君に、さよならを言うために
化学兵器が原因と噂される大事故によって、町内の人間すべてが犠牲となった真帆呂町。
現在は封鎖され、文字通りのゴーストタウンとなったこの町で、“僕”は自分の死に気づいていない町の人々を改めて殺害していく仕事を行っている。
国家に雇われて死者たちにとっての殺人鬼となった“僕”は、事故に巻き込まれて亡くなった恋人の美亜を探し求める。
さよならを伝え、彼女を殺すために。
ほんの二年前には、人口約2万人を数えた真帆呂町は、今となっては誰一人として住んでいない。
正確に言えば、生きている人間は誰も居ない。
たった一人、150㏄の小型バイクにまたがってゆっくりと走っている僕だけが生きてここにいる。
「今日はこのあたりだな」
平地の住宅地と、山がちな農地を有する真帆呂町は人口のわりに広い。僕はそれをいくつかのエリアに分けて巡回している。
路地の適当な場所にバイクを停めた。カギは挿したままでいい。盗まれる心配はしなくていいのだから。
「ヘルメットを付けないといけないというのが、なんとも間抜けだなぁ」
誰も居ない町ではあるけれど、間違いなく日本のとある地方の町なのだから、日本の法律は生きている。生きているのだから、それには従わなければならない。バイクの制限速度は守るし、信号もちゃんと守る。
「さあ、仕事だ」
この独り言もリアルタイムで監視・記録されている。当初はそれを気にして無言のまま仕事をしていたけれど、三か月も経ったころには気にならなくなった。聞きたければ聞けばいいし、聞かれて困るようなこともない。
僕はメットインからマスクを取り出し、代わりにヘルメットを納める。同時に、背負っていたリュックから数本のナイフを取り出してシートの上に並べた。
「大丈夫、いつも通りに」
呼吸を整え、鞘に収まったナイフをひとつひとつ確認して腰のベルトに固定。
そして、この取り出したマスク。顔全体を覆うような構造で、両眼にはややスモークがかかったレンズが嵌めこまれていて、スイッチを入れるとこめかみのあたりで静かな排気音が発生する。
マスクから伸びたイヤホンを耳に差し込むと、先ほどまで静かだった町の音が、ほんの少しだけ静けさを失ったような気がする。
「よし、やろう」
視界の端に見えるパイロットランプが緑に光り、マスクがいつも通りに動いていることを確認した僕は、一振りのナイフを抜いて近くにある一軒家のドアノブをひねる。
扉は問題なく開き、土足のまま玄関を抜けるとすぐにリビングルームへと入った。
「居たな」
家族団らんの最中だったのだろうか。炬燵を囲んだ中年の男女一組の“存在”を確認。
『だ、誰だ?』
男性が慌てた様子で立ち上がろうとするものの動揺が酷すぎてもたもたとした様子で、女性の方は二人とも硬直している。
イヤホンを通じてくぐもった声が聞こえてきた。少し迷って、僕は簡単に挨拶だけをすることにした。
「誰でもない。ただ、こうやってあなたたちを殺しにきたんだ」
『えっ?』
僕は炬燵に座っている女性にしっかりとナイフを視認させてから、刃を寝かせて吸い込ませるように胸に突き刺した。
女性は自分の胸に刺さったナイフを見て泣きそうな顔をしているけれど、僕は無感動にその顔を押さえてナイフを引き抜いた。
バイク用のグローブを通して、ほんの少しだけ手応えが伝わってくる。
『ひいっ!』
ひきつった悲鳴をあげた男性に向かって、僕は炬燵のテーブルを乗り越えて胸を踏み付けた。
『た、助けて……!』
「残念だけれど、あなたはもう助かっていないんだ」
仰向けにさせられ、胸を踏む僕の足を掴んで命乞いをする男性に向けて真新しい輝きを放つナイフの刃を見せ、ゆっくりと喉を斬り裂いた。
痛みと苦しみを感じているかも知れない。悶絶してのたうち回る男性を放ってちらりと一瞥すると、女性の方はもう動いていない。
「二名、処分完了」
義務的に呟いた僕は、他の部屋を丁寧に調べて誰もいないことを確認すると、イヤホンを外してマスクを抜いだ。そして、ちらりとリビングをのぞき込む。
先ほどまで点灯しているように見えた照明は消えており、薄暗いリビングにはコタツがあり、うっすらと積もった埃に僕の靴跡がくっきりと残っていた。でも、二人の死体はどこにもない。
そう。僕がたった今殺したのは、生きている人間じゃない。もう死んでいる人たちなのだ。
錆びたドアノブをひねって外に出て、持っていた小さなスプレーで扉に大きく”α”の文字を書いた。この家の処分が終わったと示す印だ。
「さあ、次の家に行くか」
これが僕の仕事。もう死んでいる人たちを、もう一度殺す。
国から支給されたマスクをつけると、死んだ人が見えることだ。彼らはいわゆる幽霊だと思うけれど、国の担当者は決してその言葉を使わなかった。何故かは聞いていない。
ともかくも、この町には自分が死んだことに気づかず、幽霊となって日常生活を送っている人たちが沢山いる。一軒一軒の家を訪ねて、そんな人たちを見つけては殺していく。
こんな仕事を、もう二年近く続けていた。
「お疲れさまでした」
と、鉄柵と警備員で隔離された真帆呂町を出てきた僕を、スーツ姿の男性が迎えてくれた。
「お疲れ様です。今日は七人です。男性三名。女性四名」
「……はい、記録は確認いたしました」
ヘルメットを脱ぎ、今日の“仕事”について記録した報告書に目を通した彼は、にっこりと笑って頷いた。
彼はこの仕事を僕に紹介した人物で、厚労省の役人だと聞いている。名刺ももらったけれど、どこかに失くしてしまった。でも名前は憶えている。美河さんだ。
「帰る前に、少し休んでいかれませんか。いつもの店に席を用意しておりますから」
美河さんがこう言うときは、何か用事があるときだ。決して強制するようなことは言わないが、言葉とは裏腹に有無を言わせない雰囲気がある。
「ブラックコーヒーでしたね」
「はい、ありがとうございます」
いつもの店と彼が呼ぶのは、一見すると普通の町の喫茶店なのだけれど、彼が席を用意すると言ったときには、他の客は誰一人いない。代わりに、扉の外に黒いスーツの屈強そうな男性が二人立っている。
そして、コーヒーを出したマスターも店の奥へと消えるのだ。
「お陰様で予定よりも早く浄化処理が進んでおります。例の事件から二年。世間は落ち着いていますが、あなたの仕事が外に知られるわけにはいきませんから。不自由をお願いして申し訳ありません」
「いえ……。この仕事をさせていただくだけでも、感謝しています」
俗に『真帆呂町消滅事件』と呼ばれ、美河さんたち公務員たちは『十一月事故』と呼んでいる事件。公には研究施設の事故であるとされており、マスコミやインターネットでは新兵器の実験などとささやかれている大事件だ。
「町の住人や労働者など……推定二万人が一瞬にして消滅した話も、二年経てば落ち着いてしまうのですね」
「良くも悪くも、日本人は新しい話題が生まれると忘れてしまうものです。身近な人が亡くなられたのであれば話は別ですが」
「そうですね……」
「っと、失礼いたしました。東堂さんもそのお一人でしたね」
生物を短時間で分解してしまう恐ろしい“何か”は、真帆呂町全体とその隣接する町の一部に居た人々の命を、あっという間に奪い去った。
遺体すら残らなかったこの事件は、未だに被害の全容が完全には確認されていない。住民や従業員ならいざ知らず、単なる通行人などはそこに居たかどうか確認するには時間がかかるのだ。
「未処理者観測装備に適合する人材が未だに見つからず、東堂さんに負担がかかってしまい、大変申し訳ありません」
美河さんは、眉間にしわを寄せてわかりやすく申し訳なさそうな顔をする。それが本心か否かは別にして。
「あの方は見つかりましたか?」
問いかけに、僕は頭を振った。
「美亜は、まだどこにも見当たりません。ひょっとすると、もう成仏しているのかも知れませんね。彼女はとても勘の鋭い人でしたから」
美亜。僕の恋人であり、あの事件の日にこの世からかき消されてしまった女性。
「初日に彼女の部屋を確認して以来、優先的に近くのスーパーやコンビニなんかも見させていただきましたけれど……」
「その際には多くの方々の“処理”をしていただきましたね」
彼は、なぜか除霊や成仏といった言葉を避ける。僕が彼らを改めて“殺す”ことを“処理”と呼ぶ。
スーパーにいた沢山の人々を処理した時、彼らの目に僕はどんな怪物に映っただろうかと考えると、しばらくろくに眠れなかった。
今ではもう慣れてしまったけれど。
「今回この席を設けさせていただいたのは、明日以降の探索及び処理を行うエリアについてなのです」
僕はきっぱりと苦いコーヒーを飲みながら続きを待った。
「“爆心地”への立ち入り許可が得られました。長くお待たせいたしましたが、事故の原因について、東堂さんにも調査のご協力をお願いいたします」
「ようやく、ですね」
爆心地。事故原因となった物質が保管されていた場所であり、僕も立ち入りが許可されていなかったエリア。
「お手数をおかけしますが……」
「いえ、僕がこの仕事を引き受けたのも、真実を知りたかったからですから」
「言うまでもありませんが、爆心地で得られた情報については守秘義務がございます。マスクを通じて記録された内容について口外することは許可できません。それでも……」
「それでも、構いません」
事件直後の僕は、空の棺の前でただ泣いているしかなかった。
彼女はどうして死ななければならなかったのか。どこでどのように死んだのか。それを知らなければ、僕は次に進めない。
そして、できれば彼女と言葉を交わし、彼女を僕の手で……。
「そろそろ、失礼します」
「お時間をいただきまして、ありがとうございました」
店を出てバイクにまたがった僕は、美亜を見つけた時のことを考えながらエンジンをかけた。
「美亜……君は、僕が必ず殺してやる」
僕にできる愛の表現は、もうそれしか残されていない。