ブレイブ・オブ・ブレイブスレイヤー:勇者殺しの英雄外典
4人の勇者の犠牲により、魔神による地上征服が阻止されてから3年後。
かつて実力不足を理由に勇者一行から追放されたラウルは、故郷の町で平和な時を過ごし、普通の人生を受け入れ始めていた。
平和を引き裂いたのは、魔神の眷属である邪悪な魔王の咆哮。
それを操っていたのは、ラウルが共に旅をした4人の勇者。
現実を受け入れられないラウルの前に現れたのは、勇者のひとり、フィーアと同じ顔の少女、リフィア。
彼女は言う。勇者を殺せるのは同じ勇者か、魔王のみ。
幼少期にある教団に拉致され、勇者を殺す為の力を与えられた、ラウルの力が必要だと。
ラウルは再び、剣をとる。自身を支えてくれた人々を守る為に。
かつて彼を救った勇者、フィーアを救う為に。
別れを伴う連戦の中で、ラウルは勇者の真実と、自分の存在がイレギュラーであることを知る。
世界に仇なす決断はフィーアを救い、最後の魔王となったラウルは姿を消した。
1年前。
ラウルがまだ魔剣を所持し、魔神召喚を目論む教団の刺客として、勇者一行と敵対していた頃。
その日、教団の本拠地の最深部にて、ラウルは宿敵……光の勇者に最後の戦いを挑んだ。
『どうしてもやるの?』
『ああ、頼む。これが最後だ』
『――わかった』
黒と白。
異なるエーテルの輝きをまとった刃金が、闇の中で激突する。
初めて戦った時はラウルの方が優勢だったのだが、この時には既に逆転されていた。
剣や魔法の問題ではない。そこに宿る、何かを守ろうとする強い意志と覚悟が、戦う度に重みと強度を増してくるのだ。
ラウルはといえば、逆だった。
戦う度に、心が揺らぐ。何が正しいのかが分からなくなり、らしくない行動を繰り返す。
遂には命令に背き、人質として捕らわれていた人々を独断で解放する始末。
もう後はない。ここで勝てなければ……。
だが、遂にラウルは敗北を喫した。
魔剣の刀身をあっさり砕かれ、膝をつく。
もはや生きる道はない。魔剣に選ばれたというただ一点だけが、教団がラウルを生かし続けてきた理由だった。
だから。
『……一緒にいこう』
差し伸べられた右手に、ラウルは戸惑う。
『――なん、で』
『その苦しみ、わかるから。ほら、手をとって』
未知の感情が沸き起こった。
身近なものに当てはめるのであれば、恐怖だ。
だが違う。教団が奉じる魔神に対して抱くものとは性質が異なる。
『無理だ……』
己の胸中を探るように、ラウルは慎重に言葉を紡ぐ。
『勇者を殺す……その為だけに、生きてきた。他の生き方なんて、知らない。知りたくない。知ったら、僕は――』
そこまでを口にして、恐怖の本質に思い至る。
怖いのは、本来の自分に戻ることだ。
教団に与えられたものでなく、自分の意志と責任で、前に進む。
そのことが恐ろしくて――手の震えが増す。魔剣の柄を握った右手に力がこもる。
そんな彼に、勇者は言う。
『大丈夫』
魔剣にはまだ、折れた刀身が残っていた。単純な凶器としてはまだ使える。
凶器を握りしめる右手を、やわらかな温もりが躊躇なく包んだ。
『大丈夫。大丈夫だから』
不思議だった。
少女の両手に右手を包まれ、その言葉を耳にする内に、震えは消えていく。
ありふれた言葉に、懐かしさを感じた。
過去の記憶は呪術的に抹消されているというのに、幻肢痛のように何かが疼く。
『わたしにもできた。君なら……ううん、わたしたちは何にだってなれる』
瞬間、すがるように握りしめていた魔剣が、黒い塵となって霧散する。
ラウルはかつての宿敵の手をとり、立ち上がる。
ここは、暗黒の森の最奥。邪悪の権化たる教団の本拠地だ。
瘴気と怨念渦巻く闇の中で、聖剣ロード・ミスティカの光に照らされた、黄金の髪をもつ美しい少女が太陽の如く微笑む。
『あらためてよろしく、ラウルくん。わたしのことは気楽にフィーアと呼んで』
フィーア・ミスティウスの微笑みに、ラウルは初めて、希望の光を見た。
■
「――で、暗黒騎士から足を洗った僕なのだが」
あれから1年後。
彼らの最終目的地であり、魔神が住まう世界……魔界への門が存在する遺跡、ユーベルリア大瀑布にて。
「暗黒騎士(笑)。――あー、あったような、なかったような」
「え、なにその失笑……。え、嘘だよね? あったでしょ!? 初めて見た、希望の光!」
「ラウルくんの心理描写をあったとか言われても。しかし、そのむず痒いくだりをよくもまあ堂々と言ってのけるね。さすが元暗黒騎士(笑)」
「そんな茶化すような話だった!? てかその"(笑)"っていうのやめて!?」
緊張感ゼロの会話をしているのは光の勇者フィーアと、元自称暗黒騎士ラウル。
こんな感じだが、旅は最終局面に差し掛かっている。
数十年前、隕石とともに現れ、魔王という凶悪な生物を多数生み出し、人類の生存を脅かす存在――魔神。
勇者(+ラウル)が世界中を旅してきたのは、このユーベルリア大瀑布を覆う結界の発生源たる魔王を全て倒すことが目的だった。
それが果たされたのは3日前。
最後の魔王の討滅で結界は崩壊。魔界へと続く門が露わになった。
あとは門を内側から破壊するだけだ。
なのに。
「なぜに僕、この局面で簀巻きにされて吊るされてんの!?」
ラウルはいま、魔術が施された布で拘束され、空中に吊るされていた。
頭上には、フィーアが使役するビヤーキー……イゾルデと名付けられた幻獣が、蝙蝠のような翼をばっさばっさとはためかせている。"彼女"は魔神の眷属だが、敬意をもって接する人間には懐くこともあるのだ。
簀巻きラウルは、その強靭な足首に布で結び付けられていた。
「なんでって、追放」
「だからナンデ!?」
「思ったより役立たずで、助けるの面倒だから。ね、みんな」
フィーアはあまり困っていなさそうな困り笑顔で言って、彼らを遠巻きに眺める3人の仲間たちを振り返った。
3年もの間、冒険を共にした心強い仲間たち。
ラウルにとっては、そのうち2年は敵同士の間柄だが。
「んー、まあな」
最初に口を開いたのは、浅黒い肌に隻眼が特徴の大男。
砂漠地帯の元傭兵にして、炎の勇者 レオンだった。
「民間人の護衛に役立ったが、もうそんな仕事はないわな。暗黒騎士(笑)だった頃は手強かったが、あれは魔剣あっての強さだしな」
「あら、むしろ暗黒騎士(笑)って手強かった?」
レオンの言葉に、氷の勇者 エレアが続く。
氷獄の美姫と呼ばれるに相応しい美貌に、嗜虐の喜びを隠そうともしていないのは、まぁいつも通りのことだ。
「わざわざ名乗りをあげるから、準備ができて楽だったわ。たしか――」
――我が名はラウル! 暗黒騎士! 光の勇者、フィーア・ミスティウス……今日が貴様の命日だ!
爆笑する一同。ミノムシ状のラウルは涙目で赤面するしかなかった。
「ぁ、あんたら、僕のこと、ずっと、そんな……」
「飽きるほど聞いたからね。よく宴席で物真似して遊んでたよ」
かつての宿敵から明かされた衝撃の事実に愕然とするラウル。
それを無視してエレアが続ける。
「フィーアばかり追い回す単調な行動パターン、露骨だったわよね。ま、あんな教団にずっと居たんじゃ、こういう系にころっと惚れちゃうのも無理ないか」
「ほ、ぇッ!?」
「動揺すんな、ガキ」
「ガキじゃない! てか違うし、そんなんじゃないし! ちゃんと殺すつもりだったし!」
「かっわいー。氷漬けにして飾れないのが勿体な――」
「――お主ら、自重せい」
ラウルの反応をいじり倒すレオンとエレアを、銀髪の老人が諫める。
この老人もまた、勇者。
風と土、二つの属性を司る賢者 グラシャだ。
「ここは魔界が近い。長く留まれば、ビヤーキーを魔神に奪われるぞ」
「……うん。イゾルデ様、お願いします。どうか彼をレイノスの町まで。イア・イア――」
「待ってくれ!」
詠唱を開始したフィーアに、ラウルは焦燥に満ちた声で叫ぶ。
「僕も行く! 行かなきゃだめなんだ!」
フィーアは答えない。
「弱くてもおとりにはなるだろう!? 真っ先に死ぬ役目でもいい!」
詠唱が終わる。
フィーアは視線すら向けなかった。
「イゾルデ様、行ってください」
いつもなら、フィーアが願えば彼女はすぐに行動する。
だが、今回は奇妙な間があった。人間でいう、逡巡に似ていた。
不幸にも、ラウルはそれに気づかない。
「フィーア! 君が手を差し伸べてくれた時、僕は――」
「行って! お願いっ」
万が一にも逆鱗に触れぬよう、常に敬語でイゾルデに接していたフィーア。
その口調の変化から、イゾルデは何を察したのか。
躊躇いがちに、飛行形態へと移行する。
「フィーア、僕は君に――ピギュ」
ラウルが最後まで言い終える前に、イゾルデは彼の身体を強靭な脚で掴むと、風となって遥か彼方へと消えていった。
「首が折れるー!」という情けなき叫びとともに。
その後。
「みんな、ごめんなさい。最後の我が儘につきあわせてしまって。……心にもないことを言わせてしまって」
フィーアは仲間たちに向かって深々と頭を下げていた。
「いや、心にもなくはねーな」
「ええ。ほぼ本音」
レオンとエレアが答える。
二人とも冗談めかした口調だが、どこか寂しげだった。
対して、
「よいのか」
グラシャの声は、重い。
「あのような別れで」
「爺さん」
「レオン、大丈夫」
レオンを制止し、フィーアはグラシャに向き合う。
師であり、実の父よりも父親らしい存在であり続けてくれた賢者に、覚悟を告げる為に。
「記憶はなくても……生きていた。1年も一緒に旅ができた。くだらない話もできた。不純かもしれないけど――それだけで、勇者になってよかった」
「……その代償が孤独な最期だとしてもか」
「大丈夫」
即答だった。
「戦える。彼と、彼をとりまく人々が過ごす、なんでもない未来を守る為に。わたしに残された時間は、その為に使う」
翡翠の瞳には迷いも、悲壮の色すらなく。
故に、我が子同然の存在を救えぬと悟ったグラシャの絶望は深い。
旅が終わる。
最後の戦いが始まり、命を燃やす時がくる。
勇者たちは地上から姿を消し、光射す未来が切り開かれる。
それを覆す物語は不要だ。美しい犠牲を穢してはならない。
故にこの先は、運命に置き去られた者による蛇足でしかない。