アデル嬢の平穏な日常
十六歳の誕生日。
「武者修行の旅に出るので後はよろしく」
そんな書き置きを残して、突然アデルの双子の兄エドガーが旅に出た。
アデルだけは知らされていなかったが、実は兄は勇者の子孫として異世界に召喚されたらしい。しかも魔王なる存在に、自分にも危険が及ぶかもしれないなんてことも知る由もなく……。
兄の代わりにカレイド学園に行くことになったアデル。男装して兄の振りをすることは断固拒否したが、寮生活には本来兄の執事として同行するはずだったロビンが、なんと“メイド”としてついてくるという。
慌てるアデルをよそに、母は魔法のメイド服を作ってしまった。それを着たロビンは、背が高いだけの美しい女性の姿に!
良家の子女が集まる学園で、兄の代わりに友人作りと兄(と、ついでにロビン)の嫁候補を探しをしつつ、理想の学園生活を過ごそうと試みるアデルだが、時々謎の現象がおきていて?
アデルは明日の十六歳の誕生日を楽しみにしていた。
それがあんな幕開けになるとは思いもせず、いつも通り眠りについた。そんな普通の夜のはずだった。
∽
深夜にもかかわらず主人の部屋へ呼び出されたロビンは、そこにゴルド夫妻だけではなく、その息子のエドガーまでが揃っているのを見て微かに眉をひそめた。
(アデル様に何かあったのか?)
その考えに腹の底が冷えるような感覚を覚える。だが口を開いたエドガーの言葉は予想もしていない――というより、想像すらできない内容だった。
「俺、召喚されてるからしばらく留守にするわ。その間アデルのこと頼むね」
「は?」
召喚とは何ぞ?
内心ポカンとしつつ、エドガーが彼の双子の妹であるアデルをロビンに頼むとは一体どういうことなのかと、さらに疑問が増える。
すでに日付が変わったため、今日はロビンより三歳年下の双子、エドガーとアデルの十六歳の誕生日である。
二人はこれから二年間過ごす学園の入学手続きをそれぞれし、ロビンはエドガーについて行くことになっていた。
「では私も共に参ります」
アデルの件はひとまず置いておき、ロビンとしてはごく当たり前の返事を返す。エドガーが生まれた直後から、ロビンは彼の右腕になるべく教育されてきたのだ。どこに行くつもりなのか分からないが、当然自分もついて行くべきだろう。
「悪い。それは無理なんだわ」
「と、申しますと?」
首をかしげるロビンに、エドガーは困ったように母を見る。うまく説明ができないから変わってくれという意味らしい。
ゴルド家当主のヴィクトリアは、仕方ないわねといった風に肩をすくめたが、彼女の夫でありエドガーたちの父親であるジョナスは、額に手を当て苦い顔をしている。
「ロビン。実はね、うちの先祖にある勇者がいるの」
「勇者でございますか」
長い歴史を持つゴルド家は、王国時代は王も輩出した由緒正しい血筋だ。勇者や英雄も数多く輩出している。その中の一人だということは見当がついたが、こんな夜中に歴史の話でもあるまい。そこから語られたヴィクトリアの話は、ちょっと昔話を話してますといった体でありながら、内容は荒唐無稽といえるようなものだった。
勇者の名前はエドワード・リンジー・ゴルド。
彼は三百年ほど前、こことは異なる世界に勇者として召喚され、そこで魔王を封印した。だが最近その魔王が目覚めてしまった為、再び召還の声が聞こえてきたという。
「魔王討伐とは、個人でどうこうできるものなのでしょうか?」
異世界はもとより、魔王などという存在は到底信じられない。だが仮にそれがあるとするならば、それは国家レベルで対応するものではないのか?
そのようなことに、未来の主人であるこの若き少年が気軽に呼ばれたとは。ロビンとしては怒りさえ感じる。
「ああ。やっぱりそういう顔になると思ったから、出来るなら黙って行きたかったんだよ」
後頭部をかきながら、エドガーが苦笑いをした。
「でもまあ、魔王とかいうやつを滅ぼすことが出来なかったのは、俺の何代も前の爺様のせいなんだよね。今困ってる人からすれば、三百年間封印できたから上等って話でもないだろう?」
「エドガー様。まじめに話している風ですが、目が笑ってますよ。単純に暴れたいだけですよね」
ロビンがシレッと突っ込むと、エドガーは「バレたか」と笑った。
「いや、それもあるけど、自分が役に立てるなら行ったほうがいいだろう?」
「ここじゃない世界にですか? 絵本じゃあるまいし」
「いやいや。お前が見えないだけで、異世界への扉はあちこちにあるんだぞ」
手をひらひら振るエドガーの後ろでヴィクトリアが頷くので驚いた。どうやら真実らしい。彼らくらい魔力が多いと見える世界なのだろうか。
「ですが、一人で行かれなくても」
要は自分も連れて行けと言っているのだが、エドガーは呆れたように首を振る。
「だから無理なの。容量? 相性? なんかそんなものの関係で、俺がお前を連れて行くのは無理。意地悪で言ってるわけじゃないからね。了解?」
一応連れていくことは考えていたのだと分かり、ロビンは渋々頷いた。
「では誰なら大丈夫なんですか」
この今一とぼけた少年を、一人で危険な場所に送り込むことなどできるはずがない。そんなことは絶対に認めるわけにはいかない。彼を一番サポートできる人間は自分だと自負しているが、エドガーの言い方だと自分以外の誰かなら行けるようだ。
「アデル」
「はい?」
予想外の回答にロビンは目をぱちくりとさせ、次に慌てた。
「アデル様は無理です! ダメですよ!」
彼女はエドガーと違って、ロビンがちょっとぶつかっただけでも壊れそうな女の子なのだ。小さい頃は三人で転がりながら遊んでいたこともあったが、年齢が二桁になる頃にはどんどん差が広がり、とても目の前にいるエドガーと同じ血を引いているようには思えない。男女の双子にも関わらず顔はそっくりだが、それ以外はここまで違うのかと思うほど「別物」なのだ。
剣の腕も魔法の力も、化け物級のエドガーとは違い、アデルはごく普通。
女の子にしてはそれほどおしゃべりではないし、派手さもない。ただいつもエドガーのそばでニコニコしている、そんな女の子だ。
「うん、だから連れて行く気はない」
エドガーはまじめな顔で頷いた。
「俺がどこに行くかも知らせる気はない。心配させたくないからな」
「じゃあ、行かなければいいでしょう。どうせ来月にはそれぞれ違う学校に通うことになるんです」
アデルが選択したリリス学園は、エドガーの行くカレイドとは真逆の土地にある。あちらはメイド一人連れていけない学校だ。
だがそこでヴィクトリアは、
「アデルにはカレイドに行ってもらうわ」
と宣言した。
アデルが自分の意志で決めた進路だ。きっと怒り狂うだろう。普段はおとなしいアデルだが、黙って変更に従うだろうか。
「アデルはエドガーの双子の片割れだから、いつあの子も引きずり込まれるか分からないの」
「それは、どういう……」
勇者の若き子孫という意味では、アデルもエドガーと同じだ。だが引きずり込まれるとは穏やかではない。
「アデルは女の子だし、魔王側にもいろいろと美味しいのでしょうね」
何が見えているのかヴィクトリアは中空を見据え、苦々しげにそう吐き捨てる。同じ女性であっても、母親である彼女の魔力は今も娘以上のはずだ。
「ロビン、お前にはアデルを守ってもらいたい」
ジョナスは最初にエドガーが言ったことを繰り返した。
「リリスでは誰もそばに置けない。でもカレイドならお前を付けることが出来る。息子は冒険の旅にやれても、娘には穏やかな生活を送ってもらいたいんだ。わかるか」
「はい、旦那様。ですが……」
自分は執事で、カレイドで執事を連れて行けるのは男子だけだ。
「アデルにはエドガーの振りをしてもらうか……」
「いけません!」
考えるより先に言葉が出ていた。
アデルがエドガーの振りをする? ヴィクトリアの幻視の魔法を使えば可能だろうが、狼の中に子羊を入れるようなものだ。絶対ロビンの胃に穴が開く。
「もしくはロビンがメイドになるか」
ロビンの言葉など聞こえてなかったように、ジョナスはそう言った。
「私がメイドに?」
可能か? といえば可能だろう。
アデルを男どもの中に放り込むことに比べればなんてことはない。家事長を務める母に作法は仕込まれているため、メイドの仕事も出来なくはないはずだ。だがそうなると、ずっとアデルの側にいることになるわけで……。
知らず、カーッとロビンの顔に熱が上るさまを見て、エドガーがプッと噴き出した。
「一度でいいから、その顔をアデルに見せてやりたいね」
「勘弁してください」
ロビンのポーカーフェイスが崩れるのは、アデルが関係したときだけだ。いつからかなんて覚えていない。その自覚を促したのは、目の前にいる未来の主人エドガーであり、アデルの両親であるゴルド夫妻だ。この三人から指摘を受け、自分の気持ちを自覚したときは、恥ずかしさと絶望で穴があったら埋めてほしいと思った。
だが今は厳密な階級制度がない時代。中流階級であっても、エドガーの片腕になるべく精進し、学生時代には優秀な成績を修めていたロビンを彼らは気に入っていた。
アデルが望むなら、婿にしてもいいと言うぐらいには。
ただし、ロビンからはアプローチできない。元々するつもりもない。大事なのはアデル本人の意思だから。だがアデルはロビンを男としては見ていないことは分かってる。
それでも、自分より劣る男にみすみす奪われるのも嫌だった。リリスにだって、身を二つに分けることが出来るのならついて行きたいくらいだ。
だがリリスは女子校のため、二年間は大丈夫だろうと無理やり納得していた。
カレイドに行くことを、ヴィクトリア達はアデルに絶対承知させるだろう。彼女の安全のためだ。だがそれでも、最低限彼女の意思は尊重される。
「アデル様を守ることを誓います」
エドガーを守れないなら、アデルを誠心誠意守ってみせる。ただ願わくば、彼女が男装を選ばないよう祈るのみだ。
恭しく頭を下げたロビンにエドガーは満足そうに笑った。
「俺がいない間、あいつに悪い虫がつかないよう、それも気をつけてやってくれ」
「もちろんでございます」
「あと、お前から、アデルに手を出しても殺すからね? わかってると思うけど」
「重々承知しております」
そしてエドガーは、できるだけ早く帰ると両親と抱擁を交わした後部屋に戻り、朝には消えていた。
ふざけた書き置きを一枚残して――。