第21章 観測者
二〇二〇年七月二八日神奈川県横須賀。
海上自衛隊横須賀基地に停泊中のイージス艦「こんごう」
少し離れた高台にある施設の廃墟からその艦を眺める亜樹と知樹、そして横井の姿があった。
イージス艦それはギリシャ神話の女神アテナが持つとされた盾が語源とされている。あくまでも防衛に徹するという意味であるが、高性能の情報収集機能を搭載し、コンピューター制御により二〇〇の目標を捕捉、更には十二以上の目標を同時にミサイルで迎撃する事が出来る最先端護衛艦である。
「想像してごらんよ……あのイージス艦が大東亜戦争で獅子奮迅の活躍をする所を。最高に格好良いじゃないか、君も胸が躍るだろ?」
いつもの如く無表情の知樹が、身を乗り出しながら興奮気味に話す。
当然、海上自衛隊の教官である横井は、イージス艦の性能を誰よりも熟知していた。
「そうかも知れないが、あの時代では衛星から情報を受信出来ないじゃないか。宝の持ち腐れってやつだ。」
「さすがだね? でもイージス艦の能力は、それだけじゃないだろ?」
少し考えると、横井はもうひとつの性能に気付く。
「地上レーダー? なるほど、イージス艦を以てすれば、東亜戦争期であっても自艦発電からの供給だけで地上レーダーを発する事が出来る。そうなればアメリカ軍は我々の姿を確認する間も無く、遠く離れた場所から殲滅させられる事になる…………まさか、この艦を!」
自分自身をこの時代に連れて来る不思議な能力を持つふたり。その能力を以てすれば、同じように未来から過去に自分たちを送る事も可能な筈。西森とふたりで、敗戦に至る戦争史を熟知し失敗だらけの作戦を全て成功に導き、あの戦争に勝つ。そう思っていたのだか……
まさか、近代兵器の技術が結集したイージス艦ごと大東亜戦争に持ち込もうと言うのか。そんな事が可能なら……横井は高揚を隠せない。
亜樹はゆっくりと身を翻し、イージス艦に背中を向けた。人差し指を顎に当て少し困ったポーズを見せるものの、表情は何ら変わらない、いつもの冷たい視線のままだった。
「そうねぇ……さすがにチョット大き過ぎるかしら?」
「大きい?」
イージス艦そのものの大きさの事だろうか?
物の大小で時空を超える事が可能だったり、逆に無理だったりするのか?
そんな横井の勝手な思案を見透かしたように、亜樹が話始めた。
「世界線を超えて、人間を時空転移させる事くらいまでなら容易いわ。現に貴方はそうやって、此処の世界に来たんですもの。勿論、その逆も然りよ」
知樹がそれに続く。
「でも君が、作戦失敗の連続であった大東亜戦争史を頭に詰め込んで、もう一度あの時代に戻り作戦を訂正したところで勝てるの? アメリカとは物量的に彼我戦力の差があり過ぎるもんね? それは、君も心の何処かで気付いてる筈。あの戦争に勝つ為には、圧倒的にねじ伏せる力が必要不可欠なんだよ」
「うふふ……だからあの男に知恵を授け、あの装置を作らせたの。貴方の処にある何隻もの高性能潜水艦とイージス艦、あれだけの質量を昭和の時代に転移させるのには、それ相応のマナが必要となるわ。今の私たちだけのマナでは残念だけど足りないのよ」
「マナ? あの男、あの装置? NARS、西森さんか?」
「そして……この現代科学を結集させた潜水艦を主力とした新しい聯合艦隊。それを総指揮するのは、あの男がお似合いだと思うんだけど……君も、そう思わないかい?」
「つ……辻岡艦長……の事か?」
「そう……ご名答」
横井は正直、武者震いを隠せずにいられなかった。あの日から長い年月をかけ練られたこの緻密な作戦を遂行しようと企む、この子供たちは一体? 否、前々から気付いていたが、彼女たちは子供ではない。
「そろそろ教えてくれないか? 君たちの目的は何だ? そしていったい何者なんだ!」
「目的? あら、今更おかしな事を聞くわね。話した通り、貴方たちと利害は共通してる筈よ」
「この日本を生まれ変えらせる為……か?」
「そうね、救い……救済とでも言おうかしら?」
そう言って亜樹はまた、いつものように無表情のままクスクスと嗤う。
「救いか、確かに救いかも知れないな。この圧倒的戦力があればアメリカに勝つ事が出来る。家族を、仲間を、数多くの国民を、祖国を救う事が出来るんだ。そして現代、腑抜け共がのうのうと息づく日本を変え……彼女の運命さえも変える事で命を救う事が出来る」
「そう、君の言う通りだ、なんて素晴らしいんだ! そして奇しくも今日は、戦艦榛名が呉で沈んた日だね? 確か榛名はあのイージス艦こんごうの由来となった戦艦金剛の三番艦だったね……さぞかしこの計画を中井も海の底で喜んでいる事だろうね。さぁ今こそ君たちの手で、歴史を変える時が来たんだよ」
知樹は人の心を掌握し、煽動させるのが上手い。
「そうだ! 私たちは……あの夏に失ったものを取り戻し、新たな未来を手に入れるのだ」
「うふふ……そうね、その調子よ。でも、あともう少しだけの辛抱よ。もうすぐ出来上がるから、良い子にして待ってなさい。それまでこの生温くも平和な世界を堪能しておくと良いわ……うふふふっ」
亜樹は海に向かいスカートをヒラリと翻し振り返ると、沈みかけた夕陽を遠い目で黙って眺める。
気付くと知樹は、いつの間にか横井の後ろにあった石台の上に立っていた。
ちょうど背丈の低い知樹が横井と同じ高さになる位置だった。そこから、そっと横井の耳元に近付く。
「そうそう……気をつけた方がいいよ。西森の周りに変なのが嗅ぎ回ってるみたいだ。それともうひとり、お喋りな秋山とかいうおじさん……僕が殺しておいてあげたから……」
横井が立ち去ったあと、亜樹と知樹は真っ赤な夕暮れに染まる海を見ていた。
風に亜樹の黒く長い髪がなびく。
「結局、彼らも自分たちの星、自分たちの国や民族、自分たちの家族、そして自分自身の事しか考えてないのね。本当に馬鹿な人間たち……私の目的は、そんな彼らへの救済……この世界の破壊と再構築よ」
夕暮れの向こうを見つめながら、知樹は黙ってそれを聞いていた。
「横井や西森そして辻岡らの善戦は、同盟国であるドイツの戦況まで変化させ、欧州の勢力図をも改変させるわ……だれも太刀打ち出来ない、未来の圧倒的な攻撃力を持った日本そしてドイツ。アメリカは勿論のこと世界は恐怖に陥り、やがて冷静な判断能力を失う」
知樹はただ黙って、薄ら笑みを浮かべている。
「そして想定もしていなかった本土壊滅の危機を感じたアメリカは、早い段階で原子力爆弾を使用するの……そう、当初の計画通りナチスドイツにもね。そして日本にも、次は広島と長崎の二発で終わらないでしょうね。追い詰められた日本が無謀な日米開戦に踏み切ったように、追い詰められた鼠は必ず猫を噛む……そのネズミの毒が回るころ……」
うす笑いを浮かべた亜樹は天を仰ぎ、夕陽に染まった海へ両腕を大きく広げた。
「世界は更なる混沌を迎え、祖国を失った聯合艦隊は亡霊の様に戦い、終わる事ない殺戮を続けるの……そう、世界中全ての航路が血で紅色に染まるまで。その大量の血によって私たちのマナは満たされ、待ち望んだこの世界の終わりと再生の時を迎えるの……」
知樹が腹を抱えて嗤う。
「あははははっ! あはははは! 姉さまは、本当にお人が悪い……」
「あら、知樹……それは違うわ。私たちは、人じゃなくてよ」
そう言うと亜樹の美しく整った顔立ちが、ドロドロとセルロイドのように溶けていく。氷のような冷たい微笑を残したまま、クルリと顔を一八〇度回転させると、夕陽に染まる海に向かってこう呟いた。
「そうね……人は、私たちの事をこう呼ぶわ……『観測者』と……」




