第14章 戦艦の最期②
「中井艦長っ! 今や榛名は、航行出来る状況ですらなく、対空指揮装置を取り外された状態では防戦一方。いつまで凌げるかわかりません」
そう必死に救護活動を続けながら叫ぶのは、中井が八木から榛名を引き継いだ後も側で支え続けてきた石尾と佐野であった。
日本軍の戦闘機が応戦するも爆撃の轟音は止まる事は無く、停泊する殆どの軍艦が黒煙を上げ目の前で沈没していった。
「中井艦長っ! またしても着弾です……持ち堪えれません、もうダメです! このままでは着底します」
側近である宮路少佐の悲壮な声に、中井は力なく微笑んだ。ゆっくりと白い海軍帽を脱ぐと、防空指揮所を降り艦橋の司令室へと向かう。
そこに集まったひとりひとり目を合わせると、落ち着いた面持ちで穏やかに話し始めた。
「総員に告ぐ、今まで榛名と共によく戦ってくれた……感謝する。これをもって総員退艦命令とし、本艦より直ちに離脱せよ。これは命令だ……皆の武運を祈っている」
天皇陛下より預かった軍艦、その指揮官は自艦と運命を共にするのが不文律であった。
指令室に中井ひとりを残し、生存している乗組員たちを全員退艦させると、最後まで甲板に残った白石と宮路、石尾、佐野が、黒煙を吐きながら傾き行く艦橋を見上げ敬礼する。
窓越しから眼下に小さく見える四人に気がついた中井は、ピンと伸ばした指先を雄祐とこめかみに当てると、最期の敬礼に応えた。
その後、四人が海に飛び込むのを見届けると、軍靴の音を廊下に響かせ艦長室へと向かい静かに扉を閉め、ガチャンと内側から錠を下ろす。
「お待たせしました……少し遅れましたが、私もようやく靖国へと向かえそうです。三宅少将がご英霊になられてから、辻岡さんは寂しそうでしたけど……このあとの日本は、彼が上手い事やってくれる筈です。そちらでは、年中桜が咲いておるのでしょうか? 先に逝った連中も交え、桜でも眺めながら先日の宴の続きでもやりましょう……こちらはまだまだ暑い夏ですからね――」
最期にそう独り言を呟くと、一瞬の躊躇いも無く持っていた軍刀で腹を斬り、自害し果てた。
中井徹大佐、戦死。
大日本帝國海軍戦艦榛名、一九四五年の夏、呉軍港にて大破着底。
その一年前である一九四四年の十月。聯合艦隊旗艦である戦艦武蔵は、レイテ沖海戦に臨むもシブヤン海にて轟沈した。世界最強の攻撃力と言われた四六センチ主砲を三基も備え、世界最強の防御力と言われた四〇センチもの厚さの装甲板は無敵を誇り、それを破る事が出来るのは世界中を探しても武蔵の主砲以外に無く、まさに世界最強の戦艦と謳われた。
しかしその武蔵と戦ったのは、戦艦ではなく航空機であった。
そのため戦闘で主砲を撃つ機会がなかった武蔵には、大量の弾薬が艦内に残されていた。その火薬に敵航空機から放たれた魚雷が引火し大爆発を起こすと、最強の戦艦はバラバラに砕け散った。
「ついに不徳のため、全国民に絶大の期待をかけられたる本艦を失うこと、誠に申し訳なし。対空戦闘の威力を発揮しえざりしこと自責の念に堪えず。本日も相当数の戦死者を出しあり、これら英霊を慰めてやりたし。どうかこれからの日本が日本人の誇りを持ち、祖国が永劫に幸あらんことを祈る」
艦長である三宅一郎少将は、そう遺書を残し武蔵と共に壮絶な最期を遂げた。
開戦のきっかけとなった、あの真珠湾攻撃で日本が見せた華麗なまでの航空戦術。皮肉にもその航空戦術によって武蔵をはじめ殆どの戦艦を失い、これを機に帝国海軍が拘り続けた、大艦巨砲主義は終焉を迎える事となる。
辻岡が危惧していた通り、時流を読むことが出来なかった日本の戦況は悪化の一途を辿り、このまま日本は敗戦真っ只中へと突き進んで行くのだった。
――アメリカ軍による空襲は、軍港だけに留まらず市街地にも戦略的に行われた。
空を覆い尽くす焼夷弾の雨は、瞬時にして慣れ親しんだ呉の街並みを火の海へと変えてしまった。
まだ六歳の江美には、目の前の耐え難い光景はあまりに残酷過ぎた。ただただ成す術もなく呆然と立ち竦み、今にも泣き崩れそうだった。
そんな江美の脳裏に、聞き慣れた優しい声が浮かぶ。
『江美……泣いたらアカンで。見てみぃ……べっぴんの顔が台無しやないか』
艦長という忙しい身でありながらも、帰って来てはいつも優しく可愛がり、泣き虫な江美を励ましてくれた大好きなお父さん。
そのお父さんの声を思い出して、グッと下唇を噛み涙を堪える江美だった。
「お母さん、お父さん……直美お姉ちゃんに会いたい」
その切実な思いが、小さな心に勇気の火を灯した。
しかし、その小さな勇気の火は「ゴォゴォ」と音を立て、家屋を燃やし渦を巻く大きな紅蓮の炎に、瞬く間に飲み込まれ消えてしまうのだった。
力が抜けた様に、へなへなと崩れ落ちる江美。
すると肌を焼くような熱風と、視界を遮るほどに立ち込める黒い煙のその奥から、こちらに向かって一直線に近付いて来る黒い影が見えた……
「ワンワンッ」
その影の正体は、ドドであった。
「あっ! ドドーーーーッ」
ハァハァと息を切らし駆け寄ると、周りをグルっとひと廻りして嬉しそうに江美に擦り寄り、何度も煤だらけの顔を舐めた。
「ワンッ」
腰を抜かしてヘタリ込む江美を励ますように再び大きくひと吠えすると、ドドは江美のシャツを噛んで引っ張る。
「ドド、無事やったんやね。よかったぁ、江美ね……江美ね……こ、怖かったよぉ」
ドドに会えた安堵から、張り詰めた緊張が解け一気に涙が溢れ出した。
クシャクシャになった江美の顔を心配そうに覗き込むと、涙をペロッとひと舐めしてドドは再び江美の袖をグイグイと引っ張る。
どうやら直美の家へ連れて行こうとしているようだ。
「わかったよドド、お姉ちゃんの家に行こう」
そう言って立ち上がると今度は脇目も振らずドドの後姿だけを追い、火の粉舞う呉の街を再び無我夢中に走り出した。




