古谷刑事の事件簿~被害者遺族のJKが同棲を求めてくる件~
刑事である古谷は、仕事帰りに後輩が補導した女子高生の庄司春香を家まで送り届けることになる。しかし、行きついた家で見た光景は、一家三人が殺害されているという惨状だった。
家族の死を目の当たりにしても、いつも通りの軽いノリで振る舞う庄司春香。それは普通を通り越した一種の異常性が垣間見えた。
そんな庄司春香をマスコミの目から隔離するため、成り行き上、古谷の家で匿うことになってしまう。
突如として始まる同棲(同居)生活に戸惑う古谷。
そして事件の方は予想以上に難航を示す。
ごく普通の一般家庭に起こった悲劇。その普通を壊したのは奥底に眠る深い闇が関わっていた。
古谷との同棲(同居)生活を経て、庄司春香の抱える闇が少しずつ明らかになっていく。
そして彼女が放った一言。
「多分、家族は私が殺しました」
アリバイが完璧な彼女の言葉には、意外な事実が隠されていた。
先日起こった傷害事件のヤマを終え、報告書を提出していて帰りが遅くなった俺は、23時過ぎに晴海警察署を後にする。そして駅に差し掛かると、まだ勤務中の後輩を見かけた。
「古谷刑事お疲れ様です」
「おう、佐伯。お疲れさん。で、その子は?」
俺は佐伯の隣にいた制服姿の少女に目をやる。長い黒髪にくりんとした丸い瞳が印象的な子だった。
「ええ……この時間まで駅付近でウロウロしていたので補導したんですが、親御さんと連絡がつかなくて……」
困惑したような表情で佐伯は言う。その横にいる少女はそんなことも気にしていない様子でニコニコしていた。
「君、名前は?」
「庄司春香でーす」
「住所は?」
「幸美町でーす」
俺の質問に対し、庄司春香は軽いノリで返答する。
「佐伯、お前まだ仕事残ってる?」
「え? ええ……24時まではこの辺りを巡回しなくてはいけないので……」
「そうか。じゃあ、この子俺が家まで送っていくよ。帰り同じ方向だし」
「ありがとうございます。そうしていただけると非常に助かります」
そうして佐伯と別れ、俺と庄司春香は電車に乗りこむ。
「お兄さんもおまわりさんなんですか?」
「お巡りさんじゃない。刑事だ。こんな時間まで一人で何してたんだ?」
「えーっと。9時過ぎまで友達とカラオケ行っててー。それで別れた後、別の子から電話が来たから、駅のベンチでずっとおしゃべりしてました」
「はあ……あまり遅くなるとこういうことになるからな」
「はーい。気を付けまーす」
あまり反省しているようにも見えなかったが、正直言って俺の管轄外だ。これ以上、とやかく言う気にはなれない。
「なんで親御さんと連絡が取れないんだ?」
「うーん……もう寝ちゃったってことはないと思うんですけどねー。お風呂入ってたのかも?」
「タイミングが悪かったのか」
まあ、そういうこともあるのかもしれないと、この時はあまり深く考えていなかった。
幸美町駅で下車し、住宅街を進む。10分ほど歩いたところで、庄司という表札のかかった一軒家の前に差し掛かった。
「あ、私の家ここでーす。送っていただきありがとうございました」
軽く会釈し門扉を開ける。
「ちょっと待て。俺は親御さんに挨拶をしなくてはいけない」
「え!? いつから私たちそういう関係になったんですか……?」
「そういう冗談はいい」
軽くあしらいながら、俺は門扉の横にあるインターホンを押す。家の中は明かりが灯っているので、もう寝てしまったということはなさそうだ。
しかし、待てども中からの反応はない。何度もインターホンを押したが家の中は静まり返っているようだった。
「仕方がない。直接呼んできてくれるか」
「はーい。分かりましたー」
俺と庄司春香は共に玄関へ入る。
「ただいまー」
庄司春香はそう言って家へ上がった。俺は玄関先で待機していたが、この家の異様な静まり方は、俺がかつて見てきたものと同じ空気を醸し出していた。言い知れぬ不安が俺を襲う。
庄司春香は玄関から見える一番近い部屋のドアを開け立ちつくしていた。そして俺の方をゆっくりと見る。
「なんか……グロっ……」
部屋の中を指さす庄司春香を押しのけ、俺は勢いよく部屋の中を覗き込む。
その部屋はリビングだった。
十畳ほどのその部屋に、血を流した人間が三人、横たわっていた。
それから現場の調査が行われた。
被害者は庄司昭、庄司明子、庄司秋穂の三人。庄司春香の両親とその妹である。
救急が駆け付けた後、三人とも間もなく死亡が確認された。死亡推定時刻は20時から21時の間。死因は出血死。三人とも身体中にいくつも刺し傷、切り傷があり、現場は大量の血で赤く染まっていた。
現場に凶器と思われる刃物は見つからず、台所に包丁が見当たらなかったことから、これを使用したものと思われる。
事件当時、玄関の鍵は開いていたが、金目の物は盗られていなかったことから顔見知りによる犯行の線で捜査が行われる運びになった。
庄司春香は事件発覚後、晴海警察署で一晩を過ごすことになった。
一家が殺害された事件を目の当たりにし、酷く混乱しているであろう。そんな彼女を気遣い、翌日落ち着いてから話を聞こうという段取りであった。しかし付き添っていた婦警の話によると、庄司春香は終始落ち着いた様子だったという。
落ち着いていた、というよりは、何事もなかったという様な平静さだったらしい。
彼女は血を流す家族を見ても、叫び声の一つも上げなかった。
俺が「そこから動くな!」と言うと「はーい。分かりましたー」という気の抜けた返事が返ってきた。
現場慣れしている俺からしても、目の前には凄惨な有様が広がっていた。
なのに何故、彼女はここまで平静でいられるんだろうか。
翌日、簡単な取り調べを終えた庄司春香は、近くのホテルで過ごしてもらうことになった。
「えー。一人でホテルに泊まるんですかー?」
「まだ犯人が君を狙っている可能性もあるから俺が護衛で同伴する」
まだ事件の調査が満足に進んでいない現状で、彼女のことは警察の監視下に置くことになった。俺は彼女の護衛と身辺調査を担当することになっている。
「え!? それって一緒の――」
「隣の部屋だから安心しろ。なにかあったらすぐに呼んでくれ」
「同じ部屋じゃないんですかー。つまらないなー」
庄司春香は不服そうに口を尖らせて言う。相変わらず随分余裕のある態度だった。
先ほどの取り調べで、家族全員が殺害されて悲しくはないのか? という質問を投げかけた。本来ならばこんな直接的な言い方は避けるべきだが、彼女のウチの感情を知るために敢えてこのような聞き方をした。
それに対する彼女の返答は――「んー? よく分からないです」だった――――
俺はホテルに泊まる用意をするため、庄司春香と共に俺の自宅アパートに立ち寄った。
「すぐ用意してくるからそこで待っていてくれ」
「はーい。分かりましたー」
庄司春香を玄関先で待たせ、俺は急いで寝室から着替えなどを簡単に準備する。
そしてあらかた準備を終え寝室を出ると、庄司春香がソファーの上でくつろいでいた。
「……何をやっている?」
「あー、やっぱホテルとかよりもここの方がいいかなーって」
「ここは俺の家だ。男の一人暮らしの家に泊まられるわけがないだろう」
「えー、いいじゃないですかー」
「いいわけあるか。冗談言ってないでさっさと行くぞ」
俺は踵を返し玄関へ足を向ける。しかし庄司春香は一向に動く気配がない。
振り返り彼女の方を見ると、とても真剣な顔つきをしていた。
「絶対嫌です。私はここから動きません」
その言葉は今までの軽いノリとは違い、強い口調だった。
「その理由は?」
「……一人に……なりたくないんです……」
俯きながら陰りを見せるその表情は、事件後初めて負の感情が垣間見えた。
今までは取り乱さないように必死に取り繕っていたのだろう。だとしたら、慎重に扱わないと何かの拍子に壊れてしまうかもしれない。
俺は胸の中で丁寧にかける言葉を選んだ。
「分かった。キミが一人にならないように配慮しよう。しかしここは問題が多すぎる。それは理解してほしい」
「ここじゃなきゃ嫌です」
「どうしてそこまでしてこだわるんだ?」
「けーじさんならきっと、私のことを分かってくれるっていう直感です」
「そういわれてもな……」
露骨に否定することが出来ず、言葉を濁す。すると俺の携帯が鳴った。着信は今回の事件の捜査を担当している上司からだった。
上司からの電話の内容は、庄司春香を出来るだけマスコミの目に晒したくない、というものだった。家族全員が殺害されているにも関わらず、平然と振る舞うその姿は事件そのものよりも取りざたされる可能性が高い。
そして今の俺の状況を報告すると、彼女の意思のまま俺の家に匿うことが許可された。俺は抗議したが、庄司春香の内面が見えないまま無下に扱うことは出来ない。しばらくは彼女の意思を優先するという運びになってしまった。
当然として、しばらくこの家から一歩も出ないという条件付きだが。
これがバレれば俺も警察もタダでは済まないので、秘密裏に上手い具合処理してくれるらしいが……本当に大丈夫だろうか。
俺は電話の内容を庄司春香に告げた。
「――というわけだ。この家にいることは許可されてしまったが、外に出ることは出来ない。それでも構わないか?」
「はーい。それで構わないでーす」
相変わらずの軽いノリに、俺は思わずため息を吐く。
「俺も出来るだけここを離れないようにするが、捜査の進み具合によってはその限りではないし、キミにも色々聞くことがあると思う」
「そうですかー。私もけーじさんに話してないことありますし、それで全然構わないですよー」
「話してないことは全部話して欲しいんだが……」
「これでもまだ気持ちの整理がついてないんですよー。それに、男女が理解を深めるのに時間は必要だと思うんです」
ニヤニヤとおちょくるような表情で言う彼女は、どことなく余裕のある態度だった。
あまりそういうことを気軽に言ってもらうと、どこまで彼女の言葉を信じればいいか分からなくなるから非常に困る。せめて捜査に影響が出なければいいと願うばかりだ。
しかしこの時の俺はまだ知らなかった。
事件の真相は、彼女の内に潜む深い闇が握っていることに――――