英雄学院のマガイモノ~偽物が本物に至るまで~
英雄学院。
それは、人類の希望が込めて建てられた、【英雄刻印】という英雄に至る権利を刻まれた人間だけが通う事を許される学院である。
他を圧倒する程の力を持つ最高峰の人間達が集う中、一人、異彩を放つ男が居た。
その男の名はロイ・アルベルト。
学院に通う人間の中で、唯一刻印を持たない彼は、他人の能力を模倣することが出来るという力を使って英雄となる事を目指す。
「俺は自分の力で海を割る剣を振るえなければ、大地を穿つような大魔法も使えない偽物かもしれない。だが、英雄になりたいって思う気持ちは、紛う事なく本物だ!」
これは、誰よりも英雄に憧れた少年の物語。
『英雄とは、人々の希望。人類にとって、幸福をもたらす者の事を示す』
いつか夢見た英雄譚。両親に幼い頃から沢山の英雄譚やおとぎ話の朗読をせがみ、朝から晩まで本当かどうか分からない物語に目を輝かせて、いつか自分もこうなれたら、と思いを募らせていたものだ。
『英雄とは、人々の象徴。人類の在り方を、生き様を先頭に立って示す』
どの英雄譚も、おとぎ話も。最後には決まって主人公が悪を滅ぼして物語は幕を閉じる。
どんな困難が待ち受けていようと、英雄は必ず乗り越えて見せている。
『英雄とは――――』
だから、きっと――――。
「母さんッ!!!」
灼熱が包む地獄の中、一人の少年は涙を流しながら、震える手を伸ばした。
少年の視線の先には、血みどろになりながらも魔人に剣を振るう女剣士の姿がある。
女剣士が振るう研ぎ澄まされた剣閃は、魔人が繰り出す攻撃を捌いていくが、その陶器のように白い肌に赤い傷が徐々に増えていく。
「ロイ、逃げなさい! 刻印を持たない貴方が魔人に敵うはずが無い!」
決死の形相で、女剣士は少年に向けて叫び散らした。
だが、ロイと呼ばれた少年はそれに対して首を振り、その場に留まり続ける事を選択した。
「いやだよ母さん! 俺だって、母さんの役に立つんだ!」
そう告げるとロイは無謀にも女剣士――母親であるセフィアの前に立ちはだかった。
地面に転がっていた剣を拾い、震える手で握り締めているその姿は、頼りない事この上ない。
ロイの行動にセフィアは目を大きく見開き、顔を大きく歪ませる。
「駄目! 英雄譚が好きなあなたなら分かるでしょう!? 魔人という存在の恐ろしさを!」
それは、英雄譚に登場する英雄と対極の存在。
正義の象徴が英雄と言うならば、魔人は悪の象徴。
どこまでも極悪非道であり、人間を滅ぼす為だけに生まれてきた存在が魔人という生物だ。
バサッと翼を羽ばたかせる音が響いた音が聞こえたかと思うと、空から魔人がゆっくりと舞い降りてくる。
一見すると人間とあまり遜色ない風貌だが、その放たれる威圧感は人外特有の物。
人を見下すように見つめてくるその赤い瞳は、見ているだけで身体の奥から底冷えするような感覚に陥る。
「そうだぜ坊主、お前のその勇気は買うが、勇気は勇気でもそりゃあ蛮勇って奴だ」
魔人がそう呟くと、尻尾を鞭のようにしならせ、横殴りにロイの身体を弾き飛ばす。
強烈な一撃に耐えきれるはずも無く、そのまま地面を二転三転しながら転がっていった。
「ぐっ…う…おぇ…」
「ロイ!」
霞む視界に悲痛な表情を浮かべるセフィアの姿が映り込む。
息を上手く吐き出せず、思わずえずいてしまうロイ。
声を出す事も出来なかったせいで、こちらに向けて手を伸ばすセフィラの背後に迫る脅威を警告する事すら出来ず。
次の瞬間、グシャア、と耳障りな鈍い音が響いた。
魔人が持つ鋭い爪がセフィアの腹部を深々と貫いたのだ。
「じゃあな英雄。お前が脅威になる前に仕留められて良かったぜ。坊主には感謝しねえとなァ!」
口元が裂けるほど吊り上がり、醜悪な笑みをこちらに向ける魔人。
爪が引き抜かれると同時に夥しい量の鮮血が、セフィアの腹部と口から吹き出す。
ゴポ、と音を立てて噴き出る命の奔流は、どうしようも無いほど死を明確にさせた。
目を限界まで見開き、自分の愚かさと無力さを呪ったロイは。
「うわああああああああああああああッ!!!!」
ロイの慟哭が、燃え盛る広場に響き渡る。
最愛の母親の命が燃え尽きる瞬間を目の当たりにしたロイの視界が真っ赤に染まっていく。
――――きっと、英雄の刻印を持つ母親は、この未曽有の悪夢から人々を救ってくれる英雄になるのだと信じていたのだ。
◇
人間は、齢が10に到達すると、天から恩恵を授かる。
その天からの恩恵――――力の名を、人々は『天啓』と呼ぶ。
『天啓』の力は千差万別。『剣の担い手』『射貫く者』などと言った戦闘に特化した天啓や、『農夫』『行商人』などと言った生計を立てるための天啓まで、あらゆる天啓が存在する。
天啓によってこれからの自らの生涯を決められると言っても過言では無い。
しかしそれが天が与えた使命だというのなれば、と人々は敷かれたレールの上を生きていく。
そして、天啓とは別に、極稀に天から授かる物がある。
その名も【英雄刻印】。
天啓を授かると同時に身体のどこか一部分に英雄刻印は突如出現し、英雄へと至る権利が刻まれる。
英雄刻印が刻まれた人間は、与えられる天啓も周りを圧倒する程の強力な力を授かる。
まさしく英雄になるに相応しい力が与えられるのだ。
だが、逆に言えば英雄刻印が刻まれなかった人間は、英雄になる資格が無いという事。
英雄に憧れた少年、ロイは英雄刻印が刻まれなかった側の人間だ。
それは極めて一般的な事だ。英雄刻印が刻まれる人間というのは、天が気まぐれに認めた特別な人間のみなのだから。
そして、ロイが10歳になった時に授かった天啓の名は【模倣する者】。
他人の動きを真似することが出来る、ただ、その程度の能力。
しかも、どう足掻いても他人よりも劣化した動きしか出来ないというおまけ付き。
要するに、他人より劣った存在としてしか生きていけないという枷を付けられたのだ。
英雄刻印を持たず、そして与えられた天啓もお世辞にも周りと比べて優れているとは言えないその事実はあまりにも残酷で、天啓を得た時点で英雄になる道を完全に途絶えさせられたのだ。
それでもロイは英雄になる事を諦めなかった。
英雄の刻印を持ち、他の人よりも遥かに圧倒的な戦闘技術を誇る母親に師事し、ボロボロになりながらも努力を怠る事はしなかった。
いつか刻印を持たない自分でも、英雄に至って見せると信念を抱いて。
◇
だが、それは結局無駄な努力となって終わってしまった。
きっと、初めから自分は今日ここで死ぬ運命だったのだ。決められた人生を歩んでいく事に背き、英雄になろうと醜く足掻き続けた自分への罰なのかもしれない。
ロイは覚束ない足取りで血だまりの中を歩いていくと、その中心で沈む身体をゆっくりと抱き起こす。優しかった瞳は既に像を捉えておらず、虚ろなまま光を灯さない。
抱き起こすと同時に何かが地面に落ち、微かな金属音が鳴った。それを拾い上げてみると、まだ自分が幼い頃にプレゼントしたペンダントだった。
おもちゃ同然のそれを、ずっと大事に身に付けていたのだろう、その事実を確認すると、ロイの涙腺が緩んでいく。
(俺のせいで、母さんは…)
強く、厳しく、そして優しかった母はもうこの世にいない。
頬から涙が零れ落ち、ペンダントを濡らしていく。
(このままここで死ねば、母さんに会えるかな)
「きゃあああああああああッ!?」
完全に意気消沈していたロイの耳に、つんざくような悲鳴が聞こえてくる。
声の聞こえてきた方へ顔を向けると、自分とそう歳が離れていないであろう少女の近くに、魔獣が迫ろうとしていた。
虚ろな目で迫る様子を見ていたロイの心の奥底で。
自分の根幹にあった感情の爆発。信念に刻んでいた願望が、心に火を付けた。
(自分の生きた意味を残さずに死ぬわけにはいかない!! そこにある小さな命一つ守れずして何が英雄になって見せる、だ!)
そう思い至った瞬間、身体は既に動き出していた。地面を蹴り、少女の元へと駆け出した足は止まらない。そして、駆けだすと同時に喉が張り裂けんばかりに叫ぶ。
「天よ!与えし祝福を我が身に宿せ!」
それは、天啓を自分の身体に宿す魔法の言葉。
無力な人間を、英雄たらしめるための奇跡。
「【模倣する者】!」
ロイはセフィラが遺したペンダントを握り締めると、そのペンダントに残された残滓が反応し、ロイの身体を包み込んでいく。
そして、もう片方の腕を高々と掲げ、そのペンダントから流れ込んできた力の名を力強く宣言する。
「【至高の剣聖】!!」
ロイが力強く宣言すると同時に、溢れんばかりの閃光が周囲を照らし出した。
そして、その言葉に呼応するかのように、高々と掲げられたその手に、一振りの剣が出現する。
「うおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
剣聖と呼ばれる者にしか扱えないそれをロイは確かに掴み取ると、少女に迫っていた魔獣をすんでの所で一刀両断した。
命を絶ち切る感触をその手で味わったロイは荒い息を吐き出す。
先ほどまであった震えはもう無い。無力な自分に絶望するのはもう辞めた。
ロイは無益に殺されるのでは無く、立ち向かう事を選択したのだ。
驚くような視線を向ける魔人に、剣の切っ先を向ける。
「どうせ死ぬのなら、最後まで足掻いてやる…! 英雄になれなくても、ここに居る女の子だけでも救って見せる!!」
その後ろで、少女はポツリと。
「英…雄」
ロイの肩で輝く奇妙な形の紋様を見ながら、そう呟いた。
本来ならば、生涯刻まれる事の無いはずの、その刻印を。
『――――英雄とは、身命を賭して大切な物を守る者。誰かの為に力を振るう勇ましき者を示す』
――――この物語は。
――――英雄に憧れた紛い物が、本物の英雄に至るまでの英雄譚である。





