影武者は玉座を望む。
『ーーー今日より、貴様が王だ』
そう告げられたのは、戦乱によって傷を負った王と、病弱だった王子が相次いで亡くなった直後のことだった。
『王位継承の戴冠式は、半年後に予定通りに執り行う。決して貴様が王子の『影』であることを気取られるな』
王子と瓜二つの、薄茶の髪と碧眼の美貌を持つ『影』は、その日から17歳の黄竜王国第一王位継承者ヴァルケイン・ザナンドゥになった。
ーーー愚物が。
まるで感情の浮かばない目で道具のようにこちらを見る宰相に『影』が抱いた感想はそれだった。
要は、自分たちが権力の握るための傀儡を、混乱に乗じて作り出そうという腹づもりなのだろう。
『影』に拒否権はなく、その半月後には定例会議を行う会議室に招集された。
卓を囲む三人の面々は皆、ヴァルを名乗る自分が『影』であることを知っている。
だがヴァルは、傀儡として終わるつもりなど毛頭なかった。
ーーーこいつらを排除して、俺が真の玉座に至る。
秘密を知るのはここにいる者たちと、王子の妃、そして第二王子だけである。
彼らが消えれば、もうヴァルが『影』であることを知る者はいない。
千載一遇の好機。
ならば、その実行を考えない手はなかった。
ヴァルは、ちらりとこの場を仕切る者に目を向ける。
自分を傀儡として指名した宰相、エンヴィ・パワード。
長い白ひげを蓄えた、権謀術数を張り巡らせる老獪な人物だが、ヴァルはその本質を知っている。
ーーー権力がありったけ欲しくて仕方のない、浅ましいジジイだ。
今回の件……ヴァルの死を秘匿する謀略も、コイツの発案だろう。
実質的な最高権力者の位置に己が在ろうとしているのだ。
宰相エンヴィは、議題を述べた後に残りの面々を見回す。
「……何か案はあるか」
戦乱が終息した後に起こった問題に関する話だ。
傷を負った王は伏せったが、一年ほどは生き、その間に戦乱は痛み分けで終息した。
だがその後、民衆が飢えて新たな問題が発生したのだ。
戦乱に土地は荒れ、農夫も数多く死んだ。
特に酷いのは国境近くにある辺境で、飢えた民と仕事を失った傭兵たちが結託して食糧などの強奪を始めたのだ。
「家畜の反乱など、領主に任せておけばよいのでは?」
鼻を鳴らして最初に意見を述べたのは 屈強な肉体を持つ野性的な風貌の男だった。
国軍を率いる大将、ルスト・カーナル。
精強な軍をまとめ上げ、数々の功績を成した戦地においては有能な人物だ。
しかし、この男には一つだけ欠点があった。
ーーーどうしようもない色狂い。
娼館通いに留まらず、貴族の娘や、部下や下位の爵位を持つ人物の人妻や未亡人まで、無理やりに手を出すクズ野郎である。
今回の件に乗ったのも、幾度となく王に窘められ、しまいに地位を追われかけたことに対する復讐と、これまで以上に好き勝手やるためだろう。
民衆を家畜と言い切る彼の暴論に、宰相エンヴィが静かに反論する。
「すでにあの領主には抑えきれん。王都に至るまでに鎮圧すべきだと思うが」
「こちらに来るのなら、吾輩が守れば良いのだろう。たかが農奴と傭兵崩れ如きに、我が軍が負けるわけもない」
ーーー我が軍、か。
もう支配者気取りの口調に、ヴァルは薄く笑みを浮かべた。
すると、見とがめた大将ルストがピクリと眉を動かす。
「何がおかしい?」
「いえ、失礼いたしました」
ーーー盛った獣が、人間のツラして服着て座ってるのが笑えるんだよ。
ヴァルは、心の中でそう嘲る。
人目のないところでは、あくまでも『傀儡』としての態度は崩さない。
こいつらを殺すその瞬間まで、野心を気取られてはならないのだ。
しかし、言うべきことは言わねばならない。
「私が出て、鎮圧して参りましょうか?」
それを口にすると、残り二人もこちらに顔を向けた。
「何だと?」
「家畜は、増えて肥えた方が喰いでがあるかと。ならば放っておくよりも鎮圧したほうが結果として有意義でしょう」
ヴァルは、トン、とて卓を指で叩く。
「痩せた肉など筋ばかりで不味いものです。餌を与えねば、脂の乗った旬の時期がいつまでもやって来ませんよ」
「『影』ごときが、賢しらな口を利くな」
「おや、お気に召しませんか? 宰相殿は乱を治めたい。大将殿は出る気がない。……最高司祭殿も、民衆が困窮して信者の数が減るのは好ましくないのでは?」
その問いかけに、最後の一人……シルバーグレイの、落ち着いた物腰を持つ白と紫の衣装を纏った柔和な男が口を開く。
「憂いておりますよ。信徒が苦しむのを見るのは、忍びない」
神を信仰する教会の最高司祭、エコノミカ・アニマ。
慈善事業をいくつも展開する清廉潔白な人物として、民衆から絶大な人気を誇っている……が。
ーーーその正体は、ただの金の亡者だ。
寄付やお布施など、集まる富の大半を溜め込み、その財宝の量は戦乱で疲弊した国庫に匹敵すると言われるほどである。
今でも十分に、宰相に匹敵するほどの後ろ盾を持つ彼がなぜ『影を王として立てる』などという話に乗ったのかは理解出来ないが、より富を得られると踏んだのだろうとは思う。
その件に関して、一番腹の底が読めない男だ。
そんな『敵』たちの姿を眺めながら、卓に両腕を置いたヴァルは薄く笑みを浮かべた。
「私の案は、そう悪くはないと思いますがね。もちろん私という『駒』が失われれば貴方がたにとっては少し困ったことになるでしょう。ですが大将殿が仰る通り、たかが民衆と傭兵崩れの群れです」
ヴァルは『影』として、危険に対処する方法を叩き込まれている。
剣技から魔法、戦術・戦略からあらゆる学問に至るまで、実際に王子と同程度に振る舞えるように求められ、実践してきた。
さらに、それらの危険や課題を乗り越えなければ即座に〝死〟が待っている環境で生きてきたのだ。
「私が負けることはあり得ません。同時に、貴方がたの益もあります。戴冠前の王子が、自ら民衆を救うために前線に赴き鎮圧したとなれば、王家に対する名声が高まる」
戦乱で疲弊し、乱を起こされるほどに低下した王家への求心力を取り戻すことが出来るのだ。
「万一、私が死んだとしても、他に似た者を連れてきて傀儡に立てればそれで済む。違いますか?」
そう重ねて告げると、三人は押し黙った。
こちらの提案に含まれる、益と損を秤にかけているのだろう。
しばらく待つと、最初に口を開いたのは最高司祭エコノミカだった。
「よろしいのではないですかな。確かに彼の言う通り、怯える民草に手を差し伸べることは重要です。教会の聖兵も出させていただきましょう」
ーーー乗ったか。
聖兵というのは、教会の私兵である。
だが、その力は決して侮れない。
聖騎士率いる彼らは回復魔法と防御魔法に優れ、かつ信仰心に支えられた不屈の兵士達であり、同規模であれば国軍に匹敵すると言われている。
それ一つ取っても、エコノミカが影を立てることをさほど重要視していないことは読み取れた。
連中も一枚岩ではない。
「なら、お手並み拝見だな」
大将ルストも、賛同を示したエコノミカを挑発するような態度で中立の立場を取った。
ヴァルが最後の一人に目を向けると、宰相エンヴィは相変わらず感情の浮かばない目で一つだけうなずく。
「では、決まりですね」
にこやかに手を叩いたヴァルは、そのまま立ち上がった。
「早速、行って参ります」
「……戴冠式までには確実に戻れ」
「御意」
出口でうやうやしく頭を下げたヴァルは、スッと笑みを消して歩き出す。
辺境へ赴くと妃に告げるため、居住区に歩を進める間。
心の中で自分とそっくりな顔をしていて、存在を抹殺されかけている死んだ男のことを思い浮かべた。
ーーーヴァル。
『影』は、自分に与えられた名の本来の持ち主である彼に呼びかける。
『僕が死んでも、この国を頼むよ。……獣どもの好き勝手に、させないでくれ』
ーーー任せておけ。
ただの道具ではなく、最も近しい友人……あるいは家族として『影』を扱った彼が、死ぬ前に預けた言葉と、ひんやりと冷たい手の感触を思い出す。
ーーー俺は真の王になる。お前に成り代わってな。
外敵も内敵も全て排除して、彼の愛したこの国を生かし続ければ、文句はないだろう。
馬鹿どもは知らない。
『影』が『影』として在り続けたのは、あくまでも彼がいたからだということを。
ありとあらゆる面において、『影』は誰よりも優れている自覚があった。
その力を、今までは彼のためだけに使っていたが。
ーーーこれからは国のために……そして、俺自身のために使う。
愚物の行いによって、国が疲弊するのは『影』自身が我慢出来ないことだった。
そして、認めていない者たちの駒として在り続けるつもりも、毛頭ない。
ーーーまずは手駒を増やさなければな。
王城は、三者の手の者に支配されている。
ゆえに『影』は、まず手始めに外で誰かを勧誘することに決めていた。
乱の指導者は義に厚く、優れた能力を持つ傭兵の長だと聞いている。
交渉してこちらの手の内に取り込めれば、真の玉座に至る足掛かりになるだろう。
これからに想いを馳せながら『影』は薄く笑う。
ーーー俺は、ヴァルケイン・ザナンドゥ。……偽るのは、敵と己の名のみ、だ。