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笑顔の圧に耐えきれなくなったメーデさんはすぐ、サローちゃんに弟子入りすると宣言した。サローちゃんが顔をほころばせる。耳がぱたぱたしていた。
俺は頷いて、残っていたお菓子を頬張る。いいことするとお菓子が旨い。
セロベルさんがささやいた。「お前、こえーよ」
なにが?
お菓子を食べ尽くしたので(おいしかった!)、工房を出た。セロベルさんが俺から若干距離をとっている。
門を潜ったところで、フードを被ったサローちゃんが追ってくるのに気付き、停まった。
「あの」サローちゃんは息を整える。「……じいちゃんのこと。ありがとう」
「ああ、ううん。メーデさんはまだ元気だし、引退なんて気がはやいよね」
「本当。……でも、調剤はわたしが請け負うことにした。じいちゃんには、もっと理論的なことをやってもらう。わたしの議論の相手とか」
それは大変そうだ。
サローちゃんは晴れやかに笑って、俺の手になにやら握らせた。「これ、追加料金。いいネコノツメをありがとう」
「え」
サローちゃんは踵を返してさーっと走って行く。俺は掴んだものを見た。小さながらすの容器だ。傷用軟膏、と彫って、色が付けてあった。
傷薬はありがたくもらった。収納しておく。
市場に寄って、四月の雨亭まで戻った。欠伸が出る。今朝は簡単なものにしよう。
「おはようございます」
厨房に這入ると、レアディさんがすでに来ていた。グロッシェさんとベッツィさんが、オーブンに新しい薪をいれてくれている。ツァリアスさんは踏み台にのって、高いところにある戸棚の戸をぱたぱた開け閉めしていた。蝶番をかえてくれたみたいだ。
「おはようございます」
レアディさんにそう返して、俺は流しの前に立つ。手を洗った。「レアディさん、はやいですね、今日」
「実は、いいものを持ってきたんです」
いいもの?
レアディさんはふっくらした顔を嬉しそうに笑みにかえた。いつもひいている荷車の上を示す。
俺がそちらを見ると、レアディさんは荷車にかかった布をとった。「おお」
思わず声がもれる。荷車にはつたを編んだかごか幾つも乗っていて、そのすべてにふっかりふくらんだパンが詰まっていたのだ。
「兄が焼いたんです。こんなにおいしいものが自分につくれるのかと、感動していました」
俺は手を拭いて、荷車へ駈け寄った。上体を屈め、パンをよく見る。
レアディさんへ目を向けた。「ひとつ食べてみても?」
「是非、味の感想をきかせてください」
俺はにんまりして、パンをひとつ掴んだ。未だあたたかい。表面はかたくてしっかりしていた。半分に裂くと湯気が立つ。なかはふわっと柔らかくて、グルテンがきちんと働いているのが解った。かじってみる。バターの香りと、ローストされた小麦粉の香ばしさ、もっちりして酵母の匂いのするクラム。
お店で売っているようなパンだ。凄くおいしい。
「それと、できたらかいとってもらえませんか?」
レアディさんの控えめな言葉に、俺は激しく頷いた。




