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「逃げるのは悪いことじゃないよ」
「そうですか?」
「うん。被害を減らすのが一番偉いんだって」
ぼんやりした目付きでこちらを見るサキくんへ、俺はにこっとしてみせる。「戦争の話らしいけど。無駄に戦争をするんじゃなくて、相手を説得して降伏させるほうが、どちらも損害が少なくすむでしょ?」
サキくんはちょっと考え、こくんと頷く。
「無駄にことをかまえない、ってのは、だから、いいことだと思うよ。労力つかってなんとかなるならともかく、その見込みがないなら疲弊するだけだもの」
「……僕は、臆病者で、卑怯なんですよ」
サキくんは目を逸らし、項垂れる。そっと手を伸ばすと、ぎゅっと掴まれた。溺れているひとがなにかに縋るみたいに、強く。
「そんなに自分を卑下しなくても」
「卑下してるんじゃなくて、事実です。僕は自分の為にミューに近付いたんだ。ミューはあんなにいいやつなのに、僕はミューを利用しようと……」
サキくんは言葉を切って、頭を振る。「僕はやっぱりかわれなかったんです。なんにも進歩しちゃいない。できたのは、還元の修行くらいで、それだって理由をつけて……なんて情けないんだろう僕は」
「情けなくないよ。頑張ったんだったらいいじゃない。凄いよ」
サキくんはもうなにも云わない。青春のなやみだなあ。サキくんは努力してるし、入山だって決まっている。凄く頑張ってる。だから、こんなにうじうじしなくていいと思うんだけど。
ろくでもないことを思い付いた。
「サキくん?」
「……はい」
「駆けっ競しよう」
「え?」
「四月の雨亭に先についたほうが、なんでも命令できる」
云うだけ云って、手を振り解いて走り出す。走るのは嫌いだけれど、ひとを元気づける為ならやる。
数十m行ってちらっと振り向くと、サキくんも走っていた。はや!
結局俺は途中でばて、サキくんにピックアップされて、おんぶで四月の雨亭まで運んでもらった。サキくんに笑顔が戻ったのでよしとする。
四月の雨亭の前庭で降ろしてもらった。まだ息があがっている。
「まけちゃったね」
「いえ」サキくんは頭を振る。「引き分けですよ。だから、お互いひとつずつ、お願いをするのはどうですか?」
「お願い?」
ええ、とサキくんは頷いて、息を整える。俺はちょっと考えて、云った。
「いいよ。サキくんのお願いはなに?」
「……奉公できたら、最初に僕に会いに来てください。それで、マオさんのお菓子、食べたいな」
それなら簡単だ。奉公できるかが問題だけれど。
俺は頷いて、サキくんのローブをちょいと引っ張った。ささやく。「じゃあ、俺のお願い。サキくんはいい子だよ。それを認めて」
サキくんは、僕をまた嘘吐きにしたいんですか、とかすかに笑った。




