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届く宛てのない手紙  作者: いしい けん
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第5章 ダンマリ作戦①

 ハッチから頭を覗かせていた辻岡は、双眼鏡のピントを合わせる。

「確かに……黒点ひとつ」


 遥か遠く洋上に見える黒点を確認するとハッチを閉める。梯子を持つ手をパッと緩め飛び降り着地すると、操舵室にある伝声管に口を当てた。

「どや? もっちゃん」

 通信室で目を閉じヘッドホンを耳に当て、全神経を聴音機に集中させる元田(もとだ)に問い掛ける。


「ゴクリ……」

 辻岡の唾を飲む音が聞こえるほど、艦内は物音ひとつ無く静かだった。


「スクリューが二基……日本軍の海域往航の情報はありません。おそらく米軍の駆逐艦級が一隻こちらに向かってると思われます」

 元田の落ち着いた声。


「艦長、どうしますか?」

 深刻な面持ちで、日比野が問う。


「せやな、一郎も乗ってる事や。無闇やたらに戦わんでもえぇやろ」

「潜って、やり過ごしますか?」

「おぅ、直ちに両舷停止……急速潜航に移る。メインタンク注水開始! ダンマリ作戦開始や」

 伊一四一潜から低い唸りをあげていたディーゼル音が突如止まり、乗組員達が慌しく動きだす。


「深さ三〇、ベント開け」

 辻岡の声に合わせて伊一四一は海中へと潜航を始め、深度計はゆっくりと三〇メートルをピッタリ指した所で止まった。


 張り詰めた緊張が無音の艦内を走る。一秒一秒の時間がとても長く感じる。


 エンジンを切った艦内の室温は高く、緊張感も相まって汗が次から次へと滝のように滴る。


 どれくらい経ったのだろうか、更に小声に絞った元田が小さく囁く。

「三……二……一……今、真上を通過します」


 潜水艦の天敵とも言える駆逐艦が既にこちらに気付いているなら、爆雷を投下し攻撃を仕掛けてくる筈だ。

 無意識に身体が強張り衝撃に身構えようとする。しかし辻岡からの指示があれば、すぐに対応出来るよう乗組員の神経は研ぎ澄まされていた。 


 窓ひとつ無い艦内からは、外の様子を窺い知る事は出来ない。水面近くまで浮上すれば、潜航中でも潜望鏡から操舵室まで伸びたレンズ越しに僅かな視界を得る事が出来るが、発見されれば攻撃される格好の的となる。

 ひと度潜れば視界はゼロ。全ては聴覚だけが頼りである。


 潜水艦の命ともいうべき聴覚を担当している聴音手。

 その中でも同時に複数の艦艇との距離や艦種を音だけで判断する元田通信長の異才は、正に神業とも言えるものだった。


 航海、通信、水雷、機関……各長それぞれの才能と卓越した技術。それが、伊一四一潜が伝説とまで呼ばれた本当の強さの理由なのかも知れない。


 敵駆逐艦が潜航中の艦上を通過して、数分が経過しようとしていた。


「敵駆逐艦に攻撃の動きナシ、戦闘を回避」

 元田自身も安堵した声が艦内に伝わり、フーッと言う溜め息と共に緊張していた全員の顔が弛緩する。


「よっしゃ見てみぃ! ダンマリ作戦成功や、もうしばらくこのままやり過ごしたら無音潜行から切り替え浮上する! 総員、準備にかかれ」

 辻岡の号令の後に、航海長兼副長である日比野がそれを復唱する。

「メインタンクブロー!」

 タンクから勢い良く海水が排出されると、伊一四一は船首を持ち上げ上昇しクジラのように豪快な水飛沫と共に艦橋が海面へと姿を現す。その船底を海面に叩き付けると再び大きな水飛沫を立てた。


「よっしゃ、機関長! 火つけてくれるか?」

 伝声管を通じ、機関室に指示を出す。


 機関室では上半身ランニング一枚の男達が慌ただしく動き回り、艦内通路の両脇にある多数のピストンがゆっくり上下に動き始める。ディーゼルエンジンの発する高熱と僅かなな白煙、そして機関科の男たちの熱気が辺りを包み込む。


「オヤジ、いつでも行けますぜ」

 伝声管から高木機関長の声を確認すると、辻岡が出航の指示を出す。

「微速前進、ヨーソロー」

 同時に、伊一四一のスクリューが回り出し、ゆっくりと海上を進み始めた。



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