人とは違う苦悩
あいつ死ねよ、うぜぇ
右から聞こえてきた。
大体検討はつく。なぜなら声が同じだから。
授業マジうざーい、さぼろっかな
左から聞こえてきた。
わざわざ考えることなのか、とは思うけど、それくらいしか考えることがないんだろう。退屈で普遍的で、ある意味では幸福だ。
人はどうして思考するのだろう。
大抵の人は仮面を着けて生きている。本音と建前。口にする言葉と頭の中にある思考は違っていることが多い。言っても信じてもらえないだろうけど、私はそれを体感して知っている。ただの想像じゃない。耳で聞いて、頭の中で聞いて理解しているのだ。
考えていることを素直に話す人なんて本当に一握り。動物なら違うのだろうか。なんて面倒で嘘ばかりの生物。
人の心の声が聞こえると気付いたのは、物心ついてすぐの頃だった。
両親が話している声を聞いて、言葉を理解し始めた私はすぐに指摘した。口を動かしていないのに独り言を言っているのだ。指摘した当初、両親は子供だからと微笑ましそうに私を見るだけだったけど、ある一件から考えていることが知られているのだと気付く。
両親が離婚した原因は私にあった。
細かく言えば私というより父親にあるんだけど、バレたのは私のせい。
父は不倫していた。私がそれを言い当てた。怒り狂った母は父に暴力を振るうまでになったが父も黙ってはいなくて、結果的に別れることになったのだ。
当時の私はまだ子供で、悲しくて、寂しくて、ひたすら泣きじゃくっていたことを覚えている。今となっては父に対して何の感情も抱かないのだけど、あの頃は今よりもずっと優しかったのだろうな、なんて考えたりする。
他人と関わらないように生きようと決めたのは小学校に入学する前だった。私は無暗に友達を作ろうとしなかったし、寂しくも思わなかった。私と相対した人々の心の声が聞こえてきたからだ。
人間が考えることなんて大抵同じだ。
嫉妬に燃えて、欲望を剥き出しにして、怠惰で、享楽的で、自分勝手で。少なくとも私が聞いていて心がきれいだなんて思う人は限られている。それは私と一緒に住む母親だってそうだったし、学校の教師だって同じだ。
幸か不幸か、私は美人に分類されるらしい容姿を持っているそうだ。自分の判断ではなく他人の判断を聞いたから知っている。おかげで誰かのオカズにされた話をよく聞かされたし、同性からの嫉妬を頻繁にぶつけられた。
他人の心を読んで得をしたことなんて、ほとんどないように思う。
付き合ってくれ、なんて告白をされて、その相手が私の顔や体しか見ていない下衆だと知る時は重宝する。校内ではモテているのかもしれないが、顔だけ良くて中身が伴わない適当な男。何の魅力も感じない。よくこんな奴がモテるなと思った人間は一人だけではなかった。
友達になろう。そう言ってきた男も女も私を利用しようとしているだけだと気付けるのも良い。出会ってすぐに友達になろうなんて言い出す奴は、大抵何か狙いがあるものだ。私の統計上はそうなっている。
悪い人間ばかりじゃない。時には優しい人だっている。自分のことよりも私を優先したり、損得勘定なく私に向き合ってくれる人。だけどそんな人たちに対しても心は開けない。心の声が聞こえる以上、いつ裏切られるか、その瞬間がわかってしまうから不安に思ってしまうのである。
裏切られたくない。だけどそんな人がいるはずがない。
最初から信用しなければいいんだ。それが私の決断だった。
大抵の場合、私はヘッドホンかイヤホン、どちらかを手放さない。
耳を塞いで、音楽を流し、周囲の雑音を遮断する。
そうしている内に音楽が好きになった。色んな音楽に興味を持って、常に新しいものを求めて色んな曲を聞く。優れているかどうかなんて関係ない。優れていても劣っていても音楽は音楽だ。私はどんな曲だって好きだ。余計な思考が含まれない私の味方。外界と私をきれいに分けてくれる。
授業中だけが辛い時間。本当は着けていたいけど怒られる。嫌な瞬間だ。
心の声が聞こえることは誰にも言わなかった。かつて問題を起こして以来、母親の前でも一切口にしていない。おかげですっかり忘れたか、もう思い出したくないのか、余計な詮索はされなかった。表面上は娘への愛情も見せてくれるし、腹の内ではどう思っていても、私は私で生きていけるなら文句は言わない。
仮面を着けた家族。私が学校へ来るのは母親の顔色を気にしてだ。そうでなければとっくに部屋に引きこもってるだろう。できればそれが念願だった。
私の念願は部屋に引きこもることだ。日がな一日、好きな音楽を聞いて、漫画を読んだり絵を描いたりしてだらだら過ごす。それだけできていればあとは何もいらない。それだって十分贅沢だろうけど。
恋愛に興味はないし、結婚なんてしたいと思わない。
自分だけの世界が作れたらどれだけいいだろう。馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれない。高校生にもなって中二病が治ってないと言われるかもしれない。だけど私は心の底からそう思っていた。
誰もいない世界で生きたい。叶わぬ夢だ。だけど本気で願っていた。
いっそのこと世界が滅んで、悪魔でも、ゾンビでも、誰でもいいから人間を滅ぼしてくれないか。そんな妄想をする日もある。
学校なんて退屈で、毎日来るけど別に変化なんて何もない、ただ同じことを繰り返すだけ。
みんな考えていることは同じで、誰が好きとか、授業がめんどくさいとか、嫌いな奴が目に入ると死んでくれないかななんて考えたりする。戦争がなくならない理由はきっとこれだな。
将来、私はどうなるんだろう。
そもそも将来なんてあるんだろうか。
自ら死ぬ人間は世界中にいる。お金があっても、家族がいても、何の不自由もなかったとしても、或いはお金や家族がなかったとしても、人は日々悩み、心が壊れて判断力を失い、死んで楽になろうとする。それは今や不思議なことでもなくて、戦争のない平和が実現しても根絶できないものなのだろう。
毎日が辛い人間にとって、死とは救済なのではないだろうか。
私は、そうした人々の気持ちがわかる気がする。
誰かが悲しむとか、やっちゃいけないとか、色々言われるけど、言われるからこそ解放されたい。一番の逃げ道なんだろうと思う。
私もいつかは。或いは、今日こそ、と考えた日があった。その時はふざけてなんていないし本気で死ぬつもりで準備をしたこともある。
それでもまだ生きているのは、どうしても聞きたい声があったから。
あっ! 羽場さんだ!
聞こえた瞬間、思わず振り返りそうになってしまった。心の声は私以外には誰にも聞こえていない。ここで振り返ると明らかにおかしい。
振り返りかけたのをぐっと堪えて、気付いていないふりをしながら廊下を歩く。
期待通り、声の主は私を追ってきていて、振り返れない以上は心の声だけが頼りだった。
今日こそは成功させるぞ
羽場さんは気配に敏感だからな、気配切りとか得意かもしれない
いつも通り、恐る恐る近付いてくるのがわかる。
不自然だとは思ったけど、気付いてから私は歩調を遅くしていた。
振り切ってしまわないように、追いつけるように、ゆっくり歩く。声が少しずつ大きくなってくると彼が近付いてくるのがよくわかった。
きっと楽しそうにしているんだろう。ドキドキしているんだろう。その顔が見てみたいと思っていたけど見ることはできない。今まで何度か繰り返したけど一度も見れた試しがなかった。
それでいいと思ってる。もう諦めもついた。代わりのものもそこにあるから。
よし、いけそうだ
今日はヘッドホンか
ちょっと難しいけど、ジャンプすればなんとか
彼の考えていることが頭の中に流れ込んでくる。
不思議と嫌ではなかった。他人の声はどれも不快に感じるのだけど、その声だけは聞いていても辛くならない。だからこの瞬間だけ、音楽を止める。
急に取ったら羽場さん驚くだろうなぁ
そう思う彼だけど、今まで一度も成功したことはない。
こんなに悪戯が下手な人間なんているんだろうか。そう思ったけど、よく考えたら私が心の声を聞かなければもっと早くに成功しているだろうし、失敗することはきっと不思議ではないのだろう。他の人が相手だったのなら成功していたかもしれないから、彼のせいだとも言えないのか。
私にとっては当たり前のこと。すっかり失念していた。
よし、そろそろ、もう行けるか?
そろそろだな、と思ったので、足を止めて振り返る。正面には彼の姿。驚いた顔で固まった後、慌てて振り返って私に背を向けた。
ヘッドホンを着けていても口笛が聞こえてくる。そんなので誤魔化せると思ってるんだろうか? 今まで何度も失敗したのに。
ちらちらと私を確認してくる彼へ、溜息交じりに言ってやる。
「また失敗。私の勝ちだね」
「う、うるさいなぁ! ちょっと手加減してやったんだよ!」
「そうなんだ。いつも手加減ありがとう。昨日もそうだったね」
「くぅ~悔しい!」
悔しい! 今日はいけるはずだったのに!
心の声が聞こえてくる。
こんなにも本人の発言と心の声が一致していることは珍しい。正直、考える必要がないんじゃないかってくらい全部話している。
私が彼に惹かれるのはきっとこれだからだ。
羽場さん、絶対もうちょっとってところで気付くよな
気配に敏感だからなのかな?
それとも頭の後ろに目があるとか
しかも近眼で近くに来なきゃ見れないとか
あり得るかもしれない
羽場さんは妖怪だったのか!
ずいぶん失礼なことを考えられている気がする。しかもこれだけで済まないのが彼のすごいところだ。
「羽場さんって妖怪なんだね!」
「違うよ。君は失礼だね」
どうしてそれを言ってしまうんだろう。いまだに謎だ。
私を気味悪がる人間はいる。あまりにもしつこいナンパや、悪意を持って近付いてきた相手には心の声を聞いて得た情報を少しだけ明かしてやるのである。すると相手は面白いように動揺して怯える。大抵は私を気持ち悪いと思って去っていく。何度も経験しているから身に沁みている状況だ。
彼の場合は、色々考えた後に結果だけを私に伝えてくる。なぜ妖怪だと思ったのかは心の中だけで処理されて、妖怪だったんだね! なんて確信を持って私に言い切ってしまう。普通の人間だったらきっと普通に戸惑うだろう。もしくは異様な思考回路だと思われるかもしれない。
その点、彼の声を聞くのは楽しかった。省略された思考を聞き取り、なぜその結論に至ったのかをリアルタイムで追うことができる。普通の人にはできない、異常な私だけが感じ取ることができる楽しみ。
「頭の後ろに目があるんじゃないの? それも近眼の」
「ないよ。触って確かめてみる?」
「いいよいいよ!? 目なんて触ったら痛いじゃんか!」
「だからないんだって。ないから触っても痛くないの」
「本当?」
不気味だと思われることは何度もあったけど、頭の後ろに目がある妖怪だと思われたことは初めてだと思う。改めて考えると結構失礼な奴だな。
彼は恐る恐る、怖がりながらも手を伸ばしてきた。私はその手を取って、遠慮しないように自分の後頭部へ運んでやる。
本当にあったらどうしよう
目玉、触られると妖怪でも痛いよなぁ……
羽場さんの知られたくない秘密だったのかも
気配切りが得意な妖怪として有名だったかもしれないのに
気配切り妖怪だ
意味がわからないことを考えながら後頭部を触られるのは初めての経験だ。
何もないことを確認して、手はそっと離れていった。
呆然とした表情だったけど、やっと状況が呑み込めたみたいだ。
「本当にないね。閉じてたとかじゃなくて?」
「君、妖怪が本当にいると思ってるの?」
「もちろん。河童とか、一反木綿とか」
「見たことある?」
「ない。でも簡単に見られるわけないじゃないか。人間に見つからないように隠れてたりとか、そもそも見えないとか、人間に見つからないのにはきっと何か理由があるんだよ。あっ! 人間に化けることができるのかもしれない!」
「君はバカだね」
「なにぃ!? なんだよ突然! 失礼な人だなぁ!」
「褒めてるんだよ」
「そうなの? それならまぁ……ん? そうかなぁ……」
前々から思っていたけど彼はバカなんだな。だから一緒にいて楽になれる。
褒め言葉か否かを真剣に考え始める姿を見て思わず笑ってしまった。
そんな私を見て、彼の表情が緩む。
「羽場さん、最近よく笑うようになったね」
「そうかな」
「うん。前はずっと寂しそうだったから、今の方が良いと思う」
そんなに笑っていただろうか?
その前は寂しそうな顔なんてしていただろうか?
自覚はない。雑音を意識的に聞かないようにするのは慣れてる。周りにどう思われるかなんてずいぶん前に聞くのをやめてしまった。今、彼に言われて初めて気付いた気がする。
それとも彼もそう思っていたのに、聞かないようにしていただけ?
彼の声を聞くようになってまだ日が浅い。それでも数ヶ月は経っているけど最初は意識的に聞こうとはしていなかった。
どうせ他の人間と同じ。そう思っていたのに。
あの悪戯、失敗するけど案外意味のあるものなのかもしれない。
「今日も部活来る? 一緒に行こうよ」
「別にいいよ」
「よかった!」
屈託なく笑う彼はまるで子供のようで、子供は無垢なんだ、と気付いたのは実は最近だったりする。それまでは聞こえてくる全ての声を意識的に聞かないようにしていた。全て排除すべきだと思っていた。だけど子供の声はすごく素直で、全部が心地いいわけではなくて、大人を相手にするような時もあるけど、前とは見方が変わったのは彼のおかげなのだと思う。
大半は人間なんて嘘つきで自分勝手。だけど全てがそうじゃない。
これくらい素直で明るくてバカなら一緒にいても気が楽だ。
こうしている今も、彼は私と一緒に歩いて純粋に喜んでいる。私が笑顔でいることが嬉しいとか、今日も話せることを喜んでいて、私の容姿を気にしないし、私を抱きたいとかキスしたいなんて考えはちっともない。
それはそれで困るかも、とは思うけど。
まぁ、焦っても仕方ないことだ。急ぎ過ぎると私の不安が的中するかもしれないという不安はある。バカな彼みたいに、楽観的になった方がいい時もある。
少なくとも今は彼といる時だけは楽になれる。
家族ですらだめだったのに、こんな人間は初めてだ。
「私、最近将来の自分について考えるんだ」
「そうなの? すごいね羽場さん、僕なんて何も考えてない」
「そうだろうね」
「あれ? なんか今の、すごく失礼じゃない?」
「私、人と話すのが苦手だから、漫画家になろうかなって思うんだ」
「漫画家? すごい!」
すごい! そんな声が聞こえてくる。
同時に二つ聞こえてくるのは面倒だけど、おかしくて笑ってしまう。
あぁ、そうか。彼の前ではこうして笑っていたのか。今更になって気付いた。
「不純な動機かもしれないけど、絵を描くのは好きだし、漫画を読むのも好きだからいいかもしれないと思って」
「うん、良い夢だと思う。僕も憧れるけど、ストーリーを考えるのが無理そうだからちょっとなぁ」
「私は自信があるよ。人の心が読めるからね」
「うえぇっ!? 本当!?」
「心理描写についてなら、多少自信がある」
意外と勇気が要る発言だったのだけど、彼なら大丈夫かと思って言ってみた。するとすごい勢いで首を横に振り始める。信じかけた顔をしたのに、今までにないくらい否定されてしまった。てっきり信じるかと思ったのに。
「いやいやいや! それは嘘だね! 超能力者なんていないんだ!」
「珍しいね。そこまで否定するなんて」
「僕はもう騙されないって決めたんだ。昨日もテレビで嘘だって言ってたし」
なるほど、と理解する。
それはそれでテレビ番組の言うことを信じていることになるのだろうけど、彼は気付いているのだろうか? 多分気付いていない。溜息をつくくらい呆れるけど彼だから仕方ないと思えるようになってしまった。
彼はいつもこうで、思っていることをそのまま言葉にするのでどんな人間かわかりやすい。だから警戒しなくてもいいと思ったんだけど。
「そのテレビが嘘をついているとしたら?」
「え? そ、それは……」
「妖怪を信じるのに超能力者を信じないなんて」
「それはそうだけど、ううん」
そう言うと黙り込んでしまった。頭の中では色々考えている。
彼の本音を聞いていると、多分信じたいんだろうなと思う。だけど騙されたり笑われるのが嫌でそれを拒んでいる。きっと他人の悪意に傷つけられた結果だ。たとえ良い人だとしても、むしろ良い人だからこそ、人間の悪感情は向けられる。
守ってあげたい。そう思った自分に驚いた。
彼が誰かに毒されないようにしたいと、そんな願いを抱いた。
どうやら私も、彼に毒されていたようだ。
「もう一つ、たまに考えるんだけど」
「何? 将来の夢?」
「専業主婦」
「え? 意外だ。羽場さんって恋愛とか結婚に興味ないのかと思ってた」
「なかったよ。今までずっと」
私は彼の顔を見る。
今までそんなことをしたことはなかったけど、今日は初めて、自分の意思で彼の頭に触れてみた。
「だけど、本音も建前も同じ人間なら、大丈夫かもって思ったんだ」
本音と建前……?
難しいやつ?
哲学的な話かもしれない
哲学者が好きってことかな
「つまり好きになるなら哲学者?」
「全然違う」
「あれ?」
相変わらず独特の思考回路だけど、これくらいがちょうどいい。これで私の体をじろじろ見つめて妄想してばかりだったらこうは思わなかっただろう。
彼の頭を撫でる私。傍から見ればおかしく見えたに違いない。
それでも別によかった。意識的に聞かないという選択はできる。それに彼が傍にいる時は、彼の声だけを聞いていればいいから、不安は一つもない。




