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落ち着こう。
手巾を握りしめて、俺は二回、深呼吸する。久し振りの排気ガスにも、肺はだいぶ慣れてくれたらしい。咳込むことはない。
手巾からはやわらかい、いい香りがした。それはあちらでは一度も嗅いだことがないタイプの香りで、やっぱり戻ったんだと強く実感する。
とりあえずは、服をどうにかしないといけない。
チュニックとずぼんは、ぎりぎり、少し民族調のもの、といいはればなんとかなるが、奉公人のローブと、手仕事の丁寧さが目立つ革の編み上げサンダルは、どう考えてもこのまちのなかではういている。
ローブを脱いで、袖を合わせて簡単にたたみ、左腕で体に押し付けるみたいにして持った。季節はあちらとそうかわりないらしく、ローブを脱いでも寒くはない。チュニックが丸見えだが、奉公人のたしなみとして、柄のある派手なものを着ていなかったのはさいわいだ。
それに、ツィーさまからもらったブラックオパールのペンダントも、問題だな。サイズから偽物と思ってくれそうだけど、本物だと気付いたひとに魔が差さないとも限らない。一度横たわっていたからか、チュニックのなかからとびだしていたペンダントを、俺はゆっくりもとに戻した。慌てたら変に思われる。
収納空間に頼りきっていた俺は、鞄の類を持っていない。だから、服のしたに隠すのが精々、なのだ。
それから、と、ちょっと息を吐いてからまた、考える。ここは多分、俺が暮らしていたまちだから、家に戻ろう。
失踪から二年近くたっていて、家が今もそのままかどうかはわからない。だが、そのままだったらそこから、固定電話で親や親族に連絡をとれる。もし解約されていたら、大家さんに電話をかりよう。いや、俺の姿を見たら、大家さんは怒るだろうか。今までどこに、とか、親御さんが心配してたんよ、とか。
それで……それで?
それから、どうする?
命の危険はなくなった。少なくともあの世界よりは、俺は安全だ。もと・子役、それもスキャンダルの後に二年近い失踪をしていたという余計な要素はつくが、即抹殺される危険はない。
正直、ネットだ世間だ雑誌だでなにか云われても、もうそこまでのダメージはくらわないと思う。いつ、魔王がばれて殺されるか、なんて、心配しなくてもいい。そして、誹謗中傷されて殺害予告が来たとしても、悪いのは俺じゃないのだ。警察に頼ればいい。警察は信用できる。
俺と親しくしている所為でこのひと達も嫌疑をかけられるんじゃないかな、ともなやまなくていい。




