この素晴らしい『ラブホ』で執筆を!
本屋に寄ったとき。
先生の新作を見つけるたび、私は思い出す。
ラブホテルでの缶詰作業を。
迫る〆切。
喘ぎ声をBGMに執筆されていた先生の背中。
ベッドでの打ち合わせ。
それと。
先生が童貞を■■■あの日、私たちは――――
「ここは?」
「ホテルです」
「ホテルの浴室ってガラス張りでしたっけ?」
「そういう仕様です」
「隣の部屋から聞こえてくる女性の、その、苦しそうな声は?」
「喘いでるのですから、性行為の最中かと」
「両隣の部屋から聞こえてくるのは?」
「ラブホテルですから」
薄暗い照明。
ガラス張りのトイレと浴室。
アダルトビデオだけ映るテレビ。
精力増強剤入りの冷蔵庫。
円形のおっきなベッド。
それらを完備して一泊2千円!
経営者が知人ということでの友達料金だが、それにしても安い。下見のために何度か泊まってみたけど、盗聴盗撮機の類いは出ず。これなら安心して先生を泊められると思ったのだが。
「僕は、執筆が進む環境を用意してほしいと頼んだのに。何故、ラブホをチョイスした!?」
「童貞の先生にとって最高に刺激的な環境ですが」
「刺激的すぎるわ! 普通のに変えてください」
「私のポケットマネーだとここしか……」
「経費で落とせばいいでしょ」
小説家が訳あってホテルにこもり、小説を書いている場合は出版社が経費として宿泊費を払ってくれる。けれど、
「売れてない先生に経費は落ちません」
「だからって、未成年をラブホに泊めたら風営法が黙ってませんよ」
「お忘れですか? 去年の法改正で、成人年齢が18才に引き下げられたことを。なので合法です」
「しょ、小説家と編集者がラブホに泊まってたなんて知られたら、絶対問題になります。男と女なわけですし」
「それはそれで宣伝に使えるかと」
「……」
「それにしても、〆切を破った先生が普通のホテルを所望なのは贅沢かと?」
「それは、その」
「〆切が迫れば緊張で書けるタイプだから、〆切ぎりぎりになって書くとおっしゃって、結果は未完成の小説ですよね」
「追い込まれたら書けるんですよ、ほんとに。ただ、前作がぎりぎりでも間に合ったので大丈夫と思ったら、やる気が出なくなっただけで」
「なるほど」
「あの、獲物を狙う肉食獣みたいな目付きになってますけど?」
「ふふっ」
「舌舐めずり!?」
部屋の壁に取り付けてある複数の鏡が、つい数ヵ月前まで男子高校性だった先生と、一歩ずつ距離を詰める私を写す。
鏡に写る私に女としての魅力はなかった。
自分で切っている髪は遠目から見れば普通のショートヘアーだが、近くから見ればわかる通り毛先が所々横一線で、次に先生と会うときは美容院に行こうと決心するほど残念な出来栄え。
恵まれた顔立ちも、目の下のくまで台無し。
大きい胸も猫背の原因で。
唯一決まってるのはスーツだけ。
そんな私でも先生は女として見てくれているのだろう。迫っただけで顔が真っ赤だ。
私が一歩進むたび先生は後ずさる。先生の背中がとうとう壁に触れた。私は距離を詰め、一度はやりたかった壁ドンを繰り出す。壁と私に挟まれた先生は目を泳がせ、ある一点に落ち着いた。
「先生は確か、脱童貞すると創作意欲を失ってしまうから童貞のままなんですよね?」
「同業者が書けなくなったのを何度も見て、怖くなったんです。もちろん書き続けてる人もいますよ、知ってます。けど、僅かでも可能性があるなら、一時の性欲で書けなくなるなら、いっそやらないほうが良いじゃないですか」
「小説家であろうとするその信念、立派です」
私の胸をずっと見ている点と、〆切を破っていなければ本当に立派だと思う。
「その信念が本物か、試させて頂きます」
「試す?」
「〆切までに小説を完成させないと、先生の童貞には卒業してもらいます」
それを踏まえてのラブホテル。私の狙いを理解したのか先生は下半身を押さえる。
先生の表情から読み取れるのは。
不安、緊張、怯え。
それと、意欲。
追い込まれてやるタイプというのは本当らしい。
「先生の童貞か、完成原稿。どちらを頂けるのか楽しみにしてますね」
♂♂♂
住場都。
ペンネームのせいで女性とよく勘違いされる小説家で。私の担当作家にして、私がラブホに監禁した先生である。
今までに商業本を7冊出すも全く売れず。
それでも彼には才能があると信じて、編集部を説得していたやり手の編集者吉田さんが過労で倒れたのが1ヶ月前。住場先生の担当を引き継いだのは私だった。
自分から志願したのだ。
住場先生の才能を信じていたから、ではない。
出版社が先生を切り捨てようとしていたから。
それを知った吉田さんが病院のベッドで悔しそうに泣いていた。その涙を見て、売れない小説家を切り捨てるのは仕方がないことと感情を圧し殺してた私に思い出させてくれた。
編集者になったとき、小説家と作品のために私は頑張ろうという気持ちを。
これ以上、自分を裏切りたくない。
だから志願したわけなのだが。
住場先生は問題児で、編集長から頂いた〆切が過ぎても1万文字ちょっとしか書けなかった。
編集部のオフィスで私は土下座して〆切延長を頼んだ。おかげで9日も〆切を延ばしてもらえた私は吉田さんに泣きつき、先生の取り扱い説明書を授かった。それに書いてあったのだ。
小説を書かせる禁断の手が。
『住場都をラブホに閉じ込め、〆切までに小説を完成させなかったら大切な童貞卒業させるぞと脅して書かせる』
立案者の吉田さんですら実行に踏み切れなかったそれを、私は実行した。ラブホに行ったことのない私が、童貞をバカにできない私が、実行した理由。それは、他に良い案が思いつかなかったという実にシンプルなもの。
だから実行したわけだが、正解だったらしい。
先生は覚醒した。
なんと、3日で小説を書き上げたのだ。
私は喜びに駆られ、編集長に急いで報告した。報告したときの私は、先生に代わってどや顔を決めていた。そのどや顔も一瞬のこと。
それは、先生に折り返しの電話をして判明した。完成した小説は他社から依頼されたものらしい。私が用意したホテルで、他社から依頼された仕事を終わらせたと。私のおかげで他社の〆切は守れたと。
それは良かった。
他社の編集者が苦労せずに済む。それに3日で小説を書き上げたのは事実で、〆切まで6日も残ってる。
大丈夫、まだ大丈夫、大丈夫な……はず。
6日目。
夜の11時とあって編集部は人が少ない。
栄養ドリンクで胃の中たぷたぷ。頭の中では寝たいを連呼。
誰かが仕事を終わらせて帰るたび、人の数は減ってるのに負のオーラが増す。そんな環境に救いの着信音が鳴った。
住場先生からだ。
小説が完成した報告に違いない。
「お疲れさまです、先生。小説の方は完成し――」
『書けなく、なりました』
「……なぜ?」
『3日で小説を書き上げたんで余裕が生まれたのと。あとラブホに慣れちゃって』
「慣れた?」
『隣から女性のアダルトな声がしてるのに、お腹が減ったんで朝食がてらパンにジャム塗って食べたり。ガラス張りのトイレも入る前にトイレットペーパーの残りを確認できて便利に思えたりで……』
「適応してますね」
『はい……』
「解決策を考えますから、先生は少し休んでてください」
電話を切った私はR18指定の計画書をとりだす。
マニュアルをもとに私が作成したもの。
この計画書を実行するのは勇気と、覚悟と、エロがいる。
やりたくない。
一生ものの黒歴史になる。
それでも先生に効果抜群で。
私がとれる最良の手だ。
編集者である私には責任がある。
責任が。
♂♂♂
数日前に整骨院で猫背を正し、美容院で髪を整えた私はドアノブを回す。部屋に入ると椅子に座っていた先生と目が合った。寝てないのか、目の下にくまが出来ている。
「先生。差し入れをお持ちしました」
「差し入れで箱詰めのコンドームをもらう日が来るなんて……」
「サイズは把握してるのでご安心を」
「息子の身長をどこで知った!?」
「冗談です。他のサイズも旅行鞄に入ってるので、合うものを差し上げます。合わないのはそうですね、水風船にでもして遊びますか」
「鞄のなか、全部コンドームですか?」
「私の着替え、シャンプー、抱き枕、勝負下着、化粧品、パソコンなども入ってます」
「出張の帰りですか?」
「ここに泊まりです」
「他で泊まってくださいよ。別の部屋で、担当編集が彼氏さんと利用してるとか絶対気が散ります!」
「彼氏はいません。泊まるのはこの部屋です」
「なんで!?」
「私が泊まることで環境の変化になるかと思って」
「確かに」
「それと、いつでも先生の息子さんを狙えます」
「そっちが本命でしょ!」
「執筆の邪魔はしません、書いてる間は。この意味、わかりますよね?」
「やればいいんでしょ」
「もうやるんですか? 汗を流してくるので少しお待ちを」
「そっちのやるじゃない!」
ツッコミつつも、先生の止まっていた手がキーボードを打ち始めて文字を、文章を、物語を紡いでいく。これが先生のやる気スイッチだ。このスイッチを使い、先生を徹底的に追い詰める。
それが編集者たる私の役目。
だから、恥ずかしくても我慢してみせる。
ところで。
トイレをちらり。
ガラス張りで外から丸見え。
しかも、和式便所。
先生が眠るまで我慢……
眠るまで我慢……
眠るまで……
我慢……
……
「先生、今日は何時まで執筆をされますか?」
「徹夜します。寝込みを襲われたくないので」
お泊まり初日。
10分も経たないうちに。
私は最初の危機を迎えた。





