偽りハネムーン〜宮廷魔導師、意中の相手と極秘任務で偽装中〜
自分より強い男の求婚しか認めないと豪語している宮廷魔導師のレオポルディーネは、結婚の申し込みをしようと企む青年たちを鍛錬の場で蹴散らす日々を送っている。
彼女よりも強い魔導師は第二王子のコンラート殿下か親衛隊隊長のエデュアルトの二人だけ。
求婚する気のないものたちからは二人のどちらかがレオポルディーネの本命で、どちらかと結婚するのだろうと噂されていた。
ある日、レオポルディーネは二人から求婚される夢を見る。
予知夢ではないかと不謹慎ながら心配しているとコンラートから呼び出しを受け、エデュアルトとともに訪ねることに。
そこでエデュアルトとレオポルディーネに命じられたのは「この【台本】を参考に、二人で新婚旅行の下見をしてきて」という想定外の任務だった。
事情があってお互いに想いを伝えられない二人の擬似ハネムーンが、思いもよらぬ事態を招くラブファンタジー!
どうしてこういう状況になっているのかわからない。混乱するままに、レオポルディーネは上司であるはずのエデュアルトに抱き締められていた。
「あ、あの……隊長?」
今は自分たちの主人であるコンラート殿下の護衛任務中ではなかっただろうか。攻撃からかばわれたわけではなく、いきなりコンラート殿下の前でぎゅっと、逃げられないようにきつく抱き締められたのだ。
わけがわからない。
「エデュアルト隊長、あの、なぜ?」
驚きすぎて言葉がうまく出てこない。放せともがくがまったく歯が立たないので、レオポルディーネはなおさらに困惑した。
エデュアルトはコンラート殿下の親衛隊隊長であり、レオポルディーネの上司である。女性の中では最強とうたわれる強さを持つレオポルディーネだが、そんな彼女よりも強いのがエデュアルトであり、こうして不意に抱き締められようものなら簡単には逃げ切れはしないのだ。
――こんなに強く拘束する必要ってある?
これが生命のやり取りをするような相手であれば、得意な攻撃魔法の一発でも決めて振り払うところである。だが、目的も真意も不明であるので不用意なことはできない。
エデュアルトは、レオポルディーネにとって尊敬する上司であり、憧れの人であり、この人の隣で一生を過ごせたらいいとさえ思い慕う相手である。振り払えないこの戸惑いがレオポルディーネ自身の恋愛感情に由来することは、やはり強く意識せざるを得ない。
「た、隊長!」
レオポルディーネが説明を促すと、エデュアルトはようやく顔を合わせた。ただし、拘束の手は緩めてはくれない。
エデュアルトはもともとの厳つい顔をさらに険しくして唇を動かした。
「――コンラート殿下、さすがに今度の任務については承諾しかねます。確かに俺たちと殿下との関係はかなり長いと思いますし、ともに死線を越えてきた仲です。仕事として契約を交わす仲よりももっと親密な仲であるとも言えるかもしれません」
「うん。そうだよね。同じ気持ちでいてくれて私は嬉しいよ」
いつものように、王族にしては軽い口調でコンラートは返す。彼はおそらくにこやかな顔をしていることだろう。レオポルディーネからはエデュアルトの陰になっているので、コンラートの姿は見えなかった。
――ん? なんか話の流れに違和感があるんだけど。
ここはどこなのだろうか。今は本当に任務の時間だろうか。
レオポルディーネはますます混乱する。
「ですが、レオポルディーネに殿下の夜伽をさせるというのは、さすがに彼女に対する侮辱ではないかと進言いたします」
――夜伽⁉︎ 夜伽って……ここでの場合は、こう、男女の交わりってこと……よね? 聞き間違いかな?
自分を巡ってよからぬことになっている気配がある。レオポルディーネは口を挟もうとさらにもがくが、エデュアルトは放さない。
「侮辱? 侮辱なものか。私はレオポルディーネに妻になってほしいと願っているんだ。その前段階として、私との魔力の相性を確認する必要がある。だから夜伽をと頼んでいるんだ。わかってるでしょ?」
――え、待って。私、そんな話聞いてない!
コンラート殿下は王位継承権第二位の王子である。そして、エデュアルトの次に強い魔導師だ。魔導師としての才能があるからか政治については興味が薄く、王座は目指さずに軍事の面で国を支えようと行動している人である。
現在二十四歳で婚約者はおらず、彼の親である陛下からそろそろ結婚をして子をもうけるようにと命じたらしい話は聞いている。そのお見合いを兼ねたパーティーの警備がどうのと話をしていたこともレオポルディーネは記憶していた。
「ええ、それは存じています、が」
「が、なに? ――言っておくけど、レオはカスパル侯爵家の娘だよ? 魔導師として名門のカスパル家だ。私との釣り合いは血筋として申し分ないはず」
確かに血筋は問題にならないだろう。
レオポルディーネ自身がコンラートの親衛隊に入るのを望んだのはエデュアルトがいたからではあるが、両親がコンラート親衛隊になるための後押しをしてくれたのは、血縁者になる可能性を少しでも感じていたからであろう。否定できない。
黙り続けるエデュアルトに、コンラートは言葉を続ける。
「ああ、そうだね、多少の問題になりそうなところは、私より二つだけお姉さんであることくらい? でも、私には世継ぎが必須というわけじゃないから心配するほどじゃないよ」
「それはそうですが……」
エデュアルトは言いよどむ。ふだんであれば、主人であるコンラートに対してももっとはっきりと告げるところなのだが、どうも歯切れが悪い。
「ねえ、レオ。君は私の妻になりたい? 今の仕事をそのまま続けることはできなくなるけど、私は君がそばにいてくれたらとても心強いよ。この国の魔術を発展させるために、一緒に研究をしようよ」
レオポルディーネはようやっとコンラートの姿をとらえた。
女性のように愛らしい外見のコンラートは、いたって真面目な顔をしていた。本気でレオポルディーネを妻に迎えたいと願っている。
「わ、私は……」
急に申し込まれてもどうしたらいいのかわからない。
それに、コンラートはレオポルディーネのエデュアルトへの恋心を知っているのではなかったか。応援してくれているとばかり思っていたのに、勘違いだったのか。
迷う気持ちのままに抱き締めてきたままのエデュアルトを見上げる。
筋肉で盛り上がる大きな体躯、この国では珍しい黒い髪と黒い瞳、黒い肌。大多数の人間からは奇異の目で見られがちな彼の姿は、レオポルディーネにとってはどこも魅力的で愛おしいものだった。
――どうしたらいいの?
命じればいいのにそうしないのは意地悪だとレオポルディーネは思う。臣下に命じることがコンラート殿下にできないはずはないのに。
しかし一方で、コンラート殿下の申し出を拒みたいからといって、上司であるエデュアルトに頼ろうとするのもおかしいと思えた。これは個人の問題だ。上司は関係がない。
自分の意思を自分の言葉で伝えねば。レオポルディーネは意を決して口を開く。
「私は――」
「レオ、俺は譲れない」
譲れないとはなにか――聞き返そうとしたときに、唇をなにかでふさがれる。少し乾いた温かいものがエデュアルトの唇であることにレオポルディーネは少し経ってから気づく。
「……レオ、愛している」
――嘘だ。違う。これは……夢だ‼︎
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
レオポルディーネはがばっと勢いよく飛び起きた。肩で切り揃えられたうねる髪がさらに大きく広がっている。
ここはレオポルディーネが使用している宮廷魔導師たちの単身寮の一室である。さっきまでの一連の話はすべて夢だ。
――なんて恐ろしい夢を……
ざわざわと鳥肌がたつ。
上司のエデュアルトと主人のコンラート殿下が自分を取り合うなんて有り得ない。
レオポルディーネは恥ずかしさで熱くなっている頬をパシッと両手で叩いた。
――ああ、もう、やだやだ。実家が「結婚する気はないのか?」なんて手紙を寄越してくるからいけないのよ。コンラート殿下も結婚をせかされているみたいだし、きっとそのせいね。結婚する気がないから宮廷魔導師になったのに、なんで結婚、結婚言われなきゃならないの⁉︎
すごくムシャクシャする。レオポルディーネはいつもの起床の時間よりは早いことを認めていたが、すぐに朝の支度に入ったのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
かん高い金属音が鍛錬場に響く。一本の長剣が宙を舞い、地面に落ちた。
「ふん。私に結婚を申し込むなら、私に勝てるようになってからにしてちょうだい!」
長剣を失って降参している部下にレオポルディーネが言い放つと長剣を下ろした。
「うわー、レオ姐さん荒れてるな」
「いつも以上に容赦ねえもんな」
「負かした相手となら結婚してもいいって宣言しているけどさ、結局のところ隊長か殿下じゃないと止められないんだろ?」
「その二人から相手にされてないから荒れてるんじゃね?」
「あー、なるほど」
「ほら、そこの二人! 無駄話で時間を潰しているくらいならかかってらっしゃい! あんたたちなら二人がかりでも相手してあげるわ!」
レオポルディーネが遠巻きにお喋りをしている部下を見つけて煽る。挑発に付き合ってやるかとばかりにのっそりと動き始めた二人の部下の前に、一人の大男が割って入った。
エデュアルトだ。
「レオポルディーネ。今日はずいぶんと厳しい稽古をつけているようだな」
「ええ。みんなこの平和すぎる日常のおかげでたるんでいるように見えましたので。でも、誰も私の相手になりませんの。エデュアルト隊長、私に稽古をつけてくださらない?」
部下たちも有能ではあるのだが、レオポルディーネにとっては張り合いのない相手である。少しでも腕を鍛えておきたくてエデュアルトに申し込むと、彼は首を横に振った。
「殿下がお呼びだ。一緒に行くぞ」
一瞬、あの夢のことが引っかかった。レオポルディーネの鼓動が跳ねる。
――いや、まさか、ね?
魔導師の中には予知夢を見るものが多いと聞くが、自分に限ってはそれはないとレオポルディーネは言い聞かせた。
「は、はい。わかりました」
少しだけ行動が遅れたものの、レオポルディーネは部下たちに指示を出す。それからエデュアルトとともにコンラート殿下の私室へと歩き出したのだった。