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届く宛てのない手紙  作者: いしい けん
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第10章 情報漏洩②

「わかりました。こちらで用意可能な潜水艦の装備は十分ではありませんが、今晩のうちに先輩の艦に最低限の補給と整備を行い、明朝には出航出来るよう各隊に通達しておきます」


「辻岡さん、よろしくお願いします。こっちの内通者は、私と三宅少将の方で調べ上げておきます」


「一郎、徹すまんな。ところで、この女はどうするんや?」


 その声に突然、女は俯いていた顔を上げ辻岡と三宅に懇願する。

「お願いです……帰して下さい……私は何も……これ以上はわかりません」


 涙ながらに訴える女の肩を、三宅が優しくポンと叩く。

「すまないねぇ、それは出来ないんだよ。真相を究明して、野本二等水兵の濡れ衣を晴らしてやる迄は……しばらく軍の保護下にいてもらうよ」


 そう言い終えると、いつもの優しい表情から一転、厳しい眼差しを女の顔にグッと近付けた。

「いつまで知らぬ存ぜぬが通用するかな? どうしても喋りたくないと言うなら、海軍独自のやり方で尋問しても良いんだよ?」


「濡れ衣って……ど、どういうこっちゃ? 一郎、説明せぇ」


 三宅は女の顔から一旦目線を外すと辻岡の方を向く。それと同時に女の視線は宙を泳ぎ、細い身体は恐怖から小刻みに震え出す。それを必死に隠すように唇を噛み、終始下を向いていた。


「それが先輩、この女が乱暴されたと言う、あの場所が問題なんですよ」


「なんや? 外でやらしい事やったら具合悪いんか? 毎回毎回、布団の上とは限らんやろ」


 中井はこの状況で、冗談が言える辻岡に改めて感心した。

(それともあの人は、本気で言ってるのかも知れない)


「お言葉ですが、辻岡さん……そうではなくですね」


「なにがやねん」


「あの場所にあるのは通信所、無線や信号の情報が集まり発信される場所。即ちトラック諸島情報の要所です。野本のような二等水兵はおろか、民間人など絶対に立ち入る事のない場所――」


 中井の言葉に続くように、三宅が続ける。

「たとえ階級が上の者でも、所属によっては容易に立ち入る事すら出来ません。まして野本二等水兵如き一兵卒の手引きで易々潜入出来る程、海軍の警備は甘くありません。別の誰かが関与してると考えるのが妥当かと。もし仮に野本が民間人に凌辱を行ったとして、何故わざわざあの場所を選ぶ必要があったか? 非常に辻褄が合わない不自然なことだとは思いませんか?」


「なるほど。隠れてイチャこくにしても、なんもそこや無くてえぇって事やな」


「我々は兼ねてより、海軍内部に不審な動き有り、との情報から内偵を続けて参りました。本日到着されました三宅少将にも、諜報部による報告書の内容をお伝えした所であります。そこで――」


 話しの途中、何かを察知した中井はピタッと黙ると、人差し指を唇に当て擦り足でニジリニジリと窓際まで進むと一気に窓を開けた。

「誰だっ! そこにいるのは?」


 生茂る草木の奥に黒い人影が見えたが、ガサガサと音を立て既に走り去った後だった。


「どうやら、聞かれてましたね」


 悔しそうに中井がこちらを振り返った刹那「パンッ」と言う銃声が響く。

 室内にいた女は眉間を的確に撃ち抜かれており、座ったまま天井を仰ぎ血を流していた。


「しまった、もうひとりいたか」


――即死であった。


 急いで部屋にあった受話器を上げ、三宅が声を荒らげる。

「緊急事態! 軍施設に於いて発砲、直ちに各兵員は不審人物の身柄確保にあたれっ」


 施設内にけたたましいサイレンが鳴り響き、兵員達が次々と銃を持って表に出てくる。


「どえらい事になったのぉ」


 目を見開き天井を向く女の死体に近付くと辻岡はそっと顔に手を当てる。そのまま優しく開いたままの瞼をそっと閉じさせるのだった。


 中井は辺りを警戒し、見渡していた視線を女の死体に戻す。

「恐らく口封じかと」


「同じ帝國海軍の軍人が関係しとるんやったら、こりゃ難儀なこっちゃで」


「そうですね。この動乱に乗じて銃を持ってウロウロしていても、何ら怪しくもないですからね。紛れ込んでしまっては、見つけ出すのは至難かと」


「まぁ、そういうこっちゃ」


 軍内情報漏洩の重要な鍵を握る女を死なせてしまった。

 物資の補給を度々断たれ、窮地の聯合艦隊の指揮を執る三宅は悔しさの余り唇を噛む。


 それを横目で見ていた辻岡が、そっと三宅の肩に手を回す。

「一郎、兎に角ここは任せたで! 俺は明日、出航して物資を必ずここに届ける」


「はい、わかりました! 先輩もご武運を――」


 その言葉に辻岡は、後ろを向いたまま右手だけブラブラっと振ると、そのまま何も言わず部屋を後にした。


 ひとり向かう先は、漆黒の洋上に浮かぶ伊一四一潜。


 その時を同じくしてこの漆黒の夜に紛れ、夏島の北端より何者かを乗せた一隻の内火艇が、人知れず島を離れようとしていた。

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