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悪戯な時間

 近頃、私には楽しみがある。

 些細かもしれないが心待ちにしている時間。それは放課後、学校にいる間だけ続くほんの一瞬。数時間があっという間に過ぎ去ってしまうように感じる。

 常々、もう少し続けばいいのに、とは思うのだが、残念ながら時間は止まることなく流れていく。寂しさを感じる瞬間だ。


 私は美術室で待っていた。もちろん美術部に所属しているからだ。

 あいつも美術部だから学校に来る日は必ず会う。逆に言うと学校がある日にしか会えないのだが、普段の接し方からして、休みの日にまで会うなんて妙な恥ずかしさもあるし、願望がないわけじゃないけど、実現できずにいる。


 「神上さん、こんにちは!」


 ほら、やってきた。

 自分の口元が緩んでいるのがわかる。同じ部にいる友人に言わせれば、気持ち悪いくらい緩んだ顔らしい。失礼だとは思うが自覚はある。強く否定できないのが悔しいところだ。


 男にしては小さい、ぴょこぴょこと動く小動物みたいな奴だ。忙しなくて声が大きくて絵が下手。最近は少しマシになってきたけど。見ていると飽きなくて、だから構いたくもなるしいつも見ている。どう思われてるかは知らない。私が面白いと思うから話すだけだ。

 隣にはいつも一緒にいる女がいて、私を警戒してる面持ちだった。いつものことだから気にしない。まぁ、考えてることは同じだろう。


 私に挨拶してくるのは良い兆候だ。調教した甲斐があった、という認識でいいのだろう。あの隣にいる女は認めたがらないだろうけど、現にこうして自ら私に話しかけているのは私があれこれ教えてやったからに間違いない。


 「今日も底抜けに明るいな。何か良いことでもあったのか?」

 「うーん、いつもと変わったことはありませんけど、お弁当がおいしかったとか友達との会話が楽しかったとか、そんなとこです」

 「そうか、いつも通り能天気そうで安心したよ」

 「能天気ですか? 僕は」

 「ああ」

 「ひょっとして馬鹿にされてます?」

 「まさか。良いところを挙げただけだ」


 うーんと考え込んで難しい顔をしている。

 らしくない顔だ。長考などしなくてもいい。彼の底抜けに明るい顔にこそ憧れて好んでいるのに。何も考えていない時の方が愛らしいのだ。


 別に強制するわけではないが、ほっぺたを摘んで引っ張ってみる。痛そうな顔になるとらしくない顔じゃなくなった。うん、こっちの方が愛らしい。

 手を払いのけることもできるのに敢えてそうせず、されるがままに引っ張られるのは今までもそうすることがあったからで、似たような行為も多かった。私に害がないことを理解しているからだ。

 本気で傷つけようとはしていない。これはただの戯れ。ただコミュニケーションの一環として触れ合っているだけ。

 隣に立っているあの女は睨むように私の手を見つめているが、この子が嫌がっていないことを知っていて止められなかったようだ。


 「変な顔」

 「神上さんのせいでしょ。っていうか痛いですってば!」


 文句を言っても振り払わない。ちょうどいいから両手で顔を挟んで、ほっぺたを揉んでやった。嫌がる様子ではなく楽しそうに抵抗する。口とは裏腹にこのじゃれ合いを楽しんでいるのは明らかだった。

 隣の女が苦々しい顔だが、それも含めて気分が良い。


 「やめてくださいってば!」

 「別にいいじゃないか。好きだろう?」

 「好きじゃないですよ! もう、部活始めますよ」


 結果的に逃げられてしまったが、構わない。

 あとはいつも通り、眺めるだけだ。


 人間の観察が趣味、という話に納得したことがない。人間なんて観察したところで何が面白いのか。昔から疑問に思っていた。

 そんな私が彼を観察するようになって、少し気持ちがわかった気がする。


 見ていて飽きないのだ。忙しなくバタバタと動く様も、何が楽しいのか上機嫌でにこにこしている姿も、疲れてぐったりしているところも、何度も見たような気がするがつい目で追ってしまう。何度でも、何時間でも、ずっと見つめていても苦にならない。むしろもっと見ていたいとすら思っている。

 別に面白いことをするわけじゃないし、特別何かが秀でてるわけでも、劣っているわけでもない。ただ賑やかでいつも笑顔で騒がしい。それだけと言えばそれだけなのに不思議だ。


 特徴的なのが彼の絵だ。興味があるという理由で全くの素人ながら入部して、元々は下手だったのに徐々に変化しつつあって、着実に良くなっていた。

 見る人が見ればまだ下手だと言う人がいるかもしれない。だが、私は彼の絵が好きだった。好きになったと言うのが正しい。今ではファンだと言っても過言ではなかった。まだ本人には伝えていないが、嘘偽りなくそう思っている。


 私は美しい物が好きだ。

 それは彫刻であれ、絵画であれ、風景であれ、とにかく自分の心が動いた物が美しいと感じていて、どうしようもなく愛おしくなる。

 私は彼の絵を美しいと思っている。形は歪で、技術的には拙いかもしれない。だけどそこには心がある。技術が拙くても、時間がかかっても、彼にしか描けない絵だと思っていた。


 ひょっとしたらそう思うのは私だけなのかもしれない。

 それでもいい。私にとっては宝だとさえ感じているから。


 興味を持って以来、私は彼が絵を描く姿を常に凝視しているのだが、初めの頃は恥ずかしがっていたのに今ではすっかり慣れてしまった。

 私の目の前で、新たな絵が少しずつ完成へ近付いていく。

 律儀にデッサンから始めようとしていたから、そんなのはいいから、描きたい物を描けと言って水彩画を勧めてしばらく経つ。好きに描かせると確かに彼は好きに描き始めた。それが良かったのだと確信した。基礎なんてないけど彼の心象を形にするようなその作業は、少なくとも私の目には素晴らしい行いに見える。

 出来あがった作品はもちろん、描いている姿さえ美しいと思う。


 私は、思わず反射的に手を上げて、指を伸ばした。

 胸の前で空気に触れる。

 私の、悪癖だ。ダメだと思いながらいつもそうせざるを得ない。


 世界の時が止まっていた。時計の針も、人間も、部員が取り落とした筆さえも時間の束縛から解放され、微塵も動かずに静止している。

 私だけが使える、生まれ持った力だ。

 なぜこんなことができるのかはわからない。だけど、気付いた時には思う通りに時間を止めることができて、できることと言えば止めることと再び動かすことだけだが、特別な力なのだと幼い頃に把握した。


 仮に男がこの力を手に入れていれば、やることは一つだろう。個人差はあるだろうが女もそうなのかもしれない。だけど私には興味がなかった。そもそも人間には興味がないから。

 彼だけは別だった。絵を描いている間、普段の笑顔が消えて、至極真剣な顔で自らの作品に向き合っている。その姿は美しく、愛おしく、一枚の絵画として永遠に残しておきたいと願うほど。だけどそれは叶わない。だから私は、時間を止める。自分の目に焼き付けるために、私の作品として、彼の姿を見つめる。


 残酷な能力だ。

 永遠にこんな時が続けばいい、なんて私は思わない。

 私はこの光景がこれまでの人生の中で最も美しい瞬間だと思っている。だけど時間を止めていたのでは彼が動かない。あの活力に満ちた、ふとした時に人を笑顔にする姿を見ることができない。

 私の作品の、なんてつまらないことだろう。

 彼が描く作品とは正反対。美しくはあるかもしれない。少なくとも私はそう感じて気に入っているのだが、今すぐ動き出しそうな生命力に欠けていた。


 この力を持って生まれたことを、喜んだのは一度だけ。

 彼を題材にしたこの光景を見られた時だ。

 それ以外に使おうと思ったことはない。


 全てが止まった世界の中、何一つ音がない静寂の中で、私は彼を見ていた。

 何度見ても美しいと思う。だけど、切り取った時間の中で彼の顔を見る度に、動いている彼が恋しくなるのだ。

 初めはただなんとなく見てみただけだった。だが静寂の中で彼を見つめている間に普段の姿が忘れられないことに気付いた。彼を目で追うようになり、ちょっかいをかけるようになったのはその後だった。


 妙に素直で純朴な子だ。年齢よりも子供に感じる。

 言われたことは何でも信じてしまうから、楽しくなってついつい余計なことを教えてしまった。幼馴染だというあの女がその都度訂正しているようだが、それも含めて楽しいと感じている。本人からは文句を言われることもあるのだが。


 いつまでもこのままにはしておけない。理想と現実は違うのだ。

 私は再び指先で空を押して、自らの意思で時間を動かした。


 相変わらず彼は自分の作品に集中していて、ゆっくり、着実に筆を動かして、完成を目指して邁進している。

 どんな作品が出来あがるのか。気になるし、必ずその完成した瞬間を見ようとは思っているのだが、どうしても邪魔をしたくなる瞬間がある。

 私は彼の背後に立ち、頭の上に手を置いて覗き込んでみた。


 「邪魔しないでくださいよ」

 「邪魔をしたつもりはないよ。どうたい? 首尾は」

 「うーん、まだなんとも……正直、自分でも完成がどんなのかわかってなくて、なんとなく描き進めてるだけなんです」


 そう言われても別段驚かなかった。彼はいつもそうだ。思うままに描き始めて自分でもわからないまま完成させる。その後で、こうなったのか、と驚いた顔で呟くのを何度も聞いている。

 天性のものか、それとも素人の自由さが故か。どちらにしても彼には作品が完成した瞬間がわかるようだ。後で付け足したり描き加えることはないし、後悔した様子も見せない。彼には完成させる力があって、自分の作品にある種の誇りを持っているようだった。


 子供のようでいて、こういう時だけは一端のアーティストのようにも感じる。と言っても私は世の芸術家もアーティストも知らないから、単なるイメージでしかないのだが。


 「完成までまだかかりそうか?」

 「多分ですけど、はい」

 「そうか。焦ることはない。気長にやるといい」


 そう言って会話を断ち切ったが、私は離れなかった。彼の頭を撫でてやりながら作業を見守る。彼も嫌がってはいないようで何も言わない。すぐに集中し始めて軽やかに筆を動かし始めた。

 迷いのない動きを眺めていて感心する。本人は完成した形が見えていないと言うがそうは思えないスピードだった。


 大したものだ。出すところへ出せばすでに評価されるのでは。個人的にはそう思うのだが知られたくはないという気持ちもある。将来の道を決めるならともかく、今はまだ何も言うつもりがない。


 そんなことを考えていると彼の幼馴染が声をかけてきた。

 おそらく、頭を撫でているのが気に食わないのだ。それくらいわかる。


 「先輩。ご自分の作業をなさったらどうですか?」

 「私はいいんだ。今は忙しいから」

 「どう見ても暇そうにしか見えませんけど」

 「こいつの面倒を看ているんだよ。先輩としてな」

 「必要ないと思いますから、どうぞご自分の席にお戻りください」

 「心配するな。ここが私の席みたいなものだ」


 とんでもない目付きで睨みつけられた。おぉ怖い。

 ただこちらも慣れている。その程度で怯みはしない。

 気持ちはわからんでもないが幼馴染だからと言って独占はずるいではないか。悪いが私は遠慮するつもりはない。時間など止めなくてもケツを触ってやったこともあるからな。


 本人はどちらも気付いていないに違いない。いや、もう一人いる。同じ部にいて常に音楽を聞いている奴が。あいつも彼と話す時だけはヘッドホンを外して、柔和な笑みを見せる。普段は仏頂面なのに。

 これだけわかりやすい連中がいるのに本人は全く気付かない。それが良い部分でもある一方、罪作りな奴だとも思う。だからこそ悪戯してやりたくなって、あの二人に見える位置で敢えて触れてみたりもするのだが。

 焦ってはいない。それが良さだと知っているからだ。


 「いつになったら完成するものやら……」


 集中して聞こえてはいないだろうが彼の頭を撫でながら呟く。

 私の作品は、まだ完成していない。今はまだ途中だ。

 時を止める力は今でも必要だとは思っていない。ほんの少しの寄り道。天から授かったものだが、いつだって唾を吐きかけながら返してやる代物だとしか思っていなくて、それよりも、彼と共に過ごす時間こそ大事だ。


 私の作品は、まだ完成していないが、完成させるつもりではいる。

 その時は彼が必要だ。彼がいなければ完成しない。

 そのためには邪魔になりそうな二人がすぐそこにいるわけだが、まぁ、それもいいだろう。自分でも言うのもなんだが私は少し変わっている。彼にも言われるし、周りにいる人々にも言われることだ。邪魔だと思うこともあるにはあるが、逃げられないように囲ってしまう、なんて展開も面白い。そんな風にも思うのだ。

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