第一節 僕らの日常。2
光が放たれた後に僕は通路から飛び出し、広間の中を見渡す。
広間の奥行きは大体40メートル、幅は30メートルと言ったところでその中央辺りに焚き火が設置されていた。
ゴブリンはそこを中心に12匹、全員が瞼を押さえて喚いていた。
右手の奥にオーガも居るが、瞼を押さえている様子がない。
どうやら光石の閃光を直接見ることがなかったようだが、それでも眩しかったのか眼を細めている。
これは想定外だった。しかもこちらをしっかりと認識はしているようで、洞窟内に響くような咆哮を放つ。
その雄叫びに怯んでしまいそうになるが、こちらに距離を詰められてはゴブリンの対処が困難になってしまうので堪える。
「ゴブリンが広間中央に12!右奥にオーガ、武装は棍棒、眼が見えてる!僕はそのままオーガに向かうから、アイラで数を減らして、動けるやつが出てくるまでグレッグもそっちに。ユニはバーンブレットで待機、カインはユニの近くの奴だけ倒して全周警戒!!」
腰に下げたショートソードを抜き放ちながら、確認できた状況と作戦を声を張り上げ伝える。
そして全速力で悶絶するゴブリンの横をすり抜け、20メートルほどあったオーガまでの距離を詰める。
そのままオーガの全長3メートルはあろうかという巨躯の右脇へすれ違いざまに斬りつける。
しかし勢いをつけていたとはいえオーガの肉は固く、内蔵まで達するほどに切り裂くことは叶わなかったが、それは想定内だ。
「GYAAAAAAAA」
斬られた痛みからか、オーガは叫びながら右手に持った巨大な棍棒を狙いもつけずに後ろに向けて振りかぶってきた。
それを走ってきた時の勢いを左脇の方へ身体を回転しながら躱し、その勢いを利用して背後から左肺に向けて剣を突き立てる。
しかし運が悪いことに肋骨に刃先があたって、刃が滑ってしまう。
体制も前のめりに崩れてしまい、僕は大きく隙を晒す事になる。
オーガが反射的に繰り出した左肘が僕の顔面に向かってくるのが見える。
「しまっ……!」
咄嗟に剣を離し、両腕を顔面の前で交差させてガードする。
勢いのついていない肘打ちだったことは幸いしたものの、あの巨躯から繰り出されるそれは人間のものと比較しても段違いで、まともに食らった左腕は感覚がなく、右腕も芯までジンジンと痛む。
そのまま5メートル近く壁の近くまで地面を滑るように吹き飛ばされたが、足がついていた事もあり、倒れ込むことや、壁に背中をぶつける事がなかったのが幸いして、即座に動くことが出来た。
しかし剣はオーガの足元に落ちており、おいそれと拾いに行くことができない。腰に下げたもう1本の短刀を動かせる右手で抜き、逆手に構える。
頭にダメージがなかったのはそれでも幸いだった。
オーガはこちらに向きなおり、僕を睨んでいる。
右前方でアイラの振る双剣がゴブリンの後頭部を切り裂くのが見えた。
仲間達は順調にゴブリンの数を減らしているようだ。
後2分もすれば僕の加勢に来れるだろう。
とはいえ、開始1分程度このダメージを負ってしまった僕が持つのかちょっと怪しくなった。
息を吸って吐いてを繰り返し、強制的に整える。
痛みも今は高揚しているおかげで我慢できる範囲だ。左腕は肘から下が痺れていて全く動かないが、折れていても死ななければ治せる。
ちらりとだけ左腕の状態を確認するとシールド付きのガントレットがガッツリヘコんでいた。
やはりあの巨躯から生み出される膂力の恐ろしさを物語っていた。これはまともに食らうとよくて瀕死だろう。
興奮した様子のオーガが左肩をこちらに向け、腰をグッと落とす。
不味い、突進が来る。
「WOOOOOOOOOOOOO」
再び身体がこわばってしまいそうな程の咆哮をあげ、その体躯を存分に活かした突進をしかけてくる。
地面が抉れる程の踏み込みから放たれたそれは5メートルの距離を一息で詰めるだろう。
踏み込みを見た時点で、僕の身体は既に動き出していた。
凄まじい地響きを伴って迫っている暴力の前で迷っている時間など与えてくれない。
カンと感覚だけで僕は前に踏み込んだ。
倒れ込むほどに深く、そして低く。
そのままどこも掠らせない様に身体をオーガの右へと踊らせる。
予想外の行動だったのだろう、オーガはそれに対応することは出来ず僕の後方にあった壁へとその勢いのままに突っ込んでいった。
広間全体が震えたかと錯覚するほどに轟音が響く。
左に避けていたらおそらく棍棒の餌食になっていたかもしれなかった。
オーガはゴブリンと同じで頭は良くないが、その程度の身体能力と思考はできる。
僕は倒れ混んでしまわない様に右手をバネの様にして地面に手を付き、反動で身体を起こす。
そして落ちた剣へと急いで走り寄る。
すぐさま短刀はしまって、剣を持ち上げて刃を確認する。
あの突進には巻き込まれなかったようで、どこにも損傷はなかった。
左方を見るとゴブリンは半数近くが片付いたようで、ゴブリンたちも武器を振り回しては居るが、これならカインをこちらに回しても、ゴブリン達の視力が戻る前にグレッグとアイラの2人でなんとかなるだろう。
「カイン、こっちに加勢して!グレッグはユニの護衛を優先、アイラはそのまま数を減らして!」
全員から了解と返事が帰ってくる。
大盾を持ったカインが詠唱をするユニの前から離れ、僕の方へ駆けてくる。
カインは僕らの中では体格に恵まれ、190センチ近くもある。大盾とショーテルを装備したタンクだ。
僕の横についた彼は、土煙の中、壁際で唸っているオーガを警戒しながら話しかけてくる。
「ニール無理しすぎだぞ、ヒヤヒヤした」
「ごめん、死にかけたよ……。作戦だけどカインはあいつの棍棒を受け止めて。その間に僕が足の健をその間に断ち切る。そしたらユニにバレットを撃ってもらう。ユニ、聞こえた!?」
大声で伝えた作戦はユニにも伝わったようで、彼女の方を横目で確認すると詠唱中なので返事は出来ないものの、こちらを見て頷いていた。逆にカインはオーガを見据えたまま、冷や汗を額に浮かべている。
「え、うっそ。あれ受け止めるの?本気?」
一瞬本気でいってるのか、と僕を見てくる。
「本気」
「鬼ールが顔出したな……まじかよ、クソッ」
なんだよ、鬼ールって。僕は出来ないことは言ってないはずだ。
一応。
「信じてるよ」
文句を言いながらも嫌とは言わず、盾を両手持ちにする彼を僕は信頼していた。
ここぞという時に彼はしくじったことがない。
だから僕は剣を鞘に戻して、余計な力を抜いていく。
こちらが体制を整えていた間にオーガも持ち直し、こちらを血走った眼で睨んでくる。
オーガは戦闘に加わったカインの方すら見えていないのではと思えるほど血走った眼で僕だけを見据えていた。
息も相当に上がっており、頭に血が昇っているのが手にとるようにわかる。
僕は相当、奴の怒りを買ったらしい。
「GUOOOOOOOOOOOO」
唾液を撒き散らしながら怒声を発し、奴は僕に向かって棍棒を上段に構えこちらに向けて加速していく。
僕がが何をしてこようが、それごと潰してやるという凄まじい気迫の様なものを感じる。
その殺気に身体が硬直しそうになるが、いい加減なあの師匠に教わった通り、力を抜く。
周りを湖面として捉え、雑念が一切ない静の状態に精神状態を持っていく。
普通は戦場で脱力した先に訪れるものは死だが、師匠の技を持ってすればそうはならない。
とはいえ未熟な僕では戦場で無策に脱力を行うことは無理だ。だけど僕には仲間がいる。
カインが必ず防いでくれると信じているから、僕は仲間にその身を預け、動く時を待つ。
段々と時間が引き伸ばされていく様な感覚を手繰り寄せる。
強烈な殺意を伴って迫ってくるオーガ。
距離は瞬きする間に縮まり、今にも渾身の一撃が僕に向かって振り下ろされようとしている。
しかし水面は波立たせず、それをただ受け入れるかのように、待つ。
時間が非常にゆっくりに感じられる。
心臓の鼓動すらうるさく感じる。
全ての出来事が対岸で起こっているかのような……。それでいて全てを把握できている。
今、棍棒を振り下ろさんとしているオーガの筋肉の動き、舞う砂の一粒。
カインの足に力が込められた。
これ以上ないほど完璧なタイミングで動き出すのだろう。
周囲の空間を全て把握できるまで感覚は研ぎ澄まされた。
余計な力も入っていない。
今の僕にベストコンディション。
カインが動いた。
僕の命を奪わんと振り下ろされた棍棒と僕の間に躍り出て、両手で構え持ち上げていた盾を斜めに大地に突き立てる。
その直後、金属を激しく叩きつける音が洞窟内で反響する。
刹那。
湖面に拡がる波紋。
僕はゆらりと倒れる様に、苦悶の表情を浮かべて棍棒を受け止めるカインの右側から飛び出す。
右手で剣の柄を深く、握る。
今までのどんな動きよりも疾く、オーガの背後へと回り込んだそのまま勢いで鯉口を切る。
本来左手も使ってこその技だが、オーガ程度の肉ならば右手だけでも十分だ。
「シッ」
鋭く息を吐き出し、雷の如く最速で抜く。刹那、空を裂く音と共に放たれた一閃はオーガの両足を紙の如く斬り裂き、その身体を支える事ができなくなる。
その好機にカインは雄叫びと共に棍棒を弾き返し、オーガの体勢を完全に崩させる。
その直後に僕らはそれぞれ後方へと一気に離脱する。
「ユニッ!!」
魔法の詠唱を終え、待機していたユニへと号令を出す。
「射出!」
待機していたファイアバレットの起動句を宣言し、練り上げた魔力が赤い輝きを瞬かせながら形を成して、彼女の頭上に展開されていた6発の弾丸が標的に向かって撃ち出される。
銃弾の名を冠した炎の魔法であるそれは、銃弾程の速度ではないものの、矢ほどの速度で撃ち出され、対象のオーガに命中すると皮膚を焼き、体内に喰い込む。
そして体内に侵入したそれは中で弾けるのだ。
それはもうエゲツない魔法である。
6発の弾丸は全てオーガの腹に命中し、中で小爆発を起こす。
それはオーガの皮膚を破裂させ、内側に行き場をなくした臓物が噴水となり、生焼けの内蔵を近くに居た僕とカインにぶち撒けた。
しかしカインはそれを予期していたのだろう、大盾でしっかりとガードしており、そのシャワーを浴びたのは集中の切れた僕だけだった。
「ぶはっ、ニールが汚物まみれになってやがる」
アイラとゴブリンを全て対処し終わって、ゴブリンの死亡確認をしていたグレッグが僕を指差してゲラゲラと笑い出すのが横目で見えた。
少しムッとする。
「グレッグ、笑ってやるな。ニールだって好きで汚物まみれになったわけじゃ――」
と、大盾からひょこっと顔を出したカインは僕を見た途端吹き出し、顔を背けた。
ちくしょう、信じていたのに。
「ご、ごめんなさい。魔力込めすぎたかもしれません……詠唱時間長かったので、つい」
申し訳なさげにいうユニはちょっとかわいかった。
でもこっちを見ようともせず肩を震わせているのはしっかり見たからな。
「これはユニのせいじゃなくて、もっと離れてなかったニールのミスよ。でも笑うのはかわいそうよ、2人とも」
と言っているアイラも声と肩を震わせている。
僕は緊張がとけて痛みだした左腕のせいか、かなり泣きたくなってくる。
「みんな、酷くない?でもお疲れ様。みんなに怪我がないみたいで良かった」
そう言うとみんな僕を見て怪我人がよくいうよ、と言った風に笑うのだった。
僕も釣られて笑うと折れている腕に響いて痛んだが、それ以上に胸が締め付けられるように痛む。
どうして、と。
ああ、どうしてここに君だけが居ないんだ。
僕らの王様……。
焚き火が揺らめき、壁に落ちる影が僕の心を映したかのように揺らめいていた。