「私との接触は密です」とクラスメイトの彼女はキメ顔で告げたんだ
ヒーローなんかいないこの世界から別れを告げよう。
家に居場所がない僕。だが外は突如現れたミガイという化け物がうろつき、学校という逃げ場がなくなってしまった。
この狂った世界に居続けるのはもう嫌だ。
死に場所として学校の屋上に立つ寸前、朝のヒーローショーが大好きなクラスメイトの義岡と再開した。
彼女とヒーロー談義に花を咲かせたのもつかの間、学校にミガイが侵入した。僕はまだ校舎の中にいる義岡を助けに戻る。
僕がせめて誰かを助けられる唯一のヒーローとなれるために。
絶好の死に日和だった。
昼間しか開かない校舎には決して昇らない銀の満月が照り、危険だから入ってはいけないと閉ざされた屋上に僕一人。いつもの学校では決して巡り合えない非現実な光景だ。
自分の人生で死に場所を見出せれたことだけが、最期の幸福かな。
人の気配がないのを確認して、金網に手をかけようとした。
「ねーねー。君、浅井君でしょ。こんなところで何してんの」
明るい少女の声に邪魔された。一か月以上、家族以外の声を聞いていなかったから一瞬わからなかったが、顔を見てやっとクラスメイトの義岡だと思い出した。
「学校が開いていたから、入っただけ。義岡は」
「同じ考え。独り占めになるところだったけど、そうなる前でよかった」
えへへとアホっぽい声で笑みを浮かべて金網にもたれかかる。クラスの人気者でお気楽な義岡。親密な間柄ではないけど、誰にでも絡んでくるから話したことはあるが、学校が休校になっても相変わらずだった。
「屋上初めて登ったけど、めっちゃ町見えるね。あれ、ミガイかな」
彼女が指さした草陰を凝視してみると、クロヒョウのような紫の体に金の唐草模様の線が彫られた生物が校庭に現れた。
未特定危険外来生物、略称ミガイ。突如発生したウイルスに感染した動物が人を襲う化け物。今の所人体に感染した例は出ていないが感染源がつかめていないため、政府は国民に自宅待機を命じている。会社や学校に行かなくて済むとSNSではよろこぶ人が多い。唯一の安息の場である学校を取り上げられた人の気持ちなんて知らないで。
ミガイは屋上に居る僕らに気付かず、我が物顔で校庭を練り歩き、僕らはそいつが消え失せるまで眺めるほかない。あんな大きな奴に襲われたら頭部を一飲みにされるだろう。
あいつさえいなければ、僕はずっと学校にいられたのに。
「いつまでこんなこと続くのかな。あいつを倒せるヒーローでも現れたらいいのに」
「ヒーローものとか好きなの?」
ちょっとしたボヤキなのに、地獄耳だな。正直にうなずくと、義岡の顔がぱあっと明るくなった。
「じゃあイマジナライダー見てる!? 私、朝のヒーロー番組毎週欠かさず見てるんだよ」
思わぬところで『イマジナライダー』ファンがいることにびっくりした。話してみると義岡の『イマジナライダー』好きは根っからのもので最新話から台詞まできっちり覚えていた。
「でもさー、最新話があたし的に不満でさ。主人公のライダーが敵の女ライダーと恋に落ちるんだよ」
「話の展開としてはいいんじゃないか。彼女と死別した人と似ているから知らずに惚れてしまったんだろ」
「ノンノン。ヒーローは恋をしてはいけない存在なんだよ。だってその流れだとその人一人のために救うでしょ。そしたらみんな助けられないじゃない。私が憧れるのはそういうヒーローだよ」
「君のヒーロー像ってかなりストイックだね」
「それがかっこいいじゃん」
ミガイの姿が見えなくなると義岡は安堵して、大手を振って短い髪をポンポンのように振りながらバイバイをする。
「浅井君意外と話し合うね。じゃあまた学校が再開したらイマジナライダーの話しようね。絶対だよ。忘れたら殴り込みに行くからね」
「あ、ああ。うん」
彼女が屋上から去るのを見届けると、父に殴られた頬が疼きだした。
それまで生きられる自信ないよ。そんなの僕嘘つきになるじゃないか。
僕は父の肉のサンドバックだった。
父は外では善良な仮面をうまいこと被り、会社での鬱憤を僕で発散していた。それも巧妙にあざができない力加減と他の人に見られないよう背中など傷が見えない部位に痕を作りながら嬲った。
僕に反抗する気なんてとうに失せて、一分でも仲の良い学友たちと学校に居る時間をつくることがせめての抵抗だった。けどミガイの出現で学校が休校となり、父の仕事もテレワークになり僕を嬲る回数が増えた。ついに耐えきれず。殴り返してしまった。物が人間に反抗したらどうなるかわかっているはずなのに。結局ボコボコにされて地に伏してしまった。
僕の安息の場所は学校しかなかった。ここで死んで楽になりたい、けど彼女の言葉が死から遠ざけようと引っ張る。
もう一度金網に手をかけた時、さっきのミガイが窓から校舎に侵入しているのを目撃した。
まだ校舎に義岡がいる!
僕はまたも死ぬことを延期して、義岡を探しに校舎に戻った。
***
けど現実はどこまでも僕の思い通りにはいかなかった。
義岡を見つける前に校舎に侵入したミガイに遭遇してしまった。獲物を見据えたミガイはギラリと牙をむきだす。僕はそばにあったモップを手に抵抗しようとしたが、あっという間に壁に叩きつけれてしまった。
なんとか体を起こそうとする。痛みは父からの暴力で慣れていたが、さっきミガイに額を切られたことで垂れてきた血が左目に落ちてきて視界がぼやけていく。だがミガイは容赦なく熊手のごとく太い足で僕の頭をコンクリートの廊下に叩きつけた。
涙が出てきた。痛みからでない、悔しさで涙が出てきた。
彼女を逃がすまでミガイを食い止めて、あわよくばそのまま死んでしまおうと思ったのに、それすらできない。
僕はヒーローになりたかったのか、こんな無力な人間ごときに。
もう抗う力もなくなり、ミガイの口が僕を飲み込む。
「イマジンパンチ!!」
僕の体重の何倍もあるはずのミガイの体が突然吹き飛んだ。
体が自由となって顔を上げると、目の前に変な奴がいた。
「オレ。参上! おい、ミガイ。廊下は走るな、泥だらけの足で廊下を歩くなって張り紙みていないのか。あっ……少年。まだ生きているかい」
ミガイを廊下に立たせて吹き飛ばした奴は格好もまたおかしかった。ミニスカートにシャツという明らかに女子の出で立ちに、縁日で売っているイマジナライダーのお面をつけながら男らしいキザな口調でミガイに命令していた。
よろよろと立ち上がったミガイがコンクリートの床を蹴る。だが目標はお面の奴ではなく、僕だった。しかしそんなことお面の奴はとっくに読んでいて、右腕一本でミガイの頭をがっしりつかんだ。
ミガイが抵抗して爪先でお面の奴の服を破き素肌を露出させるが、全く動じない。
「弱い者いじめしかできない臆病者め! てめえにはこれだ! イマジンキック!!」
またも必殺技を口にして僕より細い足でスカートを大まくりしながら蹴りを入れると、ミガイは鉄球にぶつけられたように吹き飛ばされて廊下を血でよふ後して倒れた。
そして掃除でも終わったように汗を拭うが、さっきの戦闘でお面が取れたこともスカートの中が丸出しにも気づいていないようで、義岡の素顔が晒されていた。そして本人も遅れて気付いた。
「あわわ。見ないで、ヒーローは顔を見られてはいけないのはお約束なんだから」
顔よりもっと隠すべき部分があるだろうに、義岡は手で顔を覆い隠しながら失くしたお面を床に膝をつきながら探していた。さながら眼鏡を探すコントでもしているようでまったくお面に届いていない。
ふらふらと立ち上がり吹き飛ばされたお面を拾い上げて、パンツを見ないように目を隠しながら彼女に返した。
「ほら返すよ義岡」
「あぅ。ヒーローの正体バレちゃった。ってそれよりも、ごめんね助けに来るのが遅くなって」
「いや僕が義岡を助けにきたのに、返り討ちにあっただけだ」
「じゃあ余計に私のせいだ。ほらこれでほっぺた冷やして、おでこは私がするから」
お面を受け取らず、まっさきに腰のポーチから消毒液とガーゼを取り出して手当をしてくれた。ミガイに付けられた傷以外もついでと言わんばかりに手を出していて、いつも自分で治していた分なにか恥ずかしい。
すると義岡が突然僕の体を軽々とお姫様抱っこして持ち上げた。
「警察がきちゃった。しっかりつかまってて」
ホップステップジャンプと廊下を蹴って突き当りの窓から飛んだ。足で蹴ったはずなのに、本当に飛んだのだ。
義岡に抱えられながら見えた小さな星々が瞬く夜空が僕らを包み込む。
そしてミガイを倒し、僕を支えるその腕と足にはミガイと同じ紫の色と紋様が刻まれていた。
そのまま体育倉庫の影に着陸して僕を下すと、戦闘もしてとんでもない距離を跳んだ後なのに義岡はへっちゃらな様子だった。
「浅井君を救出して、ミガイも倒せて、色々一件落着!」
「僕に見られたのは、問題外なのかい」
ぽかんと思い出したかのようにしばらく固まっていると、僕に指を一本立てて「しー」とした。
「密! 密です。私との接触は秘密で。ヒーローは密かに悪と戦う存在だから。でも困ったことがあったらいつでも私を呼んでよ。ヒーロー見習いの私との約束だぞ」
ヒーローっぽいセリフをキメ顔でウインクをして再びお面をかぶり、異常な跳躍で街灯を足場にしながら去ってしまった。
頭がだいぶ落ち着いてきて、やっと消毒液のヒリヒリする痛覚や近くでパトカーのサイレンが聞こえている聴覚が戻ってきた。
義岡の体のこと、夜な夜なヒーローの真似事をしていること、ミガイの恐ろしさなどあまりにも非現実的なことが続き、頭が整理できてない。
ただこれだけはわかる。
僕はヒーローに恋してしまった。