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一瞬。まさに。
俺は、すばやく(動いたつもりで)おにいさんから離れ、塀にはりついた。
おにいさんはぽかんとしてた。
リッターくんは、剣も抜かず、おにいさんに前蹴りをくらわした。それでお仕舞。ちゃんちゃん。
「殺してないよね?」
おにいさんはぐったりして動かない。
リッターくんは無表情で、それを爪先で軽くけった。「大丈夫そうだ」
「なにその確認の仕方……このひとでしょ? 捕まえたかったの」
いつぞや、リッターくんと一緒に、わがままお嬢さまに怒鳴られていたうちのひとりだ。あの時は気弱そうに見えたのだが、賭場では自信に満ち溢れた表情で、はじめは気付かなかった。リッターくんと出会っていなければ、あの気弱そうな人物と同じとは一生気付かなかったろう。
「娼妓と出てきたところを殴り倒されたら、いい逃れはしないだろう。助かった」
殴ってないじゃん蹴りじゃん、と思ったが云わない。誤解についても面倒なので訂正はしなかった。
リッターくんはこちらを向いて、手を差し出してくる。「ありがとう」
……握手かなあ? この子、解らん。
手を出してみると掴まれたので、握手であっていたよう。よく解らんが、いい子ではあるな。
「ん」
「ああ、はい。律義だね」
マグを返された。収納空間へ戻す。「おいしかった?」
「とてもおいしかった」
リッターくんは柔らかい声でそう云って、気絶したままの部下を肩に担いだ。
「料理人なのか」
魔王です。
苦笑いする。「そうだったらよかったんだけどね」
「……大変なのだな」
「うん?」
「昨日のクッキーも旨かった。もし、娼妓を辞めたいのなら、うちに勤めるといい。オジョウサマがあの菓子を欲しがるから、助かる」
ああ……マシュマロよこせ、って、大騒ぎしてたっけ。
俺はくすっとして、爪先立つ。リッターくんの頭を軽く撫でた。「子供が変な気まわさないの」
「……シアイルでは、十三から大人だ」
その切り返しがおかしくて、ちょっと笑ってしまった。
「俺の心配はいいよ。そのひと、賭けで借金つくってるかもしれないし、評判も悪かった。ちゃんと白状させて、こっそり示談にでもしないと。恥なんでしょ?」
「ああ。気が重い」
全然軽そうな口振りだけど。
とりあえず、軽ーく痛めつけて、自白させるそう。賭けをしていただけなら災難だが、評判が評判だからなあ。同情はしづらい。
リッターくんはもう一度お礼を云い、大人ひとり担いでいるとは思えない軽いあしどりで去っていった。もし気がかわったら、ロヴィオダーリ邸か、レフオーブル邸へ来い、と云って。
夢に出てこなかったので名字を考えるの凄くめんどくさいです




