第3章 江美と直美①
時を同じくして、広島呉。
呉と言えば横浜や名古屋などに匹敵する大都市で、東洋一と言われる海軍工廠がある。
大和、長門などの軍艦を始め、赤城、蒼龍などの航空母艦、更には辻岡らの搭乗する伊一四一型潜水艦も、この呉海軍工廠で建造された。
街は活気に溢れ、映画館や喫茶店など商店が建ち並び大いに賑わっていたが、戦局の悪化と共に娯楽施設は次々と休業を余儀なくされた。
「ちょっと江美ちゃん。お喋りばっかりして口動かさんと、手を動かして早くしんさい。お姉ちゃん先行くよ」
「待って……お姉ちゃん、先行かんといてぇ」
半ベソをかきながら必死に黒い革足に靴を捻じ込もうとする、おさげの髪型が可愛らしい幼い少女と、それを笑いながら優しく見守る髪を三つ編みにした少し年上の少女。
「早く来んと、お餅無くなっても知らんよ」
「このクツ、ひとりではかれへん……前のクツの方がえぇわ」
「江美ちゃんの靴、破けてたから新しいのお父さんに買って貰った言うてたね。まだ新しいから革が硬いんよ、お姉ちゃんが手伝ってあげるけん、はぶてんといて。そんなん言うたら買ってくれたお父さん残念がるよ」
つい最近大阪から、この呉に引っ越して来たばかりの江美は小学一年生。
まだ友達は出来ないが、ひょんな事がきっかけで知り合った九つ歳上の直美を、お姉ちゃんと呼んで慕っていた。
「よし、出来た! 行こう」
「ねぇ、お姉ちゃんとこ犬二匹おるやろ? 白い方の犬、ふわふわしててかわいいなぁ……江美、犬すき」
「ミミは女の子じゃけぇ、江美ちゃんにもよぉ懐いとるけぇね、きっとお友達やと思っとるんよ」
江美は嬉しくて艶々の頬っぺたを弛ませニヤニヤと二匹の姿を思い出していた。
「黒い方は?」
「あっちはドド、男の子。ありぁ怖いで、江美ちゃんが意地悪したら……ガブリッ!」
両手の爪を立て、口を大きく開けると江美に噛み付く真似をする。
「きゃーーーーーっ、嫌やぁーーーっ」
「うそ、うそっ。ドドも本当はお友達になりたいんよ。大人しいお利口さんの犬じゃけぇ、江美ちゃんがミミばっかり可愛がるからヤキモチ妬いとるんよ。行ったらドドもヨシヨシしてあげんさいね」
「ほんまにぃ?」
「ほんまよ、お姉ちゃん嘘つかんじゃろ?」
「さっきついたーっ!」
「「あははははっ」」
二人仲良く笑いながら手を繋ぎ、しばらく歩くと白壁の大きな建物が見えてくる。
呉でも有名な酒蔵「心白」だ。
呉の奥に位置する灰ヶ峰を源流とする、清らかな軟水を蔵に引き込んで造られる清酒は、広島だけでなく全国で評される程であった。戦争により男手も減り原料の米も少なくなりつつある今、酒蔵に当時の賑わいは消え、酒造りは完全に止まっていた。
直美は、その酒蔵「心白」の長女であった。
高く聳え立つ煙突が蔵の目印。その横を走って通り抜けると、蔵の奥から長い年月染み付いた酒粕の甘い匂いが鼻をかすめる。
ふたりは競争するように駆けると、その奥にある母屋の勝手口を目指した。
少し手加減はしたものの、歩幅で勝る直美が一瞬の差で扉に手を掛けガラガラッと勢いよく開ける。
「お母さん、ただいま」
「お帰り直美、どうしたん? そんなに急いで。あら江美ちゃん……よぉ来たねぇ? さぁさぁ、おあがりんさい」
直美の後ろで肩を揺らし息を切らす小さな江美の姿に気付いた母親は、優しく微笑みかける。
「おじゃましまーす」
もう何度も足を運び勝手知ったる直美の家、急いで革靴を脱いで上がっていった。
「ここに柏餅作って置いてあるけん、仲良く食べんさい」
今日は端午の節句。
直美には十歳離れた兄がいるが、徴兵により海軍兵として戦地に赴いていた。酒蔵の杜氏である父親は既に戦死、家に他の男子は残っておらず母娘ふたりで母屋で暮らしていた。
「いただきますっ」
「江美ちゃんは元気がえぇねぇ」
待ち切れず柏餅にかぶりつく、いつも無邪気で元気な江美の姿を微笑ましく見つめる母親。
その直美の母親が、家にいない男子の節句の風習である柏餅を用意したのには意味があった。
柏餅に手を伸ばしながら、直美が訊ねる。
「お母さん、桃の節句は菱餅じゃけど、何で端午の節句には柏餅なんじゃろ? なんか意味があるんかいね?」
母親は手にしていた縫い物を一旦膝に置くと答えた。
「柏は新しい芽が出るまで、古い葉が落ちんのよ。ほいじゃけぇ、家系が絶えない縁起物として古くから伝えられとるんよ」
「お母さん、何でも知っとるね。へぇ、そういう意味があったんじゃ」
ふたりの会話をポカンとした表情で聞きながら、江美は黙々と三つ目の柏餅に手を伸ばした。
「ほいじゃあ、戦争に行っとるお兄ちゃんの無事を祈って、私も江美ちゃんに負けんように柏餅よぉけ食べんといかんね?」
砲弾飛び交う戦地で暮らす兄。もう生きて帰って来る事すら叶わぬかも知れない、そんな息子を案じる母親の心情を察してか、普段から極力明るく振る舞おうとする直美であった。
まだ子供ながらに直美の親を想うそんな気遣いに、母親は抑えきれず一筋の涙を溢した。
その涙に気付いたのか気付いて無いのか、江美は不思議そうに直美の母親の顔を見つめ、三つ目の柏餅を食べ終わると手に付いた餅をペロッと舐めながら言う。
「お姉ちゃん、このおもち……ぜんぜん甘ないな。おばちゃん、おさとう入れるの忘れはったんやろか?」
江美の無邪気過ぎる反応に、直美と母親は顔を見合わせ「プッ」と吹き出した。
「ごめんね江美ちゃん、戦争で甘いお砂糖がなかなか手に入らんのよ。こんなんしかご馳走してあげれんけど許してつかぁさいね」
直美の母親はクスッと笑い、江美の口の周りに付いた餡子を手で拭き取る。
「でも、おばちゃんが作ったおもちすごく美味しいよ。お兄ちゃんも食べたいって言うで……きっと」
幼いながらに戦況はわからずとも、江美は何か空気を感じ取っていたのかも知れない。
「「うん、うん、そうじゃね」」
そう言ってふたりは頷き、お互い悟られないようにそっと涙を拭いた。
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