「黒」と「金」とカミのまにまに
もしも──
あの日、あの時、あの場所で
夕焼けに彩られた鮮烈な邂逅を経て抱いた
あの遍く星の鼓動にも似た高揚感と
雲の上を歩くのような浮遊感のことを
「憧憬」でも「敬意」などでもなく
正しく「恋」と呼ぶのであれば
──何があろうと「 」は「神山透」を諦めない。
支倉美咲──失恋する。
春もうららな昼下がり。満開の桜の木の下で告白した彼女は、ものの見事に玉砕することとなった。
『ごめん! 気持ちは嬉しいけど、その……僕は金髪で、幼い感じの娘が好きなんだ!』
向かい合う少年──神山透は申し訳なさそうに顔を俯かせ、躊躇うように、けれどはっきりと返事を告げた。
二人の間を一陣の風が吹き抜ける
ちょっと待ってほしい、と美咲は呆然としたまま固まってしまう。
想定外のことに混乱が隠せない。それはもう手入れに時間をかける自慢の髪が風で乱れたというのに、目を瞬かせるだけで気にする素振りすら見せないほどに。
彼の言葉が上手く理解できず、疑問符が脳内を回り続けているのだろう。
言うまでもないが美咲の容姿は金髪ロリっ娘などでは断じてない。
『だから、えっと……支倉さんをそういう目で見たことないというか……いや違くて! 僕ほら、何の取り柄もないし地味だから、支倉さんに釣り合わないというか……』
気を持ち直す間もなく神山の追撃が刺さる。
背中を丸めて更に俯き、声も尻すぼみになっていくというのに返す言葉は刀のように鋭い。当然、美咲へのダメージは大きく、震えて目に涙を溜めていく姿はあまりにも痛ましい。
『だから……あっ、ホ、ホントにごめん!』
言葉の途中で面を上げ、今にも泣きそうな美咲を見た彼は、もう無理だとばかりに背を向けて走り出した。
この場から去ろうとする神山に美咲は反射的に手を伸ばす。しかし無情にもそれは届かず、「待って」の三文字を口に出すこともできなかった。
神山の背中が遠くなっていく。最早、手も声も届きはしまい。
その場には恋破れた乙女と悲痛な空気、そして変わらぬ花の香りだけが残された。
途方に暮れる美咲の脳裏を、彼との思い出が走馬灯のように駆け巡る。
初めてだった──誰かを好きになったのは。
彼に惹かれるきっかけとなった部室での邂逅。
拙いながらも精一杯アピールしてきた日々。
いつの間にか追うようになった彼の真剣な横顔。
その一喜一憂全てが美咲のかけがえのない宝物であり、そしてそれはより美しく、これからも増えていくものとばかり漠然と信じ切っていた。
けれどそうではなかった。美咲はただみっともなく泣き崩れないよう固く唇を噛み締め、溢れ出そうになる感情を抑え込むしかなかった。
日はまだ高くとも春の風は冷たく、朗らかな陽気だけでは温もりに乏しい。それは、春は“始まり”だけではないと示しているかのように。
ヒラリと舞う花びらが美咲の肩をそっと撫でて、また落ちる。
こうして、支倉美咲の初恋は終わりを告げたのだった。
◇◆◇
(なんて考えていた時期が私にもありました)
そんな告白劇から一週間が経ち、今日は美咲が二年に進級して最初の登校日である。準備を整え、靴を履いて家の外に出れば、朝の優しい陽光が出迎えてくれる。
玄関先で大きく胸を反らして深呼吸を一つ。
(今日も空気が美味しい。春って感じ)
美咲はこの全身が洗われていくかのような清涼感と、新しい出会いを予感させる春の柔らかさが好きだ。胸が高鳴るようで楽しくて、どこか恋と似ている。
見上げた青空は遥か澄んでいて、透き通る清々しさに彼女の心も弾むようだ。
玄関を囲うフェンスを開け、美咲は意気揚々と学校へ向かおうとする。すると背後から誰かが駆けてくる音が聞こえてきた。
「おはよ〜美咲!」
やってきたのは幼馴染の米原琴音であった。
活発な性格の小柄な少女で、幼稚園からずっと一緒の美咲の一番の親友だ。もちろん美咲の先週までの恋模様も把握している。
ヘアピンで前髪を七三のように分けたショートボブを揺らし、快活な笑顔を浮かべながら美咲の隣へ。
二人並ぶと今度こそ学校へ歩き始める。
「ねぇねぇ、転校生の噂聞いた?」
「ううん知らない。私達の学年?」
「さぁ? でもそうだったらいいね」
鳥のさえずりの中に、蹴った小石の転がる音が混じる。
「しっかしもう学校か〜。なんか部活部活で春休みって感じしなかったな〜」
「琴音、いつも怠そうに出かけてたものね」
「実際怠いしね〜。強制参加のくせに練習中身ないから疲れるだけだし。その点、美術部は羨ましいよ」
肩を落とす仕草をする琴音。
美咲も楽しそうに笑っている。
「自由参加も考えものだけどね。休み中に活動してたの二人だけだから」
「でもそっちの方が都合良かったんでしょ?」
「そうね、本当に良い時間だったわ」
美咲は誇らしげにフワリと髪をかき上げる。最後のセリフだけやたらと力が入っていた。
何を言っているのやらと呆れ様だが、琴音は安心したように微笑んだ。
「でも良かったよ、元気になって」
「……その節はご迷惑をおかけしました」
一転、恥ずかしそうに顔を逸して口を結ぶ美咲。
先週の美咲は本当にひどかったと琴音はしみじみ思い出す。部活の帰りに告白すると宣言され、どうせ成功するやろと高をくくっていたら結果は撃沈。家に乗り込んで来たかと思えば、声にもならぬ声で泣き喚いては縋り付かれて離れない始末。
おかげで琴音の部屋着は鼻水と涙でグショグショになってしまった。
「それにしても本当に勿体無い。こんな優良物件なかなか無いと思うんだけどな〜」
そう言って琴音は美咲の身体を精査するように視線を動かす。
腰まで伸びる艷やかな黒髪に凛々とした美しい顔立ち。制服をツンと持ち上げるバストとヒップ、くびれた腰つき。
気品を纏い、大和撫子もかくやとばかりに楚々と立ち振る舞う姿は、まさに美少女であった。
そんな美少女は、物憂げにため息を漏らして不満を零す。
「仕方ないの。彼の好みじゃなかったのだから」
「まさか洋物のロリコンだったとはね、神山君」
正直、琴音が初めてそれを聞いたときは神山に引いたところもあったが、今では美咲が恋心に決着をつけるいい理由をくれたと感謝している。アブノーマルな性癖はおおっぴらにすると敬遠されてしまうものだ。琴音とて自分がされれば百年の恋も刹那に冷めると断言できる。
「ま、これも経験よ。これを次の機会に活──」
「何を言ってるの? まだ私の恋は終わってないわ」
被せられた言葉。琴音は意味を理解するとギョッと美咲に向き直る。
「は、え?」
「一度振られたからってそれで終了ではないでしょう?」
琴音が聞きたいのはそこではない。あの性癖でもまだ好きなのか、という点こそだ。しかし言葉に乗せられた強い意志。不撓不屈の闘志に本気であることが分かってしまう。
「今はまだ金髪のロリータが好きかもしれない。けれど日本にそんな子はいないし、いたとしても手を出せば事案」
拳を固く握りしめ、美咲は己の決意を親友へと誓う。さながら先週、神山へ告白すると宣言したあの時のように。
「なら慌てる必要はない! ゆっくりでいいから黒髪とこの色香が好きになるよう魅了していけばいいのよ! 最終的に彼の隣に立てれば私の勝ちよ!」
──振られた? だから何。少女漫画だって一回振られてナンボのところがあるし、寧ろここからがスタートでしょう?
命短し恋せよ乙女。今の彼女に立ち止まる安息も諦める潔さも必要ないのである。
(ええ、ええ! 諦めるものですか!)
そんなやる気に満ちた美咲に琴音は思う。まさか恋愛なんか興味ないと言っていた親友がこうも変わるのかという驚きと、地味な印象の強い神山にそこまでの魅力があるのかという疑問。
困惑はあるが、琴音はそれでも言葉を捻り出す。
「ぁぁうん頑張れ」
雑な発破だが掛ける言葉は他になかった。
それから話題は別方面に逸れ、他愛のない会話を続けながら約十分。学校へ到着する。
クラス分けを確認すると、琴音とは別のクラスになり脱靴場も離れていたため別れることとなった。
廊下を進む美咲の足取りは軽い。
それはそうだ友人とは別クラスになったが、もう一人同じクラスになるよう願っていた人物とは一緒だったのだから。
『2-7』の表札。ここが美咲の新しいクラスだ。
逸る気持ちを抑えて扉を開くと、ガヤガヤと喧騒が大きくなる。既に多くのクラスメイトたちが集まっているようだ。
目当ての人物は──いた。
美咲の登校に気付いた何人かが挨拶をくれる。美咲もそれに返しながら、最前列に座る彼の元へ。
「おはよう神山君」
「お、おはよう……支倉さん」
笑顔で挨拶をする美咲とどこかぎこちない神山。
しかし美咲はそれだけでも満足だ。今はまだこの距離感でいい。自分の恋心を神山は知っているのだから今度こそちゃんと近づいていけるはずだから。
焦らなくていい。立ちはだかる障害など何もないのだから。
(いつの日か必ず!)
神山の横を抜け、席に向かいながら美咲はほくそ笑む。
これは運命だ。恋愛の神様が「神山君と恋人になりなさい」と、そう言っているのだと。
内心、確信していた。
──始業式の後、HRのその時までは。
「シャーロット・グリーンです! よろしくお願いします!」
担任が何か話しているが美咲の耳には入ってこない。
教壇に立つ転入生だという少女。セミロングの生糸のような金髪に、クリリと大きな碧眼とそれを引き立たせる童顔。そして150cmに満たないであろう背丈。
紛うことなき金髪ロリッ娘がそこにはいた。おまけに合法。
(はぁあ〜〜〜???)
盛り上がるクラスメイトと比べ、美咲の心中嵐の如く。引きつる頬で何とか笑顔を取り繕う。
こうして新学年は先行き不安の状態から始まることとなった。