのだと思う。たくさんのユーザーのいるウェブ小説サイトで「しらすあなご」さんと交流ができているのは縁があったからとしか言いようがない。
他のユーザーさんたちもそうだ。なんとなくでも、同じ時期にウェブ小説サイトに登録していて、投稿をしていなければ、知り合うこともなかった。奇跡のようなものだと思う。その奇跡に奇跡が重なって、「しらすあなご」さんと親しく交流させてもらって、チョコレートまで送ってもらえた。その上、恋心を抱くほどの相手だというのは、最初で最後になるかもしれない。
それが分かっているから、「しらすあなご」さんを好きだと思う分だけ、交流を失くしてしまうことが怖い。
電話番号も住所も分かった。けれど、サイト上でブロックされてしまったら、この電話番号と住所の存在で余計に辛くなるだけだ。
「しらすあなご」さんのことが好きだ。
でも彼女は、オレの一方的な感情を気持ち悪いと思うかもしれない。
数年ぶりの恋心は、舞い上がった分だけ落ち込みがひどい。
思い出したくもない過去の失恋の記憶まで頭の中に出て来たので、狭い浴槽にお湯をはって、しゅわしゅわする入浴剤を入れる。風呂用の文庫本を持って、いざ。
のぼせるまで、とにかく入浴する。これで頭を空っぽにさせる。
こんな情けない男に告白されたら嫌だろうなぁと改めて思った。
* * *
のぼせるまで入った後は、冷蔵庫でよく冷えた炭酸飲料を飲む。じわじわと口から喉に刺激が伝わる。少しだけ、さっぱりする。
そのまま、ぼーっと床に腰をおろしていると、ケーキ屋の紙袋がちょうど手に届く所にあった。
焼菓子は明日のおやつにしよう。豆皿にとりわけて食べようか。
焼菓子を取り出すと、紙袋からバラバラとショップカードが落ちた。拾い集めて一枚一枚の文字を確認する。
ケーキ屋さんにあったから、菓子店のものばかりかと思ったら、焼肉屋もあった。へぇ、こんなところにあったのか。
ポストカードサイズのものは、展示会の案内状だった。ポップな可愛らしいイラスト展示に、手芸作品。3月という時期が近いからか、色々あるんだなと思った。
その内の一枚に目がとまる。
在学生卒業生の入り混じった、ある大学の陶芸科による展示販売会。
作品によっては当日引き渡しが出来ないが、小さなものなら持ち帰りができるようだ。
「『しらすあなご』さんも、おじいさんが陶芸家だったのなら、こういうの、好きかなぁ」
ふと、そう思った。
嫌われたくない。
でも、大切にしたい。
喜ぶことをしてあげたい。
それが小さな事でも。
「しらすあなご」さんが少しでも喜んでくれるなら、その記憶を大事に生きていけばいい。ほんのちょっと楽しい思い出が残ればいい。
後ろ向きな決意で、オレは小説投稿サイトのホーム画面を開くと、メッセージ機能画面に文字を打ち込んだ。
『ホワイトデーのお返しをしたいので、会えませんか?
陶芸作品の展示会があるので、一緒にどうでしょうか。』
ポストカードにあったURLを貼り付けて、少し考えて付け足した。
『よければ、スマホの電話番号を使って返信を下さい。』
祈るような気持ちで、送信をクリックする。
最初から電話番号でメールを送らなかったのは、「しらすあなご」さんに送信してすぐに返って来なかったら落ち込むから。
それと、「しらすあなご」さんに小説サイトの外での個人的なやり取りを断られるかもしれないという怯えから。彼女が小説サイトを間に置かない交流をこれからしてもいいと思ってくれるのか、オレには分からなかった。
それでも望んでしまう。
顔を合わせてみたい。
そして直接、話をしてみたい。
笑う顔を見てみたい。
あの電話で聞いた笑い声と共に。
どうか断らないで。
あなたに会いたいんです。
2月の空に願いを込めた。
今までに無かった願いを望んで。




