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届く宛てのない手紙  作者: いしい けん
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第13章 情報提供者

「うっ、昨夜は少し飲み過ぎたな」


 目を覚ますと、そこは見慣れたホテルの天井。

 昨日の深酒が頭にガンガン響く。幾らか場馴れしたとは言え、アルコールの耐性が極端に低いのは母親の遺伝だろうか。全く要らない所までよく似たもんだ。酒が強くなれるならなりたいものだ……何度もそう願った事は数え切れず、体質とは簡単には変わらないらしい。


 二日酔いの頭痛を醒ます為、冷蔵庫からペットボトルの水を取り出す。

 よく冷えたミネラルウォーターをガブ飲みし、血中のアルコール濃度を薄めようと足掻いてみる。

 スーッとひんやりした感触が、乾いた身体の隅々まで行き渡る。


 左手にペットボトルを持ったまま、スッキリしないこめかみを押さえシャワールームへと向かった。

 熱めの温度に設定し頭からシャワーを浴びると、昨夜の会話を頭の中で再度整理する。


――NARSの内部事情に詳しい情報提供者の男、秋山元志。


 北新地にタクシーを走らせ「スエヒロ」の個室で食事を済ませた後、行きつけの高級クラブ「ラフテル」で綺麗どころの女をはべらせ美味い酒を飲ませる。


 程よく酒が入ると、前以てママにお願いしていた色気のあるホステスを隣に座らせた。店内で可能な限りの過度なボディタッチでご機嫌を取ると、すぐに鼻の下を伸ばし饒舌になりペラペラと勝手に喋り出す。女と酒で堕ちるこの手の人間は一番扱い易い。おかげでこちらも深酒に付き合わされる羽目になるのだが、この程度の労力と金で買える情報なら安いものだった。


 しかし、自称情報屋と豪語する秋山の持ってきた話は、私の想像の範疇を超えるものだった。

 当初、私は今回の指令を受けた際に、原子力潜水艦の製造が絡んでいるのではと勝手な推測を立てた。

 理由は簡単。マークすべき施設であるNARSが、原子核の応用を専門とする研究所であるからに他ならない。

 しかし秋山の証言に拠ると、NARSでは原子力潜水艦の製造は疎か、研究すら行われていないと言う。

 であるとすれば原子核、量子論を専門分野とする、NARSが研究を続けているものはいったい何なのだろう?


 私のその疑問に、秋山はこう答えた。

「二重スリットの実験を知っているかね? 要は量子を二重のスリットに向けて発射した際、スリットの向こう側に付着する痕跡が『観測者』を置いた場合と、そうで無い場合とで違う結果をもたらすという実験だ」


 さっぱり何が言いたいのか、ただただ酔いが廻る面倒臭い話だな、正直そう思った。諜報員である以上、最低限の知識は有するものの物理学は心底苦手だ。


 しかし秋山はここからが重要なのだと話を続ける。

「では量子力学の父、アルベルト・アインシュタインが唱えた有名な説は何か、これくらい勿論知っているよね」


「相対性理論……ですよね。詳しいことは難し過ぎてわかりませんが、時空と空間について記述した理論だと記憶してますが」


「そうだ。その相対性理論によると、光に近い速さで動くほど時間の進み方は遅くなり、光と同じ速さで進むと時間は止まる。更には光より速く動くと時間は逆向きに……そう、未来から過去に動くようになる」


「それって、まさかっ!」


「その、まさかだよ……しかしそれには、さっき説明した『観測者』の存在が必要なんだよ」


「観測者? それは実際になにかを見届け、観測する者という意味ですか?」


「詳しくは私もわからない。ただその観測者と呼ばれる何者かが……この世の中に実在したとしたら?」


 ハッと我に返る。危うく秋山の突拍子もない話に飲まれるところだった。


「すまない、秋山さん。貴方が言っておられる話を端的に言うと……もしかしてタイムマシンが存在すると言う馬鹿げたお話をされているのですか? 本気で言ってるんですか? それにその観測者と言うの何ですか、一体?」


 秋山がおもむろに煙草を咥えると、難しい話ばかりで退屈していたホステスが、やっと仕事を見つけたとばかりに競うようにマッチで火をつける。

 深く吸い込みフーっと煙を燻らせると、露骨な含み笑いを見せた。


「観測者……その確固たる証拠が掴めたら君はこの話を信じると言うのかね? では次回、また君に報告するとしよう。勿論、情報料はタンマリと奮発して頂くが、構わないかね……」


 やれやれ、金の話だけは抜け目のない男だ。SF小説のような話を信じる信じないはその報告の後でも問題ないだろう。


「はい、よろしくお願いします。楽しみにお待ちしてますよ」

 そう言って私は、事前に用意してある現金入りの封筒をテーブルの下からスっと秋山に手渡した。

 今回の情報料だった――


 シャワールームから出て髪の毛だけ簡単に拭くと、身体は濡れたままバスローブを纏う。

 もう一本、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し口に含んだ。


 ドサっと身体を預けるようにソファーにもたれながら、何気なくつけたテレビをつける。タイミング良く流れたニュース番組から、アナウンサーの声が耳に飛び込んできた。


「本日、午前八時頃……大阪市内のホテルから、窓ガラスを突き破り全裸の男性が降ってきたとの通報を受け、警察署員が駆け付けましたが男性の死亡が確認されました。被害者の氏名は、秋山元志……現場には争った形跡などが無い事から、警察は事件と事故の両面から捜査を進めています――」


 私はテレビの画面に食い付いた。つい数時間前まで一緒だった、有力な情報提供者である秋山が死んだ。いや、おそらく何者かによって殺害されたと見るのが妥当だろう。


 一体誰が何の為に殺害する必要があったのだろうか。

 もしその犯人が今回のNARSの件に関係していると考えるなら、もう既に私の存在にも気付いている事だろう。


「厄介なことになった……用心が必要かもな」


 部屋のカーテンを閉め再度辺りを見渡し、誰もいない事を確認するとベッドの枕元から円柱状のスティックを取り出した。携帯式のスタンガンだ。手のひらサイズなので外出中は常に持ち歩く事ができ、就寝時にはこのように枕元に隠し持っている。この一五〇万ボルトもの電流を受けた者は、あまりの激痛に十分以上立ち上がる事すら出来ず悶絶する。


 CIA諜報員に支給された超軽量護身用武器である。


「なんだか、良からぬ方向に動き出してきたな」


 試しにスタンガンのスイッチを入れ動作確認をすると「バチバチバチ」と音を立て小さな青い稲妻が暗い室内で怪しく光る。一旦それをテーブルに置くとノートパソコンを広げ、アタッシュケースの底に仕込んである隠しスペースからUSBメモリを取り出し差し込んだ。


『海上自衛隊とNARSに関する調査報告書』


 そう題したフォルダに直近までの報告内容を書き込み送信すると、機密保持の為キーボードのYESを選択した。


「DELETEしますか? Y/N」

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