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魔法についての説明。長いです。
魔法はまず「善悪」で分けられる。
善……神さまに祝福されている、「善い」魔法。種別としては、「恩寵」「熱」「水」「風」「大地」「駆使」。なかでも「恩寵」は魔を滅する唯一の魔法で、めずらしさもあって、つかえるひとは尊敬される。
「駆使」は、なんなのかよく解らなかったのだが、動物や虫など、人間以外の生きものに関する魔法らしい。
悪……おそろしい、「悪い」魔法。「冒涜」「魔力」。特に「冒涜」は自然の摂理を平気でねじまげる、天への冒涜ということでそう名付けられた。
「恩寵」「冒涜」の二つは特殊能力がないとつかえない。即ち、「善なる魂」「悪しき魂」だ。「善悪」で分けるのもここが由来。
そのほかの、「熱」「水」「風」「大地」「駆使」「魔力」のむっつは、得手不得手はあるらしいが、魔力さえあればつかえる。「魔力」は「悪」に組み込まれているが、今はもう一般的。眉をひそめるのは古風なひとだけだ。
「還元」に関しては、「どれにも含まれない」。魔法と呼ばれるが、厳密には違うらしい。魔力の低いひとが偉大な還元士だったりするからだ。因みに、「巡らせる者」という能力がないとつかえない。めずらしいし役に立つ能力なので、「善なる魂」「祇畏士」程ではないものの、つかえるひとは尊敬される。
魔法は魔力の多寡によって効果が変わる。同じ魔法でも効きがよかったり悪かったりする。
同程度の魔力なら、左右するのは能力と職業。
「熱」……「清澄な魂」もち、もしくは「焦熱士」など。
「水」……「深潭の魂」もち、もしくは「氾濫士」など。
「風」……「自在の魂」もち、もしくは「暴風士」など。
「大地」……「堅固な魂」もち、もしくは「沃野士」など。
「駆使」……「馬喰」「羊飼い」など。「牧童」もこれだが、恩恵は少ない。
「魔力」……とくになし、強いて云うなら、魔力をつかった行為すべてに上方修正がかかる「魔術者」という特殊能力、魔力が底上げされる「魔導士」など。
「恩寵」……「善なる魂」もちしかつかえない。「祇畏士」は恩寵魔法の効果を高める。
冒涜魔法については、「悪しき魂」の持ち主ならつかえること、おそろしい魔法であるという以外は御山でも詳しくは教えてくれないので、適職は解らないとのこと。魔王みたいだよダストくん。
当人の信仰心なんかは? と訊けば、関りないと返ってくる。
特に「恩寵」「冒涜」については生まれた時に決まる「能力」によってつかえるかどうかが決まるので、信仰心の欠片も持ち合わせていない「善なる魂」はあり得る。まあそんなひといる訳ないけど理論上は、とダストくんは付け加えた。
「悪しき魂」は過去に何人か存在しているが、例外なく悪党なので理論の俎上にも載せなくていいそう。さいですか。
ダストくんは選ばれし入山経験者だけあって、知識が多い。魔法のそもそもについても、訊けば教えてくれる。
魔法は魔力をつかって成す。魔力がないとつかえない。また、世のなかには「天に見放された地」というのがあり、そういうところでは効きが悪いかつかえない。反対に、水辺なら水を出し易いなんてこともある。
じゃあ魔力は何かといえば、「天の恩恵」だそう。
背が高いとか、金髪だとかと一緒で、生まれついてのものが大きい。鍛えれば増えはするが、もとから持っていない者は諦めるしかない。つまり、天から「君は頑張れば魔法をつかえるよ」と賜ったもの。頑張れば精度も上がるし魔力も増える。頑張らなければそのまま。
足の速さとか握力みたいなかんじか。
でも、魔力は死ぬ間際まで、低くなることはないらしい。二十歳で水を最大100ℓ出せるとしたら、年をとっても最大量は100ℓを下回らない。
で、結局魔法はどういう理屈なのだろう。ダストくんと話してみたが、その辺は感覚の違いか、要領を得ない説明しかなかった。なにもないところから火や水が出るのはどう考えても不自然だが、ダストくんにはそれの何がおかしいのかが解らない。当たり前の現象としてとらえている。
ただ、魔力が魔法のもと、という認識はあるみたい。なおかつ、「素」と「魔力」は同じものだろうとも。
えっと。パラメータの魔力は、「素」=「魔力」を巧く扱える力、みたいな理解でいいのかな。もしくは、「素」を体に蓄えておける力。というか器の大きさ?




