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「おじさんがこの辺に住んでるんで、宣伝しときます」
「あら、ありがとう!」
「おいしいから、沢山お客さん来るようになりますよ、絶対」
にこっとすると、女将さんもにこっとした。旦那さんはおはぎを口いっぱい頬張っていた。甘党さんだ。
お会計を済ませて、お土産にとそば粉をもらった。俺が料理好きだということを話したから、わけてくれたみたい。いいひと達だ。食料をわけてくれるひとに悪いひとは居ない。
俺はふたりに手を振りながら、お店を出た。俺が座っていた席に、いびつな金の塊が置いてあることに、多分少ししたら気付くだろう。拾得物は、落とし主があらわれなければ、拾ったひとのものになるのだ。
ペーパーウェイトでおいしいおそば屋さんを救う作戦である。うまくいくかはしらん。俺は無責任なのだ。
帰ったらおじさんに、おいしいおそば屋さんがあることを教えてあげよう。「大の男はそば通」みたいな幻想を持っているタイプなので、おそば屋さんは好きなのである、おじさんは。でもてんかすお握りに心奪われると思う。おじさんなら。
駅まで元気に歩き、電車に揺られて、旅館の最寄り駅までついた。さあ戻ろうと、自転車の錠を外していると、声をかけられる。「あの」
「はい?」
自転車のハンドルを握った。話しかけてきたのは、スタイリッシュな自転車にまたがった、ヘルメットをつけたふたり組だ。男女の、カップルかな。
男性のほうが俺の自転車を覗きこむみたいにする。
「それって、玉花荘のですよね」
「……ああ! はい、そうです」
おじさんの旅館、そういえばそんな名前だった。ちらっと確認したら、自転車のおしりに思いっきり書いてある。これは梅の花のことなんや、とかなんとか、自慢げだったおじさんを思い出した。それなりに詩情というものを理解しているなひとなのだ。
俺が頷くと、ふたりは遠慮がちに云う。「あのー。僕達、今夜そこに泊まるんですけど、ケータイで見ても道がわからなくて」
「ああー、はい、案内しますよ」
ふたりはほっと息を吐く。この辺になると地図アプリでもよくわかんないから、不安だったんだろう。
駅から遙か彼方におじさんの旅館が存在しているということはわかるが、目印になるようなものはあまりない。慣れてくると、どの家の田んぼ、誰の畑、とか、どの家の道具小屋、とか、わかってくるから、旅館までの道くらいなら覚えられるんだけど、初見のひとには田んぼや畑の区別はつかないだろうし。
どうせ旅館へ戻るのだ。道案内くらいする。




